リボンの鼠の魔法
「さぁ、姫様。今日の予定はここまでですよ」
お疲れ様でした、とリリーを労うクレアにリリーは自室に入って、これまで作っていた余所行きの顔から一気に疲れを隠そうともしない顔になっていた表情を、今度は弾むようなニッコリとしたものに変える。
先程、国の重要貴族達とあっていた時の完璧な振る舞いはどこへやら、その考えを悟られてはいけない、という上流階級の常識から大きく外れてクルクルと表情を変えるリリーにクレアは苦笑する。同時に出来れば嫁ぎ先ではこの素の姫様を受け入れてくれる方が多ければ願うのだった。
そんな感傷にふけるクレアをよそにリリーはいそいそとどこからか衣装を取り出す。もはや大公家の姫君の行動ではないが、慣れたクレアは何も言わない。ふんわりとした生地を両手に抱えたリリーは期待に満ちた表情で
「じゃあ少し『お散歩』してきても良いかしら?」
と、クレアに尋ねる。満面の笑み、はずむ表情、コクっと首を傾げる動作に、果たしてこのお強請りを断れる人はいるのだろうかと思いつつ
「どうぞこちらの事は私にお任せください」
と、言いそして、クレアはまず自身に魔法をかける。彼女が得意とする魔力を似せる、という魔法だ。この国の人々、特に貴族達はその魔力の質で人を見分けることが多いため、お忍びで出かけたがるリリーの強い味方だった。
自身に魔法をかけたクレアは続いて主の着付けに入る。とはいえこれから向かう場所のことを考え、動きやすい赤色のワンピースに茶色の地味なエプロン、先程まで複雑に編み込まれていた髪を一度ほどき、邪魔にならないようにリボンでまとめる程度にした町娘スタイルとあってそれほど手間はかからない。
着付けはササッとおわり部屋にある姿見で自身の姿を確認したリリーは、軽く目を閉じ自身が変身した姿をイメージする、と同時にポンッと軽い音がし、そこには人だったときと同じ衣装を着たおしゃれなネズミが座っていた。
かなり小さくなった自分に目線を合わせるためにしゃがんでくれるクレアに
「じゃあ、よろしくね。あまり遅くならないようにするわ」と鼠姿のまま伝えるリリー。
そんな主にくれぐれも身の回りには気をつけるように伝えたクレアはその希望に沿ってそっとリボンを付けた鼠を両手ですくうようにしてもち、天井のはりのあたりに連れていく。
小さい代わりに運動神経は鼠と化したリリーはピョンっと身軽にはりに飛び移り、クレアの方に少し振り向くとまた前を向いて向こうの方へと走り去って行った。
鼠の姿になったリリーが向かった先は城の裏側に位置する厨房だ。とはいえつまみ食いをするためではない。いや、ここに来るといつもおやつを貰うことになるのは事実だが、一番の目的は厨房で働く皆にお別れの挨拶をするためだった。
柱づたいに厨房の床に降り立った彼女はそのまま壁伝いにちょうど片付けをしていたらしい料理長の元へと走る。そして彼の足元へ来るとチューチューと鳴き声を発した。
一瞬、厨房に鼠!、と驚いた顔をした料理長であったがその姿を見てすぐに破顔する。
そう、彼女がわざわざ鼠になっても服を着ているのはこれが理由だ。魔法を使い始めた当初は鼠姿では人のときの服をそのまま維持することが出来ず、出かけても本物の鼠と間違われて、追い回されたり、と結構悲惨な目にあっていたリリーだ。
そんな彼女はクレアとともに特訓し、人のときに来ていた衣装をそのまま鼠の姿になっても維持できるようになった。この力のおかげで彼女のお忍び姿を知る人からは「リボンの鼠」=リリー姫という構図が成り立つようになりお忍びが格段にしやすくなった。更にこの衣装には自身の魔力を流しており、こうすることで普通の動物たちからするとなにかが違う、ということを感じ取られるらしく、猫に追いかけられたりすることもなくなった。
そんな彼女が最もよく向かっていたお忍び先がこの厨房であり、時折訪れる彼女にお茶とお菓子を振る舞ってかわいがってくれていたのが、リリーの祖父の代から厨房を守る料理長なのだ。
料理長に気づいてもらい、周りを見渡した彼女はもう一度目を閉じる、するとまた軽い音がしてそこには先程部屋にいたのと同じ町娘スタイルのリリーが立っていた。
