篠突く雨

「いってらっしゃい」


稔吏は立ち上がり、綾瀬に向かって手を振る。

笑顔で送ろうと思ってたのに引きつった笑みしかできなかった。

昨日から気分が落ち込んでいるのが自分でもわかっていた。


「悠衣」


口の中で幼馴染の名前を転がす。


「どうすればよかったんだろ」


あのとき私がもっと綾瀬に……悠衣に優しくできてたら変わってたのか。

そんなこと考えててももう意味ないんだろうけど。

稔吏はガチャっと音を立てながら倒れ込むようにパイプ椅子に座る。

私達の関係が崩れてしまったのは、きっと私のせいでもある。

あのときは冷静な判断ができてなかった。

だからといって悠衣を攻撃していいといった理由にはならない。


「でも……今更謝っても」


きっと遅い。

そのとき病室の扉が開き、誰かが入ってきた。

稔吏は視線を向けながら入ってきた人物に向かって声をかけた。


「すいません、今綾瀬は検査に……」


視界に入っているのは紛れもなく幼馴染で。

それと同時に胸が苦しくなって。


「ごめん」


悠衣が俯き、謝罪の言葉を口にする。

その時自分の中で水とナトリウムが化学反応が起こったように、急激に怒りが込み上がってきた。

悪い癖だと認識はしていたけれど止められなかった。


「いつも謝ってるね。それしか語彙無いの?」


稔吏は病院に迷惑がかからないよう、声を抑えて言う。

それくらいの理性はまだ残っていた。

悠衣は喉に何かが詰まったような音を出した。

それに対してまた苛立ちが募る。

さっさとなんか


「言い返せよ……」






「――言い返せよ」


稔吏の小さな呟きが耳に届いた瞬間、私の顔は自然と上がった。

理由は分かんないけれど今は上げなきゃいけない気がした。

久しぶりに真正面から見た幼馴染の顔は怒っているようにも悲しんでいるようにも見えた。

たださっきまで彼女の纏っていた怒りは本物だった。声にも刺々しさがあった。

でも……なんでそんな顔してるの?


「やっぱ何も言わないんだね」


呆れたような表情をしながら稔吏は体を私から背けた。

その対応に私も苛立った。

なんだよっ。勝手に決めつけやがって。

私はバックからプリントの入った茶封筒を取り出し、ベットに投げつけるように置いた。

そして私はそのままの勢いで口を開いた。


「私だって怖かったんだよっ!」


思ったよりも大きな声が出たことに自分自身で驚いた。

でも今はそんなことどうでも良くて、気持ちが沸騰したまま私は病室から出た。

背後で虚しく扉が閉まった。

私は口から息の塊を出した。

彼女には伝わっただろうか?

