第8話 初飛行
ブルクハルトはヒューゴと別れて、赤龍となったエッカルトと共に竜化してクリスティーナたちの待つ演習場に戻った。
演習場の上空に着いてクリスティーナを見下ろすと、目線が合って嬉しそうに手を振ってくる。ブルクハルトは手を振り返したい気持ちを耐えて、クリスティーナの近くに降り立った。今のブルクハルトは青龍で、クリスティーナとは一度しか会ったことがない。親しげに手を振り返しては不自然だ。
クリスティーナはブルクハルトが今も
「クリスティーナは赤龍に、ジュリアンは青龍に乗ってみろ」
エッカルトがガスパールの隣に着地するとともに、ガスパールが指示を出して人の悪い笑みを浮かべた。ここまできて、クリスティーナを
【……】
竜化したブルクハルトの声は、
【ガスパールって、時々子供っぽいことするよね……】
エッカルトがくすくす笑うと、ガスパールが眉をピクリと動かす。ガスパールは
ブルクハルトはガスパールの代わりにエッカルトを睨みつける。なんとかしろという意味もあるが、ほとんど八つ当たりだ。エッカルトはブルクハルトに震え上がって後退りした。
【怖っ!】
エッカルトはブルクハルトの兄のような存在で、人間の姿のブルクハルトにはもちろん怯えることはない。それでも、竜化した場合には本能の影響を強く受けるので、群れの次のボスであるブルクハルトには、このような反応を無意識にしてしまうのだ。
【ガスパール! 冗談はそのくらいにしなよ。俺がブルクハルトに殺される】
「チッ……」
エッカルトの叫び声にガスパールが舌打ちをする。エッカルトの抗議はブルクハルトに怯えたからというより、同じ番を持つ者としての優しさだろう。
「赤龍がジュリアンを乗せたいと言っている。クリスティーナはそっちの竜で我慢しろ」
【それは語弊があるよね?】
エッカルトの指摘は当然のようにガスパールに無視された。ジュリアンは赤龍に指名されて満更でもなさそうだ。エッカルトはなんとも言えない表情でブルクハルトを見てくるが、当然何も言うことはできない。
「じゃあ、私は青龍に乗せてもらいます」
クリスティーナが嬉しそうに返事をしてこちらに駆けてくる。ブルクハルトは怖がらせないように動かずに待ったが、クリスティーナが躊躇なく抱きついてくるので思わずのけ反る。
「今日はよろしくね」
クリスティーナの距離感は、友人のそれより近い。竜騎士を目指す者が竜に乗れるとなると、興奮してこんな反応になるのが当たり前なのだろうか。ブルクハルトは可愛い笑顔に絆されて受け入れそうになるが、ジュリアンが視界に入って考えを改めた。
ジュリアンは赤龍と距離を取って対峙している。近づくのも恐れ多いといった雰囲気だ。
「ジュリアンと申します。本日はよろしくお願いします」
【うん、よろしく】
ジュリアンは丁寧に頭を下げると、ガスパールに助けを求めるように視線を向けた。ガスパールがエッカルトの言葉を伝えると、再び深々と頭を下げる。ジュリアンからは離れていても緊張が伝わってくる。いつも余裕のあるジュリアンだけに意外だ。
「ねぇ、乗せてくれる?」
声をかけられて視線を戻すと、クリスティーナがすねた顔でブルクハルトを見上げていた。デート中にブルクハルトが別のことを考えていたときと同じ反応だ。
ブルクハルトは自分がクリスティーナの担当になって良かったと改めて思う。こんな気を許した顔をエッカルトに向かってされたとしたら……
視界の端でエッカルトが身震いするのが見えて、ブルクハルトは無意識に発していた殺気をおさめた。不思議そうに見上げているクリスティーナに状況を伝える手立てはない。
ブルクハルトは誤魔化しの言葉の代わりに身体を屈めて、クリスティーナに手を差し伸べた。
「習ったのと違うけど……ここに乗って良いの?」
ブルクハルトは肯定を示すように小さく頷く。クリスティーナがブルクハルトの大きな竜の手に乗ったのを確認すると、慎重に背中の方に運んだ。
【うわ、見せつけてくれるね】
【……】
エッカルトの言葉は当然無視だ。いや、どちらにしろ声を出せる状況ではないが……
「準備できたわ」
クリスティーナのはしゃいだ声に、ブルクハルトは翼を広げる。クリスティーナが首筋にしっかり捕まっているのを確認して空に舞い上がった。
「うわぁ、すごい高さね。みんなが小さく見える」
クリスティーナとの空の旅は思った以上に楽しい。竜騎士を決めるための飛行だと分かっているのに心が踊る。
「ねえ、もしかしてドリコリン伯爵領に向かってる?」
クリスティーナの生まれ育ったドリコリン伯爵領は、ヴェロキラ辺境伯領の隣に位置する。ブルクハルトはクリスティーナに会いにいくときの飛行ルートを無意識に飛んでいた。クリスティーナが嬉しそうなので、ブルクハルトはそのままのルートを飛び続ける。
「見て! 私達が出会った森が見えてきた」
クリスティーナは慣れてきたのか、ブルクハルトの肩の近くにしゃがんで伯爵領の端に広がる森を指さしている。ブルクハルトに見える位置を探した結果だろうが、心配になるから端に立つのはやめてほしい。
「初めて会った日のこと覚えてる?」
クリスティーナに聞かれて、ブルクハルトは反射的に頷いた。クリスティーナはそれを見てホッとしたように笑う。ブルクハルトが忘れるわけがない。あの日は特別だ。
どれも鮮明に記憶している。
「傷は残らなかった? 確かめられないし、ずっと気になっていたの」
【……】
クリスティーナはずっと青龍にもう一度会いたいと言っていた。ブルクハルトは自分の事なのに面白くない気持ちで聞いていたが、出会った日に負った怪我を気にしてのことだったのだろうか。それならば、嫉妬して子供っぽい態度を取っていたことが申し訳なくなる。
「私のせいでごめんなさい。ずっと謝りたかったの」
クリスティーナが傷のあった場所をゆっくりと撫でる。ブルクハルトは気にしないで良いと全力で首を振った。
「分かったわ。ありがとう。首を痛めたら大変よ」
クリスティーナがクスリと笑う。声にいつもの元気がないが、竜化したブルクハルトは抱きしめることも姿を確かめることすらできない。しんみりとした雰囲気のまま、ブルクハルトはクリスティーナを守るようにゆっくりと飛んだ。
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