人のときと同じ衣装でいれる以上わざわざ着替えなくても良いのだが、厨房であのゴテゴテとしたドレスは邪魔になるだけだ。そんなわけもあって彼女は鼠になるときはリボンの鼠に変身することにしていた。
再び人の姿に戻ったリリーを厨房の隅に置かれたテーブルに案内した料理長は「よしっ、姫様も来てくださったことだし休憩するぞ」と声をかける。
もうすでにほぼほぼ片付けも終わっていた面々が一度手を止めるのを見届けると、手づからお茶を入れてくれ、戸棚からかごに入ったクッキーを出してくれる。
「きっとそろそろ来てくださると思っておりましたからね。姫様のお好きなものをたくさん焼いておきましたよ。きっとこうしてお茶ができるのも最後ですからね」
と半ば泣きそうになる料理長。その目は完全に孫を嫁に出す祖父の姿である。
「まあっ、湿っぽいのは嫌よ。嫁ぐといっても隣国ですわ。そして挨拶が遅くしまってごめんなさい」
と言うと、リリーは一度立ち上がり、
いつの間にかそれぞれにカップを手にしていた厨房の面々に
「今まで良くしてくれて本当にありがとう。いつも突然現れて迷惑だったと思うけど、普通は出来ない経験が出来て本当に楽しかったわ」
と言いお辞儀をする。服装こそ軽装でもお辞儀は完璧な姫君のそれにお別れを意識したのか泣き出しそうな者もいる。
そして前を向き直ったリリーは
「そして料理長、もうっ泣かないでよ。これまで本当にお世話になりました。私はトレシアで幸せになります。どうか健康に気をつけて長生きしてくださいね」
自分も釣られて泣き出しそうになりつつなんとか笑顔で言い切ったリリーに料理長の涙腺は崩壊する。少ししてなんとか落ち着いた彼は
「身に余るお言葉です。こんな場所ですが少しでも姫の安らぎになれていればありがたい限りです。もちろん、姫の出発前の晩餐では姫の好物を作らせていただきますので楽しみに待っていてくださいね」
「嬉しいわ!楽しみにしているわね。それからいつものように後で差し入れを届けさせるようにするわ。皆で楽しんで頂戴」
お別れの挨拶の後は、普段どおりのお茶の時間だ。貴族のお茶会ではありえない、大きなマグカップもザクザクと乾燥させて果物が入った食べごたえのあるクッキーも彼女にとってはこの城での貴重な素敵な思い出の一品だ。そんな思い出を焼き付けるようにして彼女は味わうのだった。しばし厨房の面々とお茶会を楽しんだリリーだったがあまり仕事の邪魔をするわけには行かないし、彼女自身もあまり遅くなるとクレアが心配する。名残を惜しみつつもう一度彼らに別れを言うと、今度は料理長の手で天井へ上げてもらい、あまり遅くならないという約束通り一刻ほどで私室に戻ったのだった。
「姫様っ、お待ちしておりました」
部屋に戻るとクレアがやや慌てた様子で駆け寄ってくる。天井からクレアの手のひらへと移り部屋を見渡すと、化粧台には既に落ち着いた色合いのドレスがセットされていた。
そっと床に降ろされ、変身魔法を解いた彼女は訝しげにクレアの方を向く。
「あらっ、急な予定でも出来たの。今日は特にお会いする方もいなかったはずだけど」
もともと今日の予定は終わりだったはずだ。優秀な侍女であるクレアが予定を忘れていたというのも考えにくいが、さりとて、一応姫君である彼女にはそうそう事前連絡無しに押しかけることができるものでもない。
そんな訳で不思議そうにする彼女を着替えさせつつクレアが説明する。
「先程、突然ブルーノ様からカードが届きまして夕刻から会いたいと、時間をとってきちんとお別れが為さりたいそうで。」
「お兄様が?それは文字通りのお別れのご挨拶には到底思えいないわね。でも遅れたら何を言われるかわからないし、間に合う時間で良かったわ」
ブルーノは大公家の長男だ。勇猛な狼に変身する彼はプライドが高く、大公家に魔力の弱い者がいることを許せないらしい。
家族の中でも特にリリーに対して当たりが強かった。
本来であれば家族間でも大公家ともなれば正式な訪問にはそれ相応の準備の時間を考えて呼び出すのがマナーだ。しかし、この国でも特に魔力至上主義の傾向が強いブルーノにとって魔力が殆どないに等しい末の姫に遠慮する必要など微塵も感じられないらしい。ほとんど話すこともないがこうして呼び出されるときは突然なのが定番だった。
