5 小火

 その瞬間のことはよく覚えている。


「卜」と書いた途端、見えないはずの文字が赫く光り、指先から何かが抜けていくのを感じた。

 その次の瞬間に、発火。

 チャッカマンくらいの炎だったのだが、何せ文字を書いていたのは布団である。あっという間に火がついた。


「ふぁっふぇええええええええええっ!」(やっべええええええええええええっ!)


 俺は焦りまくった声で泣きわめき、大人が駆けつけてくれるのを期待する。

 何せこちとら赤ん坊である。ひとりでは逃げることすらままならない。


 やがて、屋敷の中からどたどたという音が聞こえてくる。


 だがその間にも火は延焼している。


 そこで、俺ははたと気づく。


「……っ! ぁくあ! あくぁ! あ、πアクア!」


 『アバドン魔法全書』では水の魔法文字として紹介されていた『πアクア』の文字を、頭いっぱいにイメージしながらそう叫ぶ。

 魔法文字の中でも、πアクアだけはかろうじて、赤ん坊の舌でも発音できた。

 とはいえ、トチ狂っていたので、文字なんて書かず、ただ叫んだだけだった。


 しかし、成功した。


 ばしゃっとコップ一杯分ほどの水が、俺の指先に生まれ、ベッドで燃え広がる火の一部を消し止めた。

 炎は燃え広がっているのですべて消し止めるには足りなかったが、


(……行ける!)


 俺は空中に文字を書きながら、


πアクアπアクアπアクアπアクア!」


 口でもめちゃくちゃに魔法文字を連呼する。


 ばしゃばしゃばしゃと水がベッドに飛び散り、燃え広がった炎が黒い焦げ跡を残して消えていく。


 そこで俺の部屋のドアが開き、


「エドガーくんどうしたの!? って、きゃあっ!」


 ジュリア母さんが飛び込んできて、ベッドの惨状に驚いた。

 その間に、俺はだめ押しの魔法を使う。


πアクア、――ぁうっ!?」


 魔法が発動した瞬間、脳の奥に鋭い痛みが走った。

 と同時に、俺の視界がブラックアウトする。


「エドガーくん! エドガーくん!!」


 母さんの悲鳴を聞きながら、俺は転生四日目にして初めて意識を手放した。



◇◆◇◆◇◆◇◆


 目を開くと、心配そうな母さんの顔が飛び込んできた。


 窓の外の様子を見るに、たいして時間は経っていないっぽい。


 ジュリア母さんにはたっぷりと叱られた。

 0歳児を叱ってもしょうがないような気がするが、それだけ心配したのだろう。


 母さんはそれからしばらく、俺につきっきりになった。

 親としては当然の反応なのかもしれないが、俺としてはとても困る。


 母さんがいると、魔法が使えないのだ。

 母さんも優秀な魔法使いらしいので、俺が魔法を使おうとするとその気配をすぐに察知してしまう。

 目立ちにくい風――λウィンドならどうかとも思ったが、どうも魔法が発動する気配のようなものを感じ取れるらしく、発動する前に「潰されて」しまった。


 この「潰す」、ということだが、よくよく観察してみると、俺が魔法を発動するのにあわせて、母さんは短く「∃」のような文字を自分のももに書いているようだった。

 ならばと思って、まずλウィンドを使うそぶりを見せ、母の「∃」を誘い、その瞬間にこちらも「∃」の文字を書いてみる。

 が、不発。母さんの「∃」が俺のλウィンドをかき消しただけで、母さんの「∃」を対象にした俺の「∃」は発動しなかった。


 頭をひねる。

 そうか、俺は「∃」をイメージしたけれど、その効果まではイメージしていなかった。

 つまり、魔法の発動に必要なのは、魔法文字とその効果をしっかりとイメージすることか。


 そう結論を出すと、俺は再びλウィンドを発動するそぶりを見せて母の「∃」を誘う。

 そしてこちらも「∃」を発動。今度は文字と効果の両方をイメージする。イメージする効果は、とりあえず「消去」といったところか。


 で、どうなったかというと。

 俺の「∃」も無事に発動し、母の「∃」を打ち消す。

 母さんが目を見開く。

 そして、母が打ち消そうとした俺のλウィンドが、妨害されることなく発動、部屋に一陣のそよ風が吹いた。


「今のイレイズ……エドガーくん?」


 怖い顔をするジュリア母さんに、俺はきゃっきゃっと笑ってみせる。


「まさか、生後一年もしないうちに魔法を覚えちゃうなんてねぇ。危ないからやめて……って言っても、わからないかなぁ」


 困ったなぁとつぶやきながら、母さんが部屋から出て行く。


 ちょっと悪いことをしてしまった気がするけど、今は好都合。


 とりあえず、【鑑定】から。

 今回から不要な情報はカットしていくよ。



 エドガー・キュレベル


 レベル 1

  HP 4/4

  MP 5/7


 スキル

  ・神話級

   【不易不労】-

   【インスタント通訳】-


  ・伝説級

   【鑑定】9(MAX) 

