第59話 森の中を駆ける



 ――――アルナー


 

 風が吹かず、太陽が顔を見せず、その為か空気がじっとりと湿って重く、むせ返るような土と葉の匂いが支配する森の中を、弓を低く構え矢をそっと番えた戦化粧のアルナーが駆けている。


 自らの存在を隠蔽魔法で隠しながら、草原に比べて全くなんて不快な場所なのだと顔をしかめながら、地面にうねる木の根を蹴り駆けるアルナーは、時折その手にある弓を高く構えては、目の前を恐慌状態で走るディアーネに向けて矢を放ち……その矢をディアーネの腕や肩のギリギリの所にかすめさせていた。


 そうやってディアーネを追い立て、更なる恐怖を与えることで……ディアスに手出ししようなどともう二度と考えないようにと、ディアーネの魂に戒めを刻み込もうとしているのだ。

 

 わざわざそんなことをせずとも、いっそのことディアーネを殺してしまう方が楽であり、確実ではあるのだが……しかしアルナーの良人おっとであるディアスは人が死ぬこと、殺すことを異様に嫌い、避けているようなのでそうする訳にはいかなかった。


 長年を戦いの場で過ごし、戦争の英雄とまで呼ばれたという男が人の死を嫌うなど全くおかしな話ではあるのだが、以前ディアスを襲撃したネズミの時と言い、先程の戦場の時と言い、ディアスが人の死を嫌い避けていることは明らかなことだった。


 そこにどういった理由があるのか、どういった想いがあるのかをアルナーは知らなかったが、良人が……ディアスがそう望むのであれば自分はただ支えるだけだと、思いを込めて矢を放ち、新たな矢を矢筒から取り出して弓に番える。


 そうして何か恐ろしげな言葉でもかけてやっての一矢で、最後にしてやろうかとアルナーが弓を構えていると、ディアーネが走る先……前方の木の陰から三つの人影が飛び出してくるのが見える。


「はっ、まさかこんな所で偶然標的と出会えるとは、ツイてるッスねぇ……!」


 三つの人影の一つ、先頭に立つ黒髪黒目の男がそう言うなりにディアーネに飛びかかり、他の二つの人影もそれに続く。


 飛びかかりディアーネを押さえつけ、腰に下げていたロープでもって手足を縛り上げる人影達。


 そうして縛り上げ、あまりに騒いで煩いからと猿轡を噛ませたディアーネの懐をまさぐり始める男を見たアルナーは隠蔽魔法で姿を隠したまま静かに弓の弦を引き絞るのだった。



 ――――ディアーネを捕らえた男達



「ディアスと接触する前に確保しろって依頼だったんスけど、参ったッスね」


 リチャードのダンスホールで従者の格好をしていた若い男……ナリウスが、泥だらけとなり、傷だらけとなり見るも無残な姿となったディアーネを見つめながらそんな言葉を漏らす。


 そうしてディアーネの懐へと手を潜り込ませたナリウスは……ディアーネの懐の中を何かを求めてまさぐり始める。


 従者の格好をしていた時にはきっちりと固めていた黒髪をだらしなく崩し、無精髭を生やし、その身を革のマントで覆ったナリウスは、捕らえ縛り上げたディアーネの鎧の状態からディアーネの身に何があったのかの大体を察していた。


 草原に向かいディアスと接触し……ディアスを害そうとし、ディアスに反撃され手勢を失い、自らもその鎧に攻撃を受けて、命からがら逃げ出して来たのだろうと察していた。


「ま、ディアスに殺されてなかっただけツイてたってことッスかね。

 身柄を確保しろと言われて、死体を持ってったんじゃぁ怒られるッスからね」


 そう言いながらナリウスはやたらと手触りの良い布に包まれた何かをディアーネの懐の中で見つけて取り出し……その布の中にあった金色の印章を見てニッと笑う。


「よし! 印章も無事確保ッス……!