少し急ぎ目にドレスに着替え直し、髪も結い上げた彼女は約束の時間きっかりにクレアを伴って指定された応接室に向かう。
そこには既にブルーノがおり、この国でもとりわけ美青年ともてはやされる姿をソファに預けていた。
「この度はお忙しい中時間を頂戴し誠にありがたく存じます。既にお知りおきのことですがこの度王命によりトレシア王国王太子のもとへ嫁ぐことになりました。兄上に当たりましては、これまで格別の御恩をいただいたことには感謝してもしきれなく思っております」
丁寧にしかし定形の挨拶を述べたリリーはそのまま深く腰を落とし、最敬礼を取る。ブルーノはまだ立太子しておらずよって、本来であれば彼女が最敬礼を取るべきは大公たる父親と大公妃の母親だけであるはずなのだが、リリーな魔力が少ないことが判明して以来、ブルーノはリリーにことさらに自分を敬うよう求めていた。
リリーの様子に興味なさげに頷いた彼は、尊大な様子で
「今日は特に用事もなかったから構わない。お前であれば十分承知しているとは思うがトレシアは我が国にとっても最も重要な国の一つ。最も魔法を求められて嫁ぐのが魔力なしのお前という点は懸念事項であるが、せいぜい愛想をつかされないよう、我が国の発展に尽くしなさい。お前にできることといえばそのくらいしかないのだから」
別れを言いたいのか嫌味を言いたいのか分からない言葉だ。だがこんな言葉にはこの国で慣れっこのリリーは今更傷つくこともない。平然とするリリーを面白くなさそうに見たブルーノは
「そうだ、お前に渡そう、と思っていたものがある」
と、言うとそばに控えている従僕に目で合図する。
それを受けて従僕がリリーの前のテーブルの上に箱を置く。ブルーノに促されリリーがその箱を開けるとそこには宝石の様なものが詰まっていた。宝石のよう、というのは正確には宝石ではなく魔石だからだ。
「お前はこういったものを使う機会もなかったからな。とはいえ本来なら大公家の一員なら魔石の一つも使いこなせて当然。いくつか用意したから嫁入り道具として持っていくが良い。お前の微力な魔力でも飾り程度にはなるだろう。」
リリーはなるほどこれが目的か、考える。一見するとブルーノも流石も嫁ぐ前には優しくなるのか、と考えられそうだがそういうわけではない。
魔石は魔力を増幅させる道具だ。増幅させるのだがそれは元の魔力による。10を倍にするのと100を倍にするのではその差が歴然となると説明するとわかりやすい。
もともと魔力が殆どないリリーにとってはあったところでほんの少し魔力が上がるに過ぎない。だからこそ彼女が魔石を使う機会はなかったわけだが、結婚祝いにあえてこの品を用意するあたりが彼の嫌味な部分と言える。
とはいえ兄からの贈り物。もらわないという選択肢もないリリーは丁重にお礼をする。すぐ後ろでは正しくその意図を理解したクレアが静かに怒りを押し殺している空気を感じる。自分よりも真剣に怒ってくれる腹心の侍女の存在に勇気づけられた彼女は、魔石をクレアに預け、共に応接室を辞するのだった。
私室に戻ると、どっと疲れが襲ってきたらしいリリーはその身をソファに預ける。しかし、クレアに「お疲れなのは分かりますがその前にお召し替えを」と言われ続きの部屋に入って着替えさせてもらう。そうしながらクレアはリリーに話しかける。
「殿下はどういうつもりなのでしょう?今日もまた嫌味でしたが、にしても魔石の餞別など。ベルンでは一般的な品ですが、安いものでもないでしょうに。多少は姫様のことが気にかかっている、という訳でもありませんよね」
「お兄様ならきっと何も考えてないわよ。手っ取り早い嫌がらせがこれだったというだけだわ。妹の結婚に祝いの品を用意しない訳にも行かない訳だし、だったら使い物にならないものにしよう、というところじゃないかしら」
飛び抜けた魔力を持つブルーノはその反面、昔から単純なところがあった。大公もそこは理解しているようだが、跡継ぎになるのに大丈夫かしら?そう思わずにはいられないリリーだった。
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