NO FATIGUE 24時間戦える男の転生譚

天宮暁

1 プロローグ

 ゲーセンを出たら、悲鳴が聞こえた。


 俺の目の前、通りの向かいに、黒いジャージ姿の男がいた。


 その男は血に染まったナイフを手に、肩を刺されて逃げようとしたサラリーマンを追いかけ、その背中にナイフを突き立てた。


 サラリーマンが絶叫するのにも構わず、男はサラリーマンをさらに二度、三度と刺した。


 ぐったりとしたサラリーマンに、男は興味を失い、次の獲物を探し始める。


 その目にとまったのは、突然の凶行に腰を抜かして動けなくなっている女子高生だった。


 男が、女子高生に向かって駆け出した。


 女子高生は逃げようとするが立ち上がれず、男に腕を掴まれた。


 にやりと嗤う男に、女子高生が息を詰まらせた。


 男は、返り血にまみれた腕を振り上げる。


 その腕に、通り向かいからダッシュした俺がしがみついた。


 こんな状況だからか、俺の頭は冷え切って、男の様子をじっくりと観察してしまう。


 俺より多少、年上かもしれないが、まだ30代だろう。

 無精髭に覆われた痩せぎすの顔だが、真っ赤に充血した目と膨らんだ小鼻が異様な迫力をかもしだしている。


 俺はなんとか男の腕を押さえようとするが、男はそれを振り払い、ベルトから新しいナイフを取り出した。

 見れば、男のベルトには大小様々なナイフが吊られている。


 俺は、男が振り下ろしてきたナイフを、手に持ち替えていたリュックサックで受け止めながら、そのままの勢いでリュックごと男に体当たりする。


 が、男は俺の体当たりを回り込むようにかわすと、ナイフで斬りつけてきた。


 俺の腕から血がしぶく。


 激痛に意識が遠のき、気がついた時には腹をナイフで刺されていた。


「この……っ!」


 激痛とともに怒りが爆発した。


 俺はリュックをめちゃくちゃに振り回す。

 リュックが、硬いものがぶつかる感覚とともに、通り魔男の頭にぶつかった。

 リュックには頑丈なアケコン(アーケード筐体型のコントローラー)が入っていた。

 

 俺は痛みにうめく男に組み付き、手からナイフを奪おうとする。


 何とか、男からナイフを奪えそうになった、その瞬間だった。


 へたり込んでいた女子高生が、いきなり男につかみかかった。


 たぶん、俺を手伝おうとしたんだろうが、それが災いした。


「……ぐぶっ」


 俺の手に、何か経験したことのない感触が伝わってきた。


 目を見開いた男が、何事かをつぶやきながらずるずると地面に倒れ込む。


 俺は呆然と自分の手を見下ろした。


 血だ。


 ナイフだ。


 俺の手には、血にまみれたナイフが握られていた。


 ……つまり。


 ――俺が、刺した?



「は、犯人を発見!」



 俺が立ち尽くしている間に、通りの向こうから二人組の警官が現れた。


「犯人は黒いジャージの上下、30代の痩せ型の男――確認しました!」


 自分の身体を見下ろす。


 黒いジャージを着ていた。


 それに、たしかに俺は30になったばかりで痩せ形だ。


「ち、ちょっと待ってくれ……! 俺は……!」


 俺は思わず、手を前に出して振りながら、警官たちに呼びかけた。


 が、


「て、抵抗する気か!」


「ち、違う……俺は通り魔なんかじゃ……」


「じゃあ、その手にしてるものはなんだ!」


 言われて俺は手を確かめた。


 うん、ナイフだこれ。


 しかも、さっき刺してしまった犯人の血で真っ赤に染まってる。


 動かしがたい状況証拠に、俺は慌てた。


 動転した。


 そしてあろうことか、


「ま、ままま、待ってくれよ、俺は……!」


 激しくどもりながら警官たちに駆け寄ろうとしてしまう。


 もちろん、手にした血まみれのナイフを振り乱しながら……だ。


 いくらテンパっていたとはいえ、我ながらもっとどうにかならなかったものか。


「く、来るな……!」


 警官が銃を構えて警告する。


 頭に血が上っていた俺も、自分に向けられた銃口と、その年かさの警官の険しい表情に我に返った。

 

 のだが。


「ひ、うわぁぁぁぁぁっ!」


 今度は若い方の警官がパニクった。


「お、おい、やめろ……!」


 年かさの警官の制止もむなしく、若い警官が引き金を引いた。


 それも、一度じゃなく、何度もだ。


 ドン、ドン、ドン、と腹に堪える音が響く。


 その最後の音とともに、俺の胸に灼熱感が走った。


 あまりの衝撃に、俺は頭が白くなった。


 そして、次の瞬間から、今度は目の前が暗くなっていく。


 狭まる視界の中で、年かさの警官が若い警官を抑えているのが見える。


 その光景を最後に、俺は地面に倒れ伏し、目が、見えなくなった。


「こ、これは……あんまり、だろ……」


 そのつぶやきの後に喀血。



 こうして俺の人生は幕を閉じた。




◇◆◇◆◇◆◇◆



「……たしかに、これはあんまりね」


「どわっ、おわっ、うああああああっ!」


 女の声が聞こえた気がするが、俺はそれどころじゃなかった。


 なんだってこんなことになってるんだか知らないが、俺の足下にはいきなり地球があった。


 ……。


 すまん、言い方がまずかったな。


 要するに、俺は地球をはるか眼下に臨むような空中にいたってことだ。


 ほら、「国際宇宙ステーションから見た地球」みたいな映像があるだろう?