いや……伝わってなくても良いか。

伝わってしまったら、分かられてしまったらきっと私は私をもっと嫌いになってしまう。


「臆病者」


私は口の中で苦くて痛い言葉を転がした。






いつの間にか強くなった雨の中を私は一人、歩いていく。

真っ青な傘が雨にぶつかられると同時に短い悲鳴をあげる。

雨の水分を吸い込んで重たくなった心を抱きかかえながら濡れた靴でかろうじて前に進む。

私は家に帰る気にもなれず、かといってこのまま雨に濡れる気もなかった。

なんとなくいつも曲がる道を反対に曲がる。

特に何があるというわけではなかったけど、今は少し現実から目をそらすために。

とほとほと歩いていると、視界の片隅に懐かしい商店街が見えた。


「あ……」


確か、まだ小学生くらいのとき稔吏と綾瀬とよく行った思い出のある商店街。中学に入ってからは忙しくなっていけなくなったけど。

透明な屋根に守られた商店街からは少し暖かい橙色の灯りが漏れていた。

自然と足が商店街に向かった。

雨だからか大通りに人は少なく、寂しげな雰囲気が充満していた。

入口付近に飲み屋が入っているところ以外は何も変わっていなかった。

傘についた水滴を落とし、少し汚れたコンクリートに水を垂らしていく。

記憶よりもすこし小さくなった店構えを眺めながら奥に進んでいく。


「お!悠衣ちゃん。ひさしぶりやな」


ちょうど商店街の真ん中を過ぎた所で八百屋のおじちゃんに声をかけられた。


「吉谷のおじちゃん……覚えてくれてたの?」


「そらそうやろ。こんなにも可愛い子を忘れるわけ無いやん」


懐かしい笑顔でそう言って吉谷おじちゃんは手招いた。

私が近づくと優しげな笑みを浮かべ私に向かって何かを差し出してきた。


「ほれ、ラムネ。好きやったろ?よーく三人で前で飲んどった」


吉谷のおじちゃんは懐かしむようにビー玉で蓋のされている瓶のラムネを私に差し出してきた。


「そうだったね……」


「はよ、良くなるとええな」


吉谷のおじちゃんのシワの刻まれた手からラムネを受け取ると同時におじちゃんは私にそう微笑みかけた。


「綾瀬も早く良くなって、またここに来れるといいですね」


私がそう言うと、吉谷のおじちゃんは「そっちもそうやな」と言った。


「そっちも?」


私が首を傾げると吉谷のおじちゃんはなんてことなさそうに言った。


「三人でまたラムネ飲んどる姿、見せてな。みのちゃん、いつも寂しそうやから」


稔吏、まだ来てたんだ。

私はなぜか安心した。

吉谷のおじちゃんは視線を下に向けると、おどけたように言う。


「この老いぼれにはそんくらいしか楽しみがないんや。ガハハハ」


「まだまだいけますって。人生100年時代ですよ?」


「何言っとんねん、もう70超えてくるとないつ逝くかわからんで!」


吉谷のおじちゃんはそう言って豪快に笑った。


「大丈夫や。あんたらやったらな」


その根拠のない理論が今はとても素晴らしいもののような気がした。


「そっか、元に戻れたらまたラムネ貰いに来るね」


「まかしとき!三本、冷たいやつ準備しといたる!」


私は吉谷のおじちゃんに向かって深く頭を下げると、また奥に進もうと一歩踏み出したときだった。

どこからかキターの音色と暖かい灯のような声が反響して小さく聞こえた。


「ともちゃん、始めたな」


吉谷のおじちゃんが頬をほころばせる。

私はその音の聞こえる方に向かっていく。






大通りから外れたCDショップの前に灯織は居た。

目をつぶりながら気持ちよさそうに歌う彼女の前にはだいたい10人前後の人が居た。その中には私と同じ年くらいの少女もいた。

演奏が一区切りしたとき、私は灯織に声をかけた。


「なんでいんの?」


「あ……」


灯織は隠し事がバレた子供のような顔をして、ギターを抱えたままこちらに歩み寄ってきた。


「あははは。まさか悠衣がここに来るとは予想外だったわ」


「私もここに風邪で休んでた人がいるとは思わなかった」


「ははっ仮病最高」


ニッコリと笑みを私に向けてくる灯織に向かって私は真面目に彼女に言った。


「仮病のこと黙っておくからさ、協力してくれない?」


灯織は私がどれだけ真面目なのかを察知したのか、声質を固くして言った。


「話長くなりそうだね」


「うん。ごめん」


灯織はCDショップの中に入るように私を促した。

CDショップの中に入り、主にアルバイトの人達が使う控室のようなところにある椅子に座った。


「そうだね……まずはサイダーでも飲む?」


そう言って灯織は彼女のバックのそばに置いてあった瓶のサイダーを私に差し出した。


「大丈夫。持ってる」


私はそう言ってサイダーを揺らす。


「そか」


灯織がサイダーを開けると同時に私は話し始めた。


「綾瀬はね……五感が消える病気になってるの」


私はすべてを話した。自分の気持ちを整理するためという自分勝手な思いを持ちながら、ありのままをすべて。

そして私はこの言葉で結んだ。


「私達を助けてほしい」


灯織はすべてを聞き終えると、サイダーを一口飲んでからこういった。


「本当は私が入るべきではないと思うけどさ、少し間に入るくらいは許してくれるよね?」


「うん。見てくれるだけでもいい」


「ん。わかった。解決はしてあげないけども、てかできないけども少し道を整えるくらいはできると思うから」


そう言って私の親友は暖かい笑みを浮かべた。



――――



悠衣が出ていくのを見届け、灯織は大きく息を吐く。


「ほんとは介入すべきじゃないんでしょうけどもね……」


控室に灯織の声が響く。

わかってる。

これはあの三人の問題だから第三者が入ってはいけないことくらいは。

でも。


「はじめて頼ってくれたからね……いくら私でも無碍にはできない」


灯織はグッとサイダーを飲み干し、気合を入れる。


「一肌脱ぎますか」


灯織はボソリとつぶやいた。

その決意に同意するかのようにからりと瓶の中で水色のビー玉が転がった。

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