 ……これならリチャード様も満足されるはずッス、遅刻しちゃったことも許してくれるはずッス!」


 なんとも軽薄そうに笑いながら印章を自分の懐にしまい込むナリウスに、側に立っていた仲間の一人が呆れ混じりの声で話しかけてくる。


「そもそも、お前が飯屋巡りに夢中になったりしなきゃぁ、余裕で間に合ってたってことを忘れるなよ?

 たかが飯ごときに何日も何日も無駄に費やしやがって……」


「いやぁ、あのすンばらしい料理達を前にしたら誰だって夢中になるってもんッスよ。

 カスデクス領特産の砂糖と香辛料をこれでもかと使って、甘い料理もあれば辛い料理もあり、酸っぱい料理まであって、その上香辛料を混ぜまくってあんな複雑な味を作り出すなんて……ハァ、王都に帰るのが憂鬱になるくらいに―――」


 と、ナリウスがため息混じりの言葉を口にしていた時だった。


 突然、風切り音がナリウス達の耳に飛び込んでくる。


 鋭く強烈に響いてくる風切り音にナリウス達は咄嗟の反応で構えて、ディアーネをかばうようにしながら身を低くしての警戒体勢を取る。


 すると、その直後に風切り音がそれまでナリウス達の上体があった空間を切り裂いていき……ナリウス達の後方からカンッとの風切り音とはまた別の鋭い音が聞こえてくる。


 その音に反応し、音の方へと視線をやったナリウス達は、そこにあった木に刺さった一本の矢を見るなりに自分達が攻撃されたのだと察して一気に殺気立つ。


「……誰ッスか!!」


 腰に下げた短剣を抜き放ちながらナリウスが声を上げる。


 そうしてナリウス達はそれぞれに武器を構え、視界を周囲に巡らせて敵の姿を探り始める……が、何処にも全くそれらしいものは見当たらない。


 風切り音が聞こえて来た方向と矢の刺さり方と漂ってくる殺気から察するに、正面に見える大木と枯れ木の中間辺りに敵がいる……はずなのだが一体……? とナリウス達は困惑する。


 困惑しながらもナリウスは、探しても見当たらないのであれば仕方ないと一旦思考を切り替えて、敵の正体とその目的についてを考え始める。

 

 何故自分達は攻撃された?

 一体誰が攻撃してきた?

 自分達以外の一体誰がこの場に居るというんだ?


 と、思考を巡らせるナリウスは、ディアーネが異様とも言える恐慌状態で駆けていたことを思い出し……ある可能性に思い至る。


 もしかしてディアーネはディアス達の下から逃げ出して来たのではなく、今も尚ディアス達に追討されていたのではないだろうか。


 そうなると、つまりはディアーネを追っていたディアスか、ディアスの仲間がすぐ側に居るという可能性がある訳で……。

 

 その可能性と自分の直感を信じたナリウスが大きく口を開けての大声を上げる。


「ちょぉーっと待ってくださいッスー!

 自分達は敵じゃないッス、ディアスさんの敵じゃないッス!

 むしろ味方ッス! ディアスさんのー……弟子? 教え子? のリチャード様の命を受けて来た者ッス!」


 突然のナリウスの大声に仲間の二人が一体何を? という訝しげな視線を送ってくる中、ナリウスはリチャードから託された金貨入りの袋を懐から取り出し高く掲げる。


「その証拠にほら! ディアスさんのことを心配したリチャード様がディアスさんの為にって用意した金貨をこうして持って来てるンスよ!

 これ、これをお渡しするんで、これ以上攻撃するのは勘弁してくださいッス!!」


 ナリウスのそんな言葉を受けてか、周囲を漂う殺気が僅かではあるが確実に和らぎ始めて……ナリウスはよし! 正解だ! と内心で歓声を上げる。


「ディアーネを憎む気持ちは分かるッスけど、ここはどうか抑えてリチャード様を信じて欲しいッス!

 ここでディアーネをどうこうするよりかはリチャード様の手に託し、リチャード様の手によって裁かれる方が、ディアスさんにとっても間違いなく良い結果になるはずッス!

 俺もリチャード様も、ディアスさんを害しようだとか邪魔しようだとかいう気持ちは全くないッス! 信じてくださいッス!!」


 ナリウスがそう言うと殺気が先程よりも一層に和らいでいって……そこでようやく仲間達もナリウスの意図と敵の正体が何者であるかを察し始める。


 そうしてナリウス達は視線でもって合図しあい、頷き合い……恐る恐る警戒しながらそれぞれの武器をしまい込むと……殺気が、剣呑な空気がはっきりと分かる程に薄れて、無くなっていく。


 相変わらず相手の姿は見えず、相手からの言葉は無いままだが、どうやら安心して良さそうだとナリウスはホッと胸を撫で下ろす。


 そうしてナリウスはその手に持っていた金貨入りの袋をそっとその場に置き、仲間の一人が縛り上げたディアーネを自らの肩に担ぎ上げ始める。


 ―――と、その時、またも鋭い風切り音が周囲に響き渡る。


 すっかり安心していた所への突然の風切り音に、一体何故!? とナリウス達は驚愕し混乱してしまう。


 ナリウス達が混乱する中、迫る風切り音と共に一本の矢が突然姿を現し……ディアーネの腰辺りを掠めて地面へと突き刺さる。

  

 直後、ディアーネの腰のベルトに下げてあった袋が二つ、ジャラリという音と共に地面に落ち……落ちた衝撃で袋達の口が開かれ、袋達の中身が溢れ出たことでナリウス達は射手の意図を察する。


 その袋達の中には大量の、リチャードがディアスの為にと用意したものよりも多い、かなりの量の金貨の姿があり……ディアーネは良いがその袋は置いていけと、射手はそう言いたいのだろう。


「わ、分かったッス!

 その袋もアンタにあげるッス!

 アンタ達の好きにしたら良いッス!!」


 上擦り気味の声でナリウスはそう言って……返事を待たず、相手からの反応を待たずに、踵を返し、駆け出し……その場から逃げ出す。


 仲間の一人と、ディアーネを担いだ一人もそれに続き……そうしてナリウス達はリチャードの依頼を達成しての帰路につくのだった。



 ――――アルナー


 

「ふむ」


 と、小さく呟きながら金貨の入った袋達を拾い、抱え込んだアルナーはそのズシリとした袋の重さを確かめながら、さて、ディアスにどう報告したものかなと首を捻る。


 魂鑑定を使った所、赤みを帯びた白という結果が出た三人の男達。


 そんな結果の上に女を縛り上げ、その懐をまさぐるような男であり、しかも王国の都から来た連中となれば……もう多少の怪我をさせてしまったとしても問題の無い連中なのだろうと考えて矢を放ったものの……どうやら男達は以前ディアスが話していたディアスが育てたという孤児達の関係者であったらしい。


 魂鑑定の結果が最初から最後まで変わらなかったことから考えると、嘘は言っていなかったようで……ディアスの敵ではないと偽り無しの本音で言っておきながら、それでいて赤みを帯びているというのは……一体どう判断すべきなのだろうかとアルナーは天を仰ぎながらの唸り声を上げる。



 しばらくそうやって考え込んで……それらしい答えに至れなかったアルナーは、どうやら一人では結論を出すことは叶わないようだと、悩むのを止めて唸るのを止めて……良人の、ディアスの下に向かうかと森の中を駆け戻り始める。


 ディアスの下へと辿り着いたら、ディアスの育て子であるリチャードがディアスを案じて金を用意してくれたと、ディアーネの処分の方もなんとかしてくれるようだと話してやるとしよう。



 ……そうしてイルク村へと戻ったら、戦いで身も心も消耗させたであろうディアスの為に、何か美味しい料理でも作ってやるか、琴を引っ張り出して愛の歌でも聞かせてやるか、いや、それともいっそ……と、アルナーはそんなことを考えながら、ディアーネを追っていた時よりも軽やかに、相当に重いはずの金貨達を抱えながら森の中を駆けていくのだった。



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