第6話 背景の殺人4



 フォヴォンヌ子爵邸の大食堂で、晩餐会がひらかれていた。長卓ちょうたくの主催者側に子爵夫妻が、来客側にミルジュ侯爵とゴードレール夫人がならんですわっている。


 いつもの子爵家なら、賓客ひんきゃくを迎えたときは銀食器の一式を使う。しかし、今夜はラ・ヴァン窯の磁気だ。白磁に上品な染つけ、金彩も美しい。銀製品はある種の毒で変色するというので、用心したわけである。


「伯父さま。カモの肝がお好きでしたでしょ? お召しあがりになって」

「うむ」

「伯父上。このマスは今朝、ルーラ湖であがったばかりですよ。漁師にたのんで、特別にいきがいいのをとりよせました」


 夫婦で料理をすすめるので、ミルジュ侯爵はご満悦だ。

 が、ゴードレール夫人は何かを勘づいたのか、眉をひそめる。


「あなた。肝臓はお体に悪いわ。こってりしたものは医者にとめられておりますでしょ?」

「おお、そうだね。でも、ひと口だけなら」


 侯爵がナイフとフォークをにぎる。やわらかな肝にスルスルと刃が入る。

 緊張して見つめる子爵夫妻。


 ところが、そのときだ。

 ろうかからバタバタと派手な足音が近づいてくる。


「困ります。今宵は大事なお客さまをお迎えしておりまして——」


 召使いがしらの弱りはてたような声が聞こえる。

 やがて、食堂の扉が外からひらかれた。


 クルミ材の扉から現れたのは、金髪碧眼のものすごい美青年だ。ろうかの燭台しょくだいの光。食堂のシャンデリアの光。あらゆる照明が彼の髪を輝かせて、黄金細工のようにきらめかせている。


「な、何事ですか? えーと?」


 フォヴォンヌ子爵はうろたえた。

 が、子爵夫人にはその美青年に見おぼえがあった。何しろ、これほどの美貌としっかり目があったのだ。忘れるわけがない。我知らず、頬が赤らむのを、子爵夫人はどうすることもできない。


 美青年はマントをなびかせ、食堂へやってくると、ミルジュ侯爵の手を押さえた。


「この料理にはいっさい手をつけてはなりません。閣下」

「なんだ? そちは?」

「おれは何者でもよろしい。ただの助手にすぎないのでね」


 すると、遅れて、ため息をつきながら、もう一人の青年が入ってくる。とび色の髪、濃いハチミツのような琥珀こはく色の瞳の、こちらもなかなかの好青年だ。整った顔立ちに浮かぶ表情は、おだやかで温厚な人柄を表している。どちらも身なりはいい。貴族だろう。


「初めまして。裁判所預かり調査部のジェイムズ・ル・レイ・ティンバーです。本日はお招きもなく参上して申しわけない。じつは……その、今宵の晩餐の料理に毒が混入されているという情報を入手いたしまして」


 それだけで、子爵夫人はドキリとする。夫を見ると蒼白だ。言葉もなくブルブル首をふっている。

 すると、金髪の美神像のような青年が、よこから口をひらいた。


「毒じゃない。睡眠薬だ。あるいは腹くだしの薬のような」

「えっ? そうなのか? でも、侯爵が殺されることを案じてたんじゃないのか? ワレス」

「最初はね。でも、途中で気づいたよ。子爵夫妻の狙いは侯爵の殺害じゃない。侯爵が明日の結婚式に出られないようにすることだ。その動機からかんがみても、猛毒を使うはずがない」


 気の短い伯父は顔を真っ赤にした。


「なんだと? 私の式をジャマしようとしたのか? えっ? どうなのだ? フォヴォンヌ」


 子爵はただオロオロしている。

 するとまた美青年が口を出す。

 どうでもいいが、彼が口をひらくたびに花のようなかぐわしい香りがして、なんだか、子爵夫人はウットリしてしまうのだった。


「でも、閣下。彼らを責めてはいけません。子爵夫妻はあなたの身を案じての所業ですよ」

「そうなのか?」

「閣下はご存じですか? あなたが結婚しようとしているゴードレール夫人は、これまでに三人も夫を亡くしている。どれも結婚して十年以内に」


 侯爵は見るからに青くなった。


「うむ……聞いたことはある。が、それは悲しいぐうぜんだろう。今回の結婚には関係ない」

「しかし、三度も、結婚してまもなくに夫が死ぬなんて、世間ではそれを必然だと思う。つまり、死んだ夫たちはその夫人に殺されたのではないかと」


 侯爵の顔色は青いまま戻らない。今度は言い返す気力がないようだ。


「子爵夫妻もそう考えた。だから、大切な伯父上が悪女に殺されてはたいへんだと思い、結婚を阻止しようとしたんです。そうですよね? フォヴォンヌ子爵。子爵夫人」


 子爵はうなだれた。

 子爵夫人は美青年の青い瞳に顔をのぞきこまれて、なんだかよくわからないが天にも昇る心地になった。


「ええ。そうなの。伯父さまがだまされていらっしゃると思って。わたしたちが助けてさしあげなければと案じたの。子どものころに父を亡くしたわたしにとって、伯父はお父さまのような存在ですから」


 正直でよろしいというように、美男が目の前でニッコリ微笑む。子爵夫人の心はもう天国に舞いあがった。


「そうだったのか……そなたらに心配をかけたのだな。すまん」

「いいえ。伯父上。あなたはわが一門の長です。お守りするのは当然のことですよ」


 かたくうなずきあう侯爵と子爵。

 しかし、ここで美神がまた語りだした。


「ところが、裁判所の記録を調べると、ゴードレール夫人の夫たちは、もともと、かなり高齢だ。結婚したときには、すでに七十代。若くても最初の夫の六十代。その最初の夫は寒中水泳の最中に溺死。二番めの夫は狩りで熊に襲われて。三番めのもっとも老齢だった夫は、風呂に入ったあと、とつぜん倒れた。完全に年齢のせいだな。どの夫の死因にも、夫人は関与できない。天寿と事故だ」


 ゴードレール夫人は恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めた。


「わたくしも早くに父を亡くしたのです。祖父母に育てられましたわ。だから、祖父くらいの年の殿方といると落ちつくのです」


「そんなこと——」と言いかける子爵を、美貌の青年が片手をあげてさえぎる。何をしてもになる。


「それは本当です。証拠に彼女は亡き夫の遺産のほとんどを放棄している。三度の結婚で彼女が最終的に得たのは、夫との思い出と当面の生活費だけだ」

「信じられない……」

「だが、それが真実だ」


 高齢嗜好ジジ専——


 一瞬、独特の沈黙が場を支配した。


「あら、それじゃ、ほんとに伯父さまと好きあって?」

「もちろんですわ」

「素敵じゃない。伯父さま、おめでとう!」

「うむ。祝ってくれるのかね? 嬉しいよ」

「明日が楽しみねぇ」


 笑いあう人々の前から、いつのまにか、二人の青年は消えていた。



 *



「殺人事件ではなかったな。ワレス」

「ああ」


 談笑が外まで聞こえてきそうな子爵邸の明かりを、ワレスはかえりみる。


「まったく、おれの背後で意味ありげな会話をするのはよしてほしいね」

「幸せそうで何よりじゃないか」


 ジェイムズが笑うので、ワレスは肩をすくめた。




 了

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