   【データベース】1


  ・汎用

   【火魔法】1

   【水魔法】1

   【風魔法】1

   【魔力操作】1

   【同時発動】1


 《善神の加護》


 ふむ。ステータスでは各種属性魔法のスキルの表示で、魔法文字じゃないんだな。

 ともあれ無事スキルを獲得しているようでよかった。


 それより問題は、MPである。


 まず、最大値が上がっていること。

 これはまだしも、わかりやすい。

 さっきの小火騒動の時にMPを一度使い切って気絶しているからな。

 転生もののネット小説のお約束通りに、MPを使い切ると最大MPが上がる、ということだろう。

 うん、朗報だ。


 しかし、解せないのは現在MPの方だ。

 5。

 なんでこんな中途半端な値になっているんだろうか。


 順を追って考えてみよう。

 最初に小火騒動でMPが0になった。

 これは気絶したことからも明らかだ。MPのヘルプ情報にも「MPが0になると気絶する」と明記してあったからな。


 その後、短い気絶の間にMPが回復している……のだろう。

 そうでなければ、母さんに内緒で魔法を使おうとした時点で気絶しているはずだ。

 母さんの「イレイズ」で魔法の発動を潰されているけれど、魔力自体は消費した感覚があったから、MPも減っているはず。


 そう考えると、いちばん納得の行く現在MPは3だろう。

 一回目のλウィンドを潰されて-1。

 二回目は同じく潰されたλウィンドで-1、不発だったイレイズは0。

 三回目は、母さんのイレイズを打ち消したイレイズで-1、その後発動したλウィンドで-1、しめて-2。

 つまり、目覚めてから消費したMPは合計で4ということになる。

 だから7-4で現在MPは3になる、というのが自然な発想だろう。


 しかし現在MPは5。


 俺は首をかしげながら、なんとなしにもう一度【鑑定】を行う。



 エドガー・キュレベル)


 レベル 1

  HP 4/4

  MP 7/7


 スキル

  ・神話級

   【不易不労】-

   【インスタント通訳】-


  ・伝説級

   【鑑定】9(MAX)

   【データベース】1


  ・魔法

   【火魔法】1

   【水魔法】1

   【風魔法】1

   【魔力操作】1

   【同時発動】1


 ……はい?


 MPが回復してるんですけど。


 つまり、何か、この世界におけるMPは、某狩りゲーにおけるスタミナのようなもので、時間経過で回復するものだと?


 それとも、【不易不労】の「精神的に疲れない」という特性が何か関係しているのか?


 だが、それならさっきの中途半端な現在MPの謎も解ける。

 要するに、こういうことだろう。


 ・ 1回目λウィンド打ち消され -1

 ・ 2回目λウィンド打ち消され -1、 イレイズ不発 0

 ・ このタイミングでMPが回復 ←NEW!

 ・ 3回目λウィンド発動 -1、 イレイズ発動 -1(合計 -2)

 ・ 結果的に7-2=5


 ついでに、


 ・ 鑑定結果に首をひねる

 ・ このタイミングでMPが回復

 ・ 再鑑定するとMPが7


 検証は必要だが、最後に魔法を使ってしばらく経つとMPが最大値まで回復する、ということだな。


 と、そこまで分析したところで、ジュリア母さんが戻ってきた。


「もう覚えちゃったものはしょうがないけど、普通の魔法じゃ危ないからね~」


 そう言って俺の前にミカン箱サイズの木箱を置く。

 木箱の中には積み木らしきものが入っていた。

 母さんはその中からひとつの積み木を手に取ると、その上に指でなにやら文字を書く。

 「♭」のような文字だ。

 文字は光らずふっとかき消え、次の瞬間、積み木が母さんの手のひらから浮かび上がった。


「ぁうあ!」(おおっ!)


 思わず歓声を上げる俺。


 母さんはポケットからカードのようなものを取り出し、俺に手渡してきた。

 カードには先ほどの「♭」が大きく書かれている。

 裏返すとそこには、俺の脳内対応表によれば「フィジク」と読めるマルクェクト文字が記されていた。


「これはフィジクよ。細かいことを言い出すと難しいんだけど、おおざっぱには念動力と思えばいいかなぁ? ……って、言ってもわからないか」


 母さんは俺の前にいくつかの積み木を置いた。


「これなら、危ないこともないから、魔法使うならこれにしてほしいなぁ。レベルの低いフィジクなら暴発の危険もないし」


 俺は早速、積み木に指を這わせて「フィジク」を書く。


 ふわり、と積み木が浮いた。


「うわぁ、本当に成功しちゃった。エドガーくんは、ひょっとして天才さんなのかなぁ?」


 うふふ、と幸せそうにジュリア母さんが笑う。


 なんだか嬉しくなって、目の前にある積み木に次々「フィジク」をかけていく。


 合計六個の積み木が宙に浮いた。


 どや? とばかりに母さんを見ると、母さんはまたしても目を丸くしていた。


「ど、同時発動ができるの? で、でもさっきもλウィンドを発動しながらわたしのイレイズイレイズしてたわねぇ。……これは、あの人にも相談した方がいいかも」


 ぶつぶつつぶやく母さんを尻目に、俺は積み木のフィジクを解除し、ベッドに落ちた積み木に再びフィジクを刻んでいく。

 今回は注意していたので、解除して十秒ほどでMPの回復が始まることがわかった。

 小火の時は間髪入れずにπアクアを使ったので、回復する暇がなかったのだろう。


「あ、エドガーくん、あんまり連続で魔法を使うと、また気絶しちゃうよ?」


 心配そうに言ってくる母。

 やっぱりこの回復は異常っぽいな。となると【不易不労】の効果だと考えるのが妥当かな。

 母さんの前ではあまり魔法を連発しない方がいいのかもしれない。



 ――ともあれ、これで【鑑定】に次ぐ反復作業が見つかったな。

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