 あんな感じで、俺は衛星軌道上に浮かんでいて、その下には白い雲に隠された青い海と赤茶けた大地、緑の森が広がっていると、そういう状況だ。


「お、落ち、落ちる……!」


「落ち着きなさい。落ちないから」


 言われて気づく。

 確かに、俺は空高く、それこそ空気もなさそうなほど高い場所にいるが、地面に向かって落ちていく様子はない。


「あ、ああ……本当だ」


 とりあえず安全であることがわかって(それ以外のことは何一つわからないが)、俺はようやく周囲を観察する余裕が持てた。


 まず、目の前にいる女性だ。


 ま、なんていうか、あれだ、


「女神?」


 ギリシア神話のヴィーナスをイメージしてもらえば、大体合っていると思う。

 見事なボディを白い絹のような布で申し訳程度に隠した、とんでもない美女だ。

 ヴィーナスと違うのは、髪の色がブロンドではなくもっと黒に近いことくらいか。


「はぁい。その通りよ」


 女神? は蕩けるような笑みを浮かべて言った。


「……うん、まあ、何となくわかったよ」


 言いつつ、俺はため息をつく。


「あら? 何が?」


「要するに、あんたは神様で、俺は前の世界で死んで、そして今俺の足下には見知らぬ惑星・・・・・・がある。なら、こいつは転生ものだ」


 はじめ、地球、と思ったこの惑星は、どうも地球じゃないっぽい。

 やたらでかい砂漠の大陸とか、赤い台風みたいな雲とか、空に浮かぶ島だとか、どう見ても地球じゃなかったわこれ。


「……まあ、大体合っているのだけれど」


 女神は再び微笑んで、説明をはじめる。


「あなたが今言ったとおり、あなたは死にました。通り魔と間違えられて、警官に撃たれてね。……ああ、あなたの死後の名誉については心配いらないわ。あなたが助けようとした女の子がいたでしょう? その子の証言のおかげで、あなたは通り魔ではなく、通り魔を取り押さえようとした善意の第三者としてマスコミに報道されてるわ」


「……そりゃ、よかった」


 どうせ、係累もいない身なのだから、通り魔扱いされても痛くもかゆくもないが、さすがに気分は悪かっただろう。


「ま、警察は、あなたのことを通り魔を刺し殺した殺人犯として、被疑者死亡のまま書類送検したみたいだけれど。警官があなたを誤って撃ち殺したことを含めて、盛大に叩かれてるわよ」


「ざまぁ」


 と言ってみたものの、それで死んでしまった身としては、ちょっと警察幹部の首が飛んだくらいでは収まりきらないものもある。


「ま、しかたないさ。いや、しかたなくはないかもしれないが、世の中そんなもんだろ。せっかく第二の人生が歩めるんだ、通り魔だのアホな警官だののことなんて忘れちまえばいいさ」


「そうね……と、言ってあげたいところなのだけれど。悪いニュースがあるわ」


「悪いニュース?」


「ええ。あなたがこれから行く異世界に、その通り魔が転生しているの」


「はぁ!?」


「というより、あなたにはその通り魔を倒してほしいのよ。それが、今回、あなたに転生の話を持ちかけた理由よ」


「何だって俺がそんなことを……」


 あの時は無我夢中で飛び出してしまったが、ナイフを持った通り魔に飛びかかるとか、俺何考えてたんだ。

 とにかく、一度冷静になってしまうと、もう二度と通り魔と戦ったりなんかしたくないし、そもそもできる気がしない。


「気持ちはわかるけれど、こちらも切迫していてね。例の通り魔――杵崎亨きざきとおるというのだけれど、その男は悪神に仕える邪悪な魔導士によって召喚され、生け贄として用意された女児の身体を乗っ取る形で転生しているわ」


「なんで、その世界の人間に対処させないんだ?」


「この世界のルールでは、神は物質界には干渉できないことになってるのよ。その例外、というか、裏技のようなものが、今回のような転生ね。世界に危機が迫っているとか、異世界からの干渉があったとかいう非常時には、こうして神が自らピックアップした魂を転生させることで事態の解決を図るの」


「そいつは……そんなに危険なのか? ただのケチな通り魔じゃないか」


「その通り魔は、ただの通り魔じゃないわ。彼をこの世界に転生させた悪神――モヌゴェヌェスの影響を受けていて、あなたの国では通り魔を除いても百人以上の人を殺しているわ」


「ひ、百っ!?」


 本当なら、世界記録を狙えるレベルの殺人鬼だったことになる。

 ……よく無事だったな俺。


「通り魔殺人は、モヌゴェヌェスに捧げる最期の儀式だったようね。あなたに止められはしたけど、彼はぎりぎりで悲願を遂げて、この世界への転生を果たしたわ」


「……ちっ、もう遅かったってことかよ」


 命を張って戦った結果がそれでは報われない。


「いえ、あなたのやったことは無駄じゃなかったわ。杵崎亨はあなたのせいで儀式を中途半端にしか果たせなかった。そのせいで、杵崎は完全体ではなく赤ん坊の身体を乗っ取ることでしかこの世界に転生できなくなった」


 完全に無駄ではなかった、ということか。


「そのおかげで、杵崎亨が成長するまで、いくらかの時間的な猶予があるわ。その間にあなたは――」


「そいつを見つけ出して、殺す、か」


 俺は小さくうなずいた。


 この女神様は地上の出来事に直接は介入できない。

 だから、悪神の企みでこの世界に転生してしまった通り魔殺人犯・杵崎亨をどうにかするために、俺を転生させようとしている。


「……やることはわかった。だが、俺は別に軍人でも格闘家でもない。戦う力なんて持ってないぞ?」


 格闘ゲームは好きだったが、ゲームと実戦では話が違う。

 実際に誰かと戦ったことなんて、あの通り魔と戦うまで一度たりともなかった。


「もちろん、わたしから力を授けるわ。といっても、この転生はあくまでも裏技だから、あまり大きな力はあげられないの」


「おいおい、相手は悪神とやらが転生させた危険人物なんだろう?」


「わたしがあなたにあげるのは、いわば種籾よ。それに水をやり、肥料をやり、育ててもらえれば、きっと悪神の使徒にも対抗できる力がえられるわ」


 それから、と女神が続ける。


「通り魔――悪神の使徒をどうにかすることは、あなたの使命ではあるけれど、それ以外でなら、好きに生きてくれて構わないわ。わたしの力をうまく生かせば、いわゆる……そうね、『チート』な生き方ができると思うわよ?」


 チート。要するに、ゲームのシステムを逸脱したような極端に有利な条件でゲームをプレイすることだ。


 それが、この女神の依頼を受ける報酬だってことか。

 死んでたことを思えば、たしかに悪くはない。

 通り魔の相手なんか金輪際ごめんだと思わなくもないが、チートありありで挑めるならまだマシだろ。


 ……まあ、悪くはないか。リアルに転生ものができる機会なんて、これを逃したら二度とないだろうしな。


「……わかったよ。俺が死んだのも、もとはといえばそいつのせいだしな。できるかぎりのことはやってみよう」


 それに、女神ははっきりとは言わなかったが、元の世界で死んでしまっている以上、俺にここで断るという選択肢はもとよりない。


 女神は申し訳なさそうに目を伏せて、言った。


「ありがとう。わたしは魂の輪廻を司る女神アトラゼネク。そして、眼下に広がるこの世界、あなたがこれから赴く世界の名は、マルクェクト」


 女神が俺の頬に手を伸ばす。


 人のものとは思えない、やわらかく繊細な指が、俺の頬をゆっくりと撫でる。


 女神は何かを確かめるように俺の顔を撫でまわしながら、


「ふむふむ、なるほど。あなたにはあのスキルがいいかしらね。ちょっと尖ったスキルだけど、あなたの好みにはピッタリのはずよ」


 そして――


「我は誓う。悪神と戦うことをうべないし者に、我が加護を授けんことを。――スキル授与、【不易不労】」


 誓いの言葉とともに、女神の濡れた唇が俺の頬に触れる。


 女神の唇から、とてつもなく熱い何かが身体に染みこんでくる。


「う……っ、ぐぁ……」


「……そろそろ、お別れの時ね」


 頬を押さえてうずくまる俺に、女神が言う。


 見れば、俺の身体が徐々に透けていく。


「スキルはこの世界、マルクェクトに属するもの。スキルを得たあなたは、半ばマルクェクトのものとなった。そして、マルクェクトのルールでは、神は地上のものに干渉することができない。あなたを、この場に留めておくこともできない」


 女神の言葉とともに、俺の身体がふわりと浮いた。


 いや、違う……これは落ちてるんだ!


 俺は、猛烈な勢いでマルクェクトとやらに墜落しながら、神の最後の言葉を聞いた。



「このような運命を与えておいて言えたことじゃないけれど……どうか、命を大切に。通り魔に立ち向かったあなたは勇敢でしたが、同時に無謀でもありました。わたしの使命のために、命まで賭けることはないわ。そのスキルは、あなたが生き延びるためにこそ、使いなさい――加木智紀かぎとものり

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