第19話 残り香
『■■■―――武器をとれ』
まるで宝石のように冷ややかな深緑。
ゆらりと幻惑するように揺れる切っ先に目を奪われたほんの一瞬の後には地に這いつくばってそれを見上げていた。
『石くれだろうが残骸だろうが友の骨だろうが拳だろうが知恵だろうが―――敵と相まみえながらに武器を持たないではただ死ぬだけだ』
ふらつきながらも立ち上がろうとした瞬間に、木剣の切っ先が強引に顎を打ち上げる。
跳ね上がった胴体を容赦なく突き穿ち、そしてまた、今度は仰向けに倒れたところを見下ろされる。
『俺たちの敵は魔獣だ。我ら人類が勝るものなど狡猾さくらいのもの。武器を持て。戦え。さもなければあれらは生きているだけで私たちを殺すだろう』
―――てめぇがゆーとイヤミなんだよッ!
『……そう思うのならお前は、魔獣というものを知らなさすぎる』
―――――
―――
―
「―――……家族、か」
なんとなく思い出した母とのやりとり。
互いに互いを親と子として愛しているという実感は女の胸の内にある。
しかしそれ以前に彼女は上司であり、戦士であり―――そして女は部下であり、戦士であった。
物心ついたときから女はそれを望んでいた。
だからそれをさみしいと思ったことはない。
あれはあれで良き関係だったのだと心の底からそう思う。
けれど。
「アルト姉! アルト姉!」
幼気に慕ってくれるラクラや、いかにも怪しすぎる自分を温かく受け入れてくれる夫婦、それによそ者だというのに邪険にしないでくれる村の人々―――彼らと触れ合ううちに。
女は、ほんの少しだけ……思い出の引き出しがほんの少し引っかかるようなそんな些細な分量だけ、母との思い出を―――寂しい、と。
そう思うようになっていた。
ラクラがそうであるように、母に甘えていたらどうなっていただろう。
戦士ではない人生を望んだとしたら、いったいどうなっていただろう―――
「ふっ」
なんということはない。
もしもそうだとしても―――きっと。
今とそう変わりはないことになっていたに違いないのだ。
なにせ母の最も格好よい姿は、憧れるのは、間違いなく戦士としての横顔なのだから。
「どうしたラクラ。なにか楽しいことでも思いついたのか?」
「えへへ!あのねあのね―――」
抱き上げてやれば、ラクラは楽しげに思い付きを語る。
どうやら彼女は女やオノとともに森のほうにお散歩に行きたいらしい。
女はもちろん笑みでそれを受け入れ、嫌そうなオノを無理やり抱っこする。
するとラクラも抱っこをせがんできたので仕方なく肩車で我慢してもらうが、どうやら彼女はそのほうがお気に召したらしく、高身長な女の視点に感動の声を上げてはしゃいだ。
腕の中に少女、肩の上に少女という重装備も何のその、女は持ち前の驚異的な膂力によってすたすたと歩きまわれる。
そんな状態であいさつをしたものだから夫婦はたいそう驚いていたが、普段の働きぶりを見ているのですぐに納得し、あまり深くまではいかないようにという注意の言葉とともににこやかに送り出してくれた。
そんなわけでのんびり散歩などする女たち。
逃亡者という言葉について、やはり一度考える必要がありそうなのんきさである。
ラクラの指示に従っててくてくと森の中を歩いていると、やがて女はなにか、とてもイヤな気配に気が付く。
胸の内に秘められた竜の呪いがざわめき立つような、そんな気配。
ずいぶんと薄くはあるが、それでも確かにそこになにかが居たのだと―――否。
「あっ! ここ! ここにアルト姉たちいたんだよ! ここで見つけたの!」
「なるほど」
つまりイヤな気配もなにも、これは自分の力の名残なのだ。
あの正気を喰らって力を増すような瘴気―――なるほど好ましいものであるはずもない。
それを理解した女は苦笑する。
どうやらラクラは女たちをここに連れてきたかったということらしい。
彼女はここを女とオノに出会った特別な場所だと思っているようで、「ここに倒れてたんだよ!」などと楽しそうにはしゃいでいる。
女からすれば記憶にないというか意識がなかった間の出来事である。「こんな感じ!」と言って倒れていたときの再現をさせられても反応に困った。
困ったが、なんだかんだラクラが楽しいのならいいかと笑って付き合ってやるあたり彼女も彼女でずいぶんラクラを可愛く思っているようだった。
―――ラクラを見ていると、女は、まるで自分がラクラの姉になったようにさえ思えてくる。
兵士となってからの十余年、英傑となってからのこの短期間はどちらも忙しなく、戦いに満ちた日々だった。
だからこんなにもこの場所から―――この穏やかな場所から離れがたいのだろうかと、女はそんな風に思う。
もちろん、そんな平穏がいつまでも続くわけがないのだと、女は知っている。
そもそも目指すはまだ遥か彼方なのだ。
いつまでもここにはいられない。
今こうして、竜の呪いを―――この穏やかな時の中で見ないふりをしていたその現実を思い出してしまったことで、女は終わりの時を強く感じるのだった。
―――ふと。
女は、ひときわ強い気配がそこにあると気が付いた。
惹かれるように近づいていくと、木の裏の藪の中にそれはあった。
「ふっ。こんなところにいたのか」
飛び出した柄を握りあっさりと引き抜く。
血色に染まった刃が木漏れ日にさらされて不満げに鈍く光る。
すまんすまんと内心で謝罪してそれからしっかりと柄を握りしめる。
てっきりなくしてしまったと思っていたマチェットが、再び手中に戻ってきた。
「な、なぁにそれ……」
さすがのラクラも禍々しいものを感じるのか不安げに問いかける。
女は安心させるようにそれを手の中でくるりと回して笑った。
「これは大切なものでな。そう心配せずとも危険はない」
くしゃりと頭をなでればラクラはほっとした様子で微笑んで女にじゃれつく。
マチェットを腰のベルトに無造作にひっかけてそれを受け止めながら、改めて女は思う。
失せ物も見つかった今、そろそろ本格的に出立の時は近そうだ。
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