Dragon Egg ―キャラバンの娘は飛竜とともに黄金の大地を駆け巡る―

弥生ちえ

プロローグ


 一面の黄金。茶褐色の景色は間近な太陽の熱と光を浴びて金の蜃気楼となる。



 気まぐれに隆起し、水の如く流麗な風紋を刻んだ砂の大地。

 静かに文様を刻んでいた砂の大地は、その美しい地表を無遠慮に踏み拉く一群によって優美な静寂を破られ、抗議の声をあげる。



 あたり一面に巻き上がる砂埃。



 むせ上がる様な熱気の中を淡々と進む、色とりどりのローブをまとった人の群れと、沢山の荷を積むラクダ達。群れの先導者と思われる数人の男がラクダに乗る以外は、ラクダは黙々と荷を運んでいるし、人達はゆっくりとしたペースで歩き続けている。



 太陽の真下を、大きな黒い影が横切った。



 あ‥‥やられた!


 黒い大きな瞳を大きく見開いて、少女はその影の行く先を見遣った。

 砂漠に住むにしては珍しく色の白い面立ち、その中で一際映える漆黒の瞳が、きょろきょろと忙しく動き、1頭のラクダでぴたりと焦点を結ぶ。そのラクダに駆け寄ると背に飛び乗り、素早く積荷を降ろして鞭を入れる。ラクダはうなり声を上げ、一頭隊列から外れて走り出す。


「シェラハ!」


 背後からいいかげん聞き飽きた父のがなり声が聞こえる。

 聞こえたからと言って立ち止まるつもりは毛頭ない。どうせ止まっても行ってしまっても、怒鳴られるのは一緒だから、それなら行ってから怒られた方が良いに決まってる。


「ミアーナが何か見つけたみたい!ちょっと先に行ってくる」


 ラクダに鞭を入れながらちらりと振り返る。視界の隅に捉えた父は、薄くなった頭までを赤く上気させ、たっぷり口髭を蓄えた大きな口で罵声を吐いている。がっちりした体格で拳を振り上げる様はまさしく雷親父の風体である。帰ってからの剣幕が容易に想像出来て、見なきゃ良かったと思わず苦笑いがこぼれる。


「この馬鹿ムスメ!お前何度ミアーナ様に張り合うつもりだ!」

「何度でもよ!」


 即答。

 今度は振り返りもせずに、まっすぐ、空高くを行く影が向かった先へと駆けて行く。

 瞳と同じ漆黒の、ゆるくウエーブがかった髪と、緋のローブをなびかせて、鞭打つ手を休ませる事無くラクダを駆る。その姿は、常にラクダを駆っている護衛団の自分達となんら引け目が無いくらい様になっている。今年で15歳の娘盛りを迎えようとする子の、なんと勇ましい事か‥‥。娘の、もう小さくなってしまった後姿を見ながらシェラハの父、グニルはため息をついた。


「言うだけ無駄だよ、グニル小父。シェラハは、ミアーナ様が何かなんて関係ないんだからね。いいじゃないか、ミアーナ様も気を悪くしてはいらっしゃらないんだから」


 いつの間にか側にラクダを寄せてきていた男が、愉快そうに笑いながら、肩を落としたグニルの背を軽く叩く。口元に笑みを浮かべたままの薄茶色の髪の男は、一見優男の様な雰囲気を醸し出しているが、良く見ると黒のローブから覗く肢体は程よく筋肉が付き、引き締まっている。このキャラバンの護衛団長である自分の一の弟子のこの男は、娘とさして歳の違わない17歳でありながら、剣の腕前、ラクダの乗り手としては既に自分の次に来る程度の実力は身に付けている。技術だけをもってすれば、次の護衛団長の最有力候補なのかもしれない。但し年若さのせいか、いまひとつ落ち着きが足りない気がする。グニルは眉根を寄せて相手を軽く睨む。


「年長のお前までがそんな事を言ってあいつを甘やかすから、あんな風に付け上がっちまうんだ」


 苦々しげな表情のグニルは、けどどこか楽しそうだ。帰って来たらこってり絞ってやる…などと呟いて、大仰に右手の握りこぶしを左手に叩きつけている。


「グニル小父は素直じゃねぇよな?あんたが今乗ってんのは何だ?木馬か?そもそも追う気なんかなかったくせに‥‥‥っどわ!」


 突然ラクダから落ちる男。


「お前にもよぉぉぉ~~~っく言って聞かせる必要があるみたいだな?イリジス?」


 ラクダの上からにぃぃっつと、勝ち誇ったように笑ってイリジスを見下ろすグニル。手には、今勢い良く引いたばかりの黒い布が‥‥イリジスのローブの裾が握られている。






 空高くを行く影、大きな影を追いながら、前方の砂山の群れを見る。


 目標物はまだ見えない。


 行く先には何があるんだろう?そう思いながらもラクダを駆るのは止めない。頭上の大きな影、ミアーナが進む速度を緩めないから。


 取り敢えずの目標物はミアーナ。


 と、突然ミアーナの速度が落ちた。そしてぐんぐん降下してくる大きな影。影には鳥の様な翼が見える。視界に占める面積がぐんぐん大きくなる。雀が鶉になり、鷲になり、七面鳥になり、まだまだ大きくなる姿。そこから鳥ではないその姿をはっきり捉えられる様になる。羽毛の全く生えていない翼、厚くて硬そうな表皮。鞭のようにしなる尾。骨ばった指先から鋭く伸びた鉤爪。裂けた口から覗く牙。黄色く光った大きな目に縦に長い瞳孔。側頭部に2つ突き出た角。これはどう見ても鳥などでは無い。そう、ミアーナは異形の獣、翼の生えた飛竜なのだ。


 着地する・近い!


 更にラクダに鞭を入れ、チッチッと急かす声を上げる。

 ミアーナが、砂山ひとつ向こうへ降りるのが見える。


「ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっつ!!」


 ミアーナのではない叫び声。

 上ずった声は男のものとも女のものとも判別が付かないが、こんな言葉にもならない声を上げている事を思うと、相当切迫した事態が起きているらしい。


 思わず腰に手をやる。


 けれど自分は、父やイリジスの様に、美しく半月を描く刀を腰に帯びてはいない。

 こんな時つくづく男に生まれれば良かったと思うが、そんな事今更どうなることでもない。舌打ち一つで気分を切り替え、ラクダを打つ鞭を握る手に力を込める。


「ここで死んじゃったら、女だからって刀を持たせてくれなかった父さんを恨むからね」


 唇を尖らせて、更にラクダに鞭を入れる。


「あぁぁぁうぁうぅぅぁっつ」


 声の主には近付いているはずなのに、だんだんと弱まって行く声。武器を持った追い剥ぎに、旅人が襲われているのかもしれない。ひょっとしたら先に降りたミアーナも間に合わなかったのかも・と事態の悪化を予測して、シェラハは顔をしかめる。


 と、突然、ひゅう‥‥と風の唸り声が聞こえる。


『  私は 砂丘の民の 護り人だ  』


 地の底を這う様な、低い低い地鳴りの様な、けれど強い響きを持つ声。人ならばこんな声は持たない。この声が聞こえると言う事は、事態はまだ終わってはいない。自分にもまだ出来る事があると云う事。


『 ‥‥私に 対峙しながら 逃げ出そうとは ‥‥心に やましいところが ある 証拠か? 』


 もう少しで砂山の頂上に出る。そうすれば、この声の主、自分達の守り竜ミアーナのいる場所の状況が見えるはずだ。


『 逃げるならば 認めたものとして お前を 喰うぞ? 』


「食べちゃ駄目!!」


 叫んで見下ろした瞬間、黄色い瞳と目が合った。見慣れた飛竜の姿を捉えて、シェラハは安堵の笑みを浮かべる。


「たすけてっつ!女神さまっつ!!」


 飛竜の影から、先程まで聞こえていたのと同じ上ずった声の少年が、這う這うの体で姿を現した。白いターバンを巻き、白い大きすぎる袖の無い上衣に、腰と足首のあたりで絞ってあるゆったりとした黒いパンツをはいた少年。剥き出しになった腕は、自分達の部族の女児と同じに柔らかそうで、自分を見上げる薄茶色の瞳もどこか頼りなげだ。


「女神さまっつ!」


『 女神 さま だって 』


 飛竜が、皮肉げな響きを持った声で繰り返し、シェラハを見上げる。怯える1人と、不愉快そうな1匹を交互に見ながらシェラハはようやく事態を飲み込んだ。今この場には、この1人と1匹しかいない。この少年はミアーナを見て悲鳴をあげていたのだ。


「やめてよ、ミアーナ。それにぼうや。私は女神なんかじゃないし、臆病者に用はないんだから勘弁して」


 とんだ茶番に付き合わせてくれてとばかりに、勝手に付いて来た事は棚に上げてシェラハはミアーナを睨むが、大人の象程度の大きさはありそうなミアーナは、小首をかしげて軽くいなす。


『 じゃあ とっとと 返そうか 』


「言われなくたって帰るわよ」


 ラクダをもと来た方向へ向き直らせ、進めようとした時。


「ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっつ!!」


 また少年の悲鳴が響いた。でも今度は見る気もおきない。


「あぁぁぁうぁうぅぅぁっつぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっつ!!」


 しつこく響く少年の悲鳴。


『 うるふぁい くうふぉ? 』


 喰うぞ。って言ったね!?今。慌ててラクダの向きを変える。と、目に飛び込んできたのは、恐怖のあまり硬直してしまっている少年の背に喰らいつき、持ち上げている飛竜。


「食べちゃ駄目!」


 慌てる余り、ラクダから飛び降りてミアーナに駆け寄るシェラハ。その慌てぶりを見た飛竜は大きく顔をしかめると、くわえていた少年を地面に置く。


『 誰が 人間なんか 食べるか!! 喰った事など 無いだろう! 』


 低く響く声が怒鳴る。地面に開放された少年は、ますます恐怖で竦みあがっている。


「ない。でも咥えてたじゃない!」


『 運ぼうと しただけ だ。 喰うと言ったのは この子供が あんまり怯えるから 脅かしただけ だ 』


 長い鼻先で少年を示す仕草をするミアーナ。確かに、先程からの悲鳴はうるさ過ぎる。いくらミアーナが異形の獣だとしても、ちゃんと言葉は通じるし、好戦的な訳でもないから、あれ程の怯え様は失礼だと言えるだろう。ミアーナが気分を害して当然だ。

 ‥‥まあ、竜を見慣れていない者にとってそれは当てはまらないだろうが、シェラハはそれに気付いていない。


「たすけて!女神様!!」


 それでもまだシェラハの足元に、四つん這いで、足をもつれさせながら近付いてくる少年。


「運ぼうと…あ、返そうかって言ったのはこの子の事だったんだ。じゃあひょっとして、ここに来たのはこの子がいたから?」


 足元を指差してミアーナを見る。控えめに頷くミアーナ。さらに肩を落として溜息までついてみせる。居るのがコレだと分かっていたら、来なかったかもなぁ‥‥とでも言いたげだ。まぁ、この飛竜は分かっていたとしても、文字通り、飛んで来ただろうが。


「たすけて!たすけてっつ!!僕食べられちゃうよっつ!嫌だっつ!怖いよ!!」


 性懲りも無く叫び続けながら、足元にまとわりついている少年を見下ろして、シェラハも深い溜息をついた。こんなに聞き分けの悪い子供はそういない。


「これはミアーナでなくても、口を塞ぎたい気分になってくるわ」


 シェラハはそんな物騒な言葉を、呆れた様につぶやいたのだった。

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