第2話

 クラスメイトの神木場かみきばヒメコを表現するなら、空気みたいな女の子、がぴったりだろう。


 彼女の学校生活は、8時30分に登校してくるところから始まる。

 不思議なのだが、8時25分に来ることもなければ、8時35分に来ることもない。

 雨の日だろうが、台風の日だろうが、精密機械みたいに30分ジャストにやってくる。


 授業中の態度はいたって真面目。

 スマホをいじくることも、教科書の余白に落書きすることもない。

 先生の目を盗んで居眠りするとか、こっそりお菓子をつまみ食いするなんて論外だ。


 そして休み時間。

 ヒメコはいつも本を取り出す。


 ある日はライトノベルを読んでいるかと思えば、別の日はベストセラーの大衆小説を読んでいる。

 さらに別の日は難しそうな外国文学を持ってきたりと、ラインナップがコロコロ変わるのが特徴だ。


 友達は、たぶんいない。

 日中、誰とも話すことなく、本人もそのことで気に病んでいる様子はなかった。


 ゆえに友達がいないというよりは、友達という概念が頭からすっぽり抜け落ちていて、1人の時間を満喫しているといった方が正確なのかもしれない。


 もっとも意外なのは、成績があまり良くないこと。

 この日の4限目、国語のテストの返却があって、ヒメコは65点を取っていた。

 それほど難しい設問じゃないから、おそらく半分より下の順位だと思われる。


 顔立ちは、普通にいい。

 というよりお人形さんみたいに整っている。

 

 長すぎる前髪が顔の半分を隠しているせいで、じいっと凝視しないと分からないのだが、あらゆるパーツが完ぺきなバランスで配置されていることに、坂木ミチルは前々から気づいていた。


 かといって、美人という評判は立たない。

 影が薄いのもさることながら、低身長がネックになっているせいだろう。


 真後ろからヒメコを観察すると中学生にしか見えない。

 下手すると小学6年生でも通用しそう。


 もちろん、背の低さはクラスで1番。

 黒板の上の方を消せなくて困っているヒメコは、滑稽こっけいというより、見ていて飽きないペットに近かった。


 もう1つ、ヒメコには1番がある。

 ずばり、胸のサイズだ。


 未熟な背丈とは裏腹に、こっちは制服の胸元がパンパンになるほど成長しており、ヒメコに勝てる女子はクラスにいない。


 首から上はロリっ子。

 胸元だけはセクシー女優。

 そして腰から下は華奢きゃしゃな体つき。


 神様だって時には失敗するというが、ヒメコの体型についていうと、完全にバランス配分をミスったといわざるをえないだろう。


 昼休み。

 ヒメコが、ふわあ、とあくびをもらす。

 昨夜は夜更かししたのだろうか。

 とても眠そうだ。


 しかし、みんなはヒメコの仕草に興味がない。

 ミチルだってありふれた男子高校生だから、


『神木場さん、眠そうだね。そんなにおもしろい小説があったの?』


 と声をかけるほど馴れ馴れしくはない。


 神木場さんのあくびの声……。

 ちょっとだけイルミナ=イザナに似ていたような……。

 いや、ほんのちょっとだけれども。


 昨夜もライブ配信していた女性VTuberのことを思い出し、自分の頭をポンポンと叩いておく。


 バカか。

 偶然に決まっている。

 声が似ている人間なんて珍しくないだろう、と。


 その時だった。

 ボールのような影が飛んできて、ヒメコに命中しそうになったのは。


 ミチルはとっさに腕を伸ばしてキャッチした。

 手の中には、柔らかい物体……丸めたハンカチがある。


 投げた犯人は野球部の男子だった。

 丸めたハンカチで友達とキャッチボールしていたら、すっぽ抜けてコントロールに失敗したらしい。


「悪いな、坂木」

「おう」


 神木場さんには謝らないんだな。

 内心で舌打ちをしつつヒメコを見ると、思いっきり視線がぶつかってしまう。


 やけに愛くるしい。

 くりっとした目がレッサーパンダみたい。


 恥ずかしくなって顔を背けたら、床に落ちている消しゴムを発見した。

 よく見かける青と白の消しゴムカバーのやつ。


「これって? 神木場さんの?」

「ありがとう」


 渡そうとしたら、指と指がちょこんと触れた。

 ヒメコは肩をびくつかせて、火傷やけどしたみたいに手を引っ込めてしまう。


「あ、ごめん、俺の不注意だった」

「そうじゃなくて……え〜と……」


 消しゴムをお守りのように抱きしめてモジモジするヒメコ。


「あの……坂木くん……だよね。お話しするの、初めてで……」

「そうだね。進級から何十日も経つのに、まともにコミュニケーションを交わすのは初めてだよね」

「え〜と……あ〜と……ん〜と……」


 もしかして、男性恐怖症なのか。

 だったら、無理に話さなくても……。


「実は、坂木くんにきたいことがあるのだけれども……」

「ん? 俺に?」

「うん……」


 折悪くもチャイムが鳴り、数学の先生がやってくる。

 後ろ髪を引かれる思いはあったが、ミチルは席へ戻らざるをえなかった。

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