第10話 わたしの愛する……2
「シルの恋人はしょっちゅう変わったから、もしかしたら、今のおれのような商売もしてたのかもしれない。おれの前ではいつも優しかった。ただ、夜中によく、うなされていた。叫び声をあげてとびおきることが、しばしばあった」
「どうして?」
「悪い夢を見るからだ。おれにはハッキリと話したことはなかったが、きっと子どものころのことを夢に見たんだろう。人には話せないようなツライ過去を」
「ふうん……」
ワレスの瞳は薄闇のなかでもキラキラと輝く。青い炎のようなその光に魅せられて、わたしはしだいに眠くなってきました。その声も魔法のように心地よくて。
「おれの話は退屈か?」
「違うよ。話して」
「ああ。眠たくなれば寝ればいい」
今度はワレスがわたしの髪をなでてから、また話しだす。
「そういうとき、決まってシルは外へ出ていくんだ。夜風にあたってくるからと言って。最初のうち、おれは深く考えていなかった。ただ、彼のなぐさめになれないことが残念だった。
おれたちは同じみなしごで、仲間だった。年は離れていたけど、おれにとっては大切な親友みたいなものだった。ほんとの父からは暴力を受けて育ったから、そういうとこも、たぶん、シルとおれはいっしょだった」
「ワレス。お父さんになぐられたの?」
「ああ。ヒドイ親父だった。母が死んでから酒びたりになって、子どものおれの手からでも金をむしりとるやつだった。おれが弟妹のために必死に稼いできた小銭を。シルもそうだったんだと思う」
わたしが泣きそうになると、ワレスはほのかに笑う。
「そのころ、街で男が殺される事件があいついだ。心臓をナイフで刺されて死んでいた。みんな、四十代から五十代の男だ。身なりは裕福だが、子どもを金で買うようないかがわしいヤツらさ。だが、殺されても金はとられてなかった。だから、役人は怨恨だと考えてたようだ。街を歩けば、そのウワサで持ちきりだった。子どものおれの耳にも届くほど」
なんだか聞いているだけで背筋がゾクゾクしたことをおぼえています。
きっと悪いことになると、直感で悟ったからかもしれません。ワレスの表情から、それを読んだのかも……。
「それで、どうなったの?」
「イヤな予感はしてたんだ。夜中に叫んでとびおきて、街へ出ていったあとのシルは、いつも血の匂いがした」
「それって……」
「そう。犯人はシルディードだった。彼は子どものころ自分を虐待した年ごろの男たちを見ると、どうしても殺したい欲求を抑えられなくなるんだ」
「やっぱり!」
「おれは心配になって、一度だけ、あとをつけてみたことがある。間違いなかったよ。シルがやってたんだ」
ワレスは長いこと沈黙していました。その当時の不安な夜を思いだしていたのでしょう。
「でも、おれはそのことを一度も責めなかった。それどころか、何も知らないふりをして、いっしょに暮らしてた。おれと彼は仲間だから。大人になったら、おれがシルを悪い夢から守ってやろう。そんなふうにさえ考えていた。
それでも、いつまでもそんなこと続くわけがない。役人だってバカじゃないからな。だんだん身のまわりに兵士の気配が近づいてくるのがわかった。街の巡回や見張りが増えた。おれはシルがとびだしていくたびに、どうか無事に帰ってきてくれと願うことしかできなかった」
低い声でささやくワレスの目には、もうわたしの姿は映っていないようでした。過去のその人を一心不乱に見つめているのです。
「ある夜、街がやけにさわがしかった。シルが出ていったすぐあとだった。呼子が響きわたり、大勢の
一晩じゅう、さまよった。でも、おれは気づいたんだ。かけまわる兵隊たちの動きが、少しずつ、近づいてきていると。おれとシルの住む小さな家に。追われたシルが、おれたちのあの家に帰ろうとしていると、おれは悟った。
おれは急いでもとの家へ戻りながら、ずっと願ってた。『シル、逃げて。お願いだから、逃げて』と」
「ワレス……」
「夜が明けるころ、シルディードは帰ってきた。おれたちの部屋がある坂道の下に、彼の姿が見えた。あちこちケガをして血を流していた。おれは今でも不思議なんだ。なんで、シルは逃げようとしなかったのか。兵隊に見つかったとき、遠くの街へ一人で逃亡することだってできたはずなのに。でも、彼は帰ってきた。離れてたけど、目があったと、ハッキリわかった。おれの姿を見て、シルは笑った。『すまない。さよなら』唇の形が、そう読みとれた。
そのあと、彼は反転して、みずから川にとびこんだ。死体は翌日あがったよ」
ワレスが泣くところを見たのは、それが最初で最後です。声もなく、青い瞳から涙をこぼす彼を見て、わたしは自分のことのようにつらくなりました。
もしも、です。
もしも、ワレスがシルディードで、わたしがワレスの立場だったとして、彼がいなくなってしまうことは、何よりも悲しいことでしたから。
「世間的には、シルは人殺しで、悪いヤツだった。それはわかってる。でも、おれにはあのころ、彼しかいなかった。シルだけがおれを愛し、育んでくれた。シルだって、子どものころにそういう相手がいれば、大人になって、ああはならなかっただろう。きっと、彼はおれより孤独な幼少期をすごしたんだろうな」
わたしはワレスをなぐさめるために言いました。
「でも、最後にワレスに会えたよ。シルディードはワレスに会うために帰ってきたんだ。きっと、さみしくなかった」
「そう……だな」
微笑む彼を見て、わたしは眠りにつきました。
*
それで、それからどうしたかって?
わたしは翌日にはジョスリーヌの屋敷に追いかえされ、やがて実家が明らかになりました。大きな馬車がわたしを迎えにきて、お城へつれていったのです。
ワレスとはそれ以来、会っていません。いつでも会えるからと言っていたくせに、彼は嘘つきですね。
ただ一度だけ、遠くからながめたことがあるのですが。わたしが必死に呼んでも、ワレスはそばに来てくれませんでした。彼の麗しいおもてに浮かんでいたさみしげな笑みが、今でもまぶたに浮かびます。
大人になれば、わたしからたずねていくこともできました。でも、わたしにはその勇気がありませんでした。
なぜって?
わたしにはどうしても、彼の話してくれたシルディードとワレスの姿が重なるのです。彼が人殺しだと言ってるんじゃないですよ?
なんとなく、彼には胸の奥に秘めた深い傷があって、そのためにずっと苦しんでいるのだという気がしていました。
自分の居場所を探し求めているような……。
目を離すと遠くへ行ってしまう。そんな心地。
もしも会いに行って、彼がそこにいなければ、悲しいじゃありませんか。
だから、これでいいのです。
わたしのなかでは、あの人はいつまでも、神々しいほど美しい青年のままです。
きっと、今も皇都でジゴロをしている。
あの輝かしい黄金の髪を風になびかせて——
ジゴロ探偵の甘美な嘘4〜短編集『ワレスは素敵なジゴロ』〜完
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