第4話 ジゴロと少女6



 すっかり日が高くなってから、ワレスはトリスタンをつれて、ラ・ベル侯爵家へ出向いた。


 ジョスリーヌは美しいおもてにクマを作って、まだ寝巻きのままだった。一晩じゅう、トリスタンを探していたのだろう。


「すまない。おれに会いたくて、屋敷をぬけだしたみたいだ」

「ごめんなさい」


 頭をさげるトリスタンを、ジョスリーヌは無言で抱きしめる。ジョスに任せておけば、トリスタンは安心だ。


「じゃあ、おれは行ってくる」

「ワレス! また、おれを置いてくの?」

「大事なことを調べてくるんだ。大丈夫。ちゃんとまた来る。もう急にいなくなりはしない」

「約束だよ?」

「ああ」


 侯爵家を出たあと、直行するのは裁判所預かり調査部だ。遠出するかもしれないので馬に乗ってきた。


「ワレス。ちょうどよかった」


 ジェイムズは今日も勤勉に働いていた。ワレスを見て微笑する。


「君から言われていた、あのエンブレムなんだが、やっとどの家のものかわかったよ」

「遅いぞ。おかげで昨夜、おれの家にナイフを持った男が侵入してきた」


 とたんに、ジェイムズは青くなる。


「それで、どうしたんだ?」

「ここにいるってことは、なんとかやりすごしたんだ。だが、トリスタンのようすを見てるうちに、いつのまにか布団のなかからぬけだしていたみたいで、縛ってやろうとしたときにはいなくなってた」


 逃がした男を探すことは、今のところ至難の業だ。それより、まずエンブレムのことを解決させるべきだ。


「どの家のものだって?」


 ジェイムズは自分の机の上から、ぶあつい本を持ってきてひろげる。


「これは皇都周辺の貴族名鑑だ。皇都のなかには該当するエンブレムはなかったんだが、これがそうなんじゃないかと思う」


 ワレスはジェイムズが示すページをのぞきこんだ。長いファミリーネームやその由来、婚姻の系図などとともにエンブレムも載っていた。


「ほら、これ、ボロボロになってるし色あせて見づらいが、よく見るとグリフォンの下に百合と剣が交差してるだろう? 切妻屋根の両端が巻貝みたいになった外郭がいかく上部も似てる」

「そうだな。まちがいない」


 ワレスはそのエンブレムの家名を見た。ル・バルニエ伯爵家。比較的新しい家柄の領主だ。領地は皇都から南の街。海へつながる運河に面しているので、おそらく貿易や関税でかなりの収入がある。


「馬でなら二日で行ける距離だな。今から行こう」

「えっ? 今すぐ? 私も行くよ」

「ああ」


 役人をつれているほうが何かと話が早いだろうと、この時点ですでに察しがついた。


 案の定、二日の旅のすえ、たどりついたバルニエ家の屋敷では、ヴィルジニーという女があるじになっていた。だ。幼いトリスタンを虐待し、最終的にはすてた女。

 屋敷の使用人のなかには風呂場で襲ってきた男もいる。顔じゅうアザだらけになっているのは、ワレスが布団の上からさんざんなぐったやつに違いない。


 数日後——


「要するに、トリスタン。おまえはバルニエ家の一人娘だ。先代の伯爵が晩年、愛人に生ませた子だった。奥方のやっかみを買い、屋敷の使用人だったヴィルジニーに命令して追いだした。

 だが、その奥方とのあいだには、けっきょく生涯、子ができなかったんだ。奥方が亡くなったので、伯爵はおまえを探した。正当な跡取りとして。

 それも遅すぎた。伯爵はおまえを見つける前に亡くなった。そのウワサを聞いたヴィルジニーが、こともあろうに自分の娘をおまえだと偽って、伯爵家を乗っ取った。ヴィルジニーにとって、おまえはいてはならない子どもだ。自分の男に頼んで、殺そうとしていたわけだ」


 苦手のゾロゾロ長いドレスを着せられたトリスタンの前で、ワレスは説明した。


「だから、トリスタン。いや、ほんとの名前はドリスだな? おまえは伯爵令嬢だったんだ。これからは一門の長であるクーベル侯爵が後見につき、おまえを教育してくれる」


 ジョスリーヌも助勢する。


「クーベル侯爵なら、わたくし、仲がよいのよ。夫人もとても楽しいかた。信頼していいわ」


 ところが、とうのドリスは泣き顔だ。


「ヤダよ。おれ、行きたくない」

「何を言う。伯爵令嬢だぞ? 正真正銘のお姫さまになれるんだ。これからはもう飢えることはない。好きなだけ最上のものを食い、キレイな服を着て、寒さを感じることもなく、贅沢な暮らしを送れるんだ。一生な。喜ぶことはあっても、悲しむことなんて一つもない」


 ドリスは何も言わない。ただ、涙をいっぱいためた目で、ワレスに抱きついてきた。肩をふるわせながら泣きじゃくる少女をながめていると、ワレスの胸の奥もキュッと痛む。


(おれだって、ほんとはおまえといたいよ)


 でも、それはゆるされないことなのだ。


 ワレスにはさけられない運命がある。子どものころから、まわりでたくさん人が死んだ。それも、ワレスが愛し、大切に思うようになると、決まって。


 まるで、ワレスが死神であるかのように。


 最初はぐうぜんだと思っていた。だが、ルーシサスが死んだときに確信した。いったい、どうしてそうなるのかはわからないが、と。


 だから、ともにはいられない。すでにワレスはドリスのことを、ただのひろった孤児以上に大切に思っていた。


 こんなふうに妄想する。

 もしもルーシサスが女で、そして、ワレスとのあいだに子どもをなしていれば、今ごろはドリスくらいになっていたと。ワレスの娘だ。


 別れがたい。家族。ワレスが失ったもの。


 痛む胸を抑え、ワレスはささやく。


「ドリス。おまえは行くんだ。おまえが立派なレディーになってくれることが、おれの願いだよ」

「お父さん」

「どれだけ離れていても、いつも、おまえの幸福を祈っている」


 ワレスは少女の前にしゃがみ、その白いひたいに接吻した。


「じゃあな。元気で」

「ワレス!」

「これがお別れじゃない。いつでも会えるから」

「うん……」


 それは嘘だ。もう二度と会う気はない。

 でも、一人になりたいとき、あの部屋に帰っても、これからはずっとドリスの思い出が迎えてくれる。

 父はワレス。母はルーシサス。娘のドリス。

 それは、幸福な幻影……。




 了

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