第85話「ミラちゃんと酒庫 Part4」
「年数や数字はあくまで目安であって、それが常にベストだとは限らないんだ。例えば、そうだな……ちょっと待ってね」
困惑しているミラちゃんの為にわかりやすい例を用意するべく、俺はあたりの樽に目をやった。そしてそこで目に止まった二つの樽から、ウイスキーをレードルで掬い取った。
ミラちゃんの顔前に二つのグラスに入ったウイスキーを提示した。その際に軽くグラスを回して、そのグラスの内側をウイスキーで濡らした。テイスティンググラス内にウイスキーの香りを充満させるためである。
「ショウゴさん?」
「後で説明するから、まずは匂いを嗅いでご覧」
「……わかりました」
ミラちゃんは俺を信じて先程同様に、目を閉じて一生懸命ウイスキーの匂いを嗅ぎ取ろうとしてくれた。そして、匂った余韻の最中に丸いお目目をぱっちりと開けて、感じた事をゆっくり説明してくれた。
「ショウゴさんの左手のグラスに入ったウイスキーは、とっても甘い匂いがしましたバナナとかココナッツみたいな! 凄く美味しそうなお酒でした」
「良い表現だね……ん? ミラちゃんってお酒飲んだことあるの?」
俺はミラちゃんの感想に引っ掛かった。それは、美味しそうなお酒という言葉だ。子供が酒を美味しいと思うだろうか? そんな疑問が降ってきたのだ。飲んだことのある人間しか言わない筈のセリフな気が……。
俺なんて、初めてビール飲んだ時は粉薬を溶かした苦い味のするしょんべんだと思ったんだぞ?
「あっ……ありますよ。ドワーフですから、みんな小さな時からお水のかわりにエールとか甘酒とか」
ミラちゃんはなんとも気まずそうな面持ちでカミングアウトしてくれた。俺は思わず「いやいやいや、だめでしょ!」って突っ込みそうになったが、彼女の”ドワーフだから”というキーワードを聞いて思いとどまった。
ここは、異世界。ここは、異世界。ミラちゃんは、ドワーフ。ミラちゃんは、ドワーフなのだ!!
「もしかして、ウイスキーも飲んだことあるのかな?」
俺は生唾を飲んで返答をまった。
そしてミラちゃんは、そんな俺の様子を伺いながら俺と目を合わさない様にして、小さく頷いた。俺の目は大きく見開かれ、なんというか心情としては目から鱗だった。今までのミラちゃんの、ウイスキーに対する熱意や、言動全てに納得がいったのである。
「そっ、そっか。一応確認だけど、ドワーフは何歳からお酒を飲んでもいいの?」
「ドワーフは何歳からお酒を飲んでいいとかはなくて、みんな気づいたらたくさん飲んでるんです。みんな採掘家や発明家の両親の背中を見て育ちますから、それに山の坑道じゃ娯楽なんて食事とお酒くらいしかありませんから」
「そうなんだね、なら今ままで俺の目の前でお酒を飲まなかったのは……俺に気を遣ってくれてたのかな?」
ミラちゃんは申し訳なさそうに、淡いピンク色の唇を少しツンと尖らせて、小さく何度か頷きながら俺の様子を伺っていた。
「カイが言ってたんです。ショウゴさんは子供がお酒を飲むのを許してくれないって、それでショウゴさんに嫌われてこの家から追い出されたくなくて……言えませんでした」
追い出すって……追い出さないよそんなことで。でも確かに、子供からしたらというか居候している立場からしたら、何が相手の地雷か考えたらとにかく怒らせない、嫌われない様にっていうのが普通だよな。それにカイには、どんなにせがまれても飲ませなかったし……。よく、「旦那と出会う前はエールを飲んでたのに、ひどいっす!」って同居を始めた頃は言われたっけ。
それにしても俺の価値観のせいで、ひどく気を使わせてしまったな。ここは異世界なんだから、人間ならまだしも他種族に対してはもっと勉強しないといけないなぁ。ってか、アントン爺さんが教えてくれてもというかフォローしてくれたって良いだろう!! 全く、自分の飲む酒にしか興味がないんだからなあの爺さん。
「それじゃぁ、本当にドワーフっていうのは子供でもウイスキーみたいな強いお酒を飲んでも大丈夫なのかい?」
「多分大丈夫だと思いますよ! エルフや、ドワーフは人間と違って体内に精気を宿しているので、体内の働きが活発で強いんです。お酒を飲みすぎたりして死んじゃったりすることは無いですし、毒も人間は死んでも私たちなら死なない毒の方が多いですから!」
わぁお、ここでも精気が出てきた。よくわからんが、精気を宿していると体質が強化されるって事か。この世界の常識が、常識が、足りない!
「そうなんだね。それじゃ、カイがいない所でならミラちゃんがお酒を飲んでも問題ないね」
「えっ? それはどういう……」
俺は少し悪い笑顔を浮かべて言った。
「だってカイが嫉妬するでしょ? 俺の方が年上だぞ〜! ってね」
ミラちゃんは俺がそう言うと、瞳を右上に動かして少し想像したら、その年不相応な大きい手で口元を押さえながら吹き出した。
「んふふっ、そうですね! カイならきっとそう言って拗ねちゃうと思います」
「うん、だからね内緒!」
俺は腰をかがめて右手人差し指を口に当てながら言った。
「はい! 内緒です!」
ミラちゃんは、俺のポーズを真似るように同意してくれて俺たちは小さな秘密を共有したのである。
「それじゃぁ、さっきの続きだけど。俺の右手に持ったウイスキーはどんな匂いがした?」
俺は話の流れを引き戻した。すると、ミラちゃんは眉を少し上にあげて戻すと真剣な表情に切り替えた。お酒に真摯な少女か……可愛いような、生意気なような。
「もう一回嗅いでも良いですか?」
「もちろん」
俺は再度右手に持っているグラスを、彼女に嗅がせてあげた。少し時間が経ったから、忘れるのも無理はない。真剣な面持ちでテイスティンググラスに、俺がやって見せたように鼻を深く沈める彼女の顔を見ていると、そこに生意気さは無かった。
その横顔はただひたすら真剣に、俺が示したものから何かを掴もうとしている職人の顔で、大人の俺が気圧されそうなほどだった。見覚えのある表情だ。あぁ、義肢造りに没頭している時ととんと同じだ。
「どうだい?」
「なんだかこっちのウイスキーは、木の香りがしていて、鼻を突くような匂いがします。その……いえ、なんでも無いです」
ミラちゃんは感想の最後の方を濁していた。俺には分かった。彼女が何を言わんとしていたのかって事が、そりゃ酒を造った本人の前では言いづらいだろう。
「ふふっ、大丈夫だよ。思った事を言ってごらん」
怒らないから。そう付け加えようとも思ったが、俺の経験上その言葉を信じて言葉を放つとだいたい後悔するので、フラグは立てないようにした。
「……最初に嗅いだウイスキーは、木の香りもしたけど、それ以上に華やかな香りがしていました。でも、次のウイスキーは木の香りが強くて、まるで木の粉を鼻に入れられてるようでした!」
ミラちゃんは、意を決したような面持ちで実に早口で息継ぎもせずに率直な感想を述べてくれた。実にあっぱれである。これはカイよりも肝が据わっているな。いや、そもそもカイにそんな気遣いができるかな? はははっ。
「その通り。実に正確な表現と分析力だね、感心したよ」
「……本当ですか?」
ミラちゃんは怒られるとでも思っていたのか、少し不安そうに俺の言葉を待っていたが、俺が怒ってないとわかるや安堵したようだった。俺はそんな彼女の頭を撫でてあげた。小動物を安心させるように。
「本当だよ。ミラちゃんはとても良い嗅覚の持ち主だよ。これならいつかミラちゃんにウイスキーの香味のブレンドを任せても良いかもね」
「えへへへっ」
(香味のブレンド? まだよくわからないけど、私褒められてる! 嬉しいなぁ、ドナートおじさんには褒められた事なんてないから、でもショウゴさんはすごい職人さんなのに優しくて、すごい褒めてくれる。)
撫でられているミラちゃんは年相応な態度で、照れつつも小躍りしている様な感じだった。うん、なんか安心する。子供はこうでなくっちゃ。
「それじゃぁこの二つのウイスキーの正体を教えるね」
俺はミラちゃんの頭から手を離し、今ミラちゃんに嗅がせた二つのウイスキーグラスをもう一度両手に取った。
「はい! お願いします」
好奇心旺盛な女子生徒と言うのは実にその存在だけで、教育心をくすぐらせる物だねぇ〜。
それはさておき、俺は説明を始めた。
「今ミラちゃんに嗅いでもらったこのウイスキー達は、どちらも同じニューポット
を十二年間、同じ様な樽材の酒樽で熟成させた物なんだよ」
「えっ? ……原料も、熟成期間も、熟成環境も同じなのに、匂いがまるで違うって事?」
実に飲み込みが早くて助かるねっ。これなら、クイズ形式でも良いかな。
「何故だと思う?」
「……」
少し驚いた瞳をして見せたもののミラちゃんは、すぐに自分の世界に入ったように腕を組み顎に手を当てた。どこかで見た事のあるポーズだった。そう、ドナートさんが何か考えるときの癖を受け継いでしまったようだ。
全くドワーフっていうのは、色々と可愛げがない種族だな。十一歳が考え事するときのポーズかよそれが、はははっ。じたばたせず、弱音も吐かずに、一生懸命考える彼女のためにヒントを出そう。
「ヒントは、この二つのグラスに汲み取ったウイスキーは、何に入っていたかという事だよ」
少し意地悪な聞き方をしてしまったかもな……あはは。
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