第72話「仕事終わりの一杯 Fin」

 まずは誰の酒から作るか……うん、アントンさんの酒からだな。ウイスキーのストレートなら時間が経っても味が変わらないからな。ただ一つ注意点、ウイスキーのアルコール度数が六十度近くある物に限っては、時間を掛けて飲むのはタブーだったりする。


 というのもアルコールの揮発が激しいからだ。特にアルコール度数が高いまま長い年月の熟成に成功したウイスキーを、何処かのバーで時間を掛けて飲んでみると、マスターに必ずと言って良いほど怒られるだろう。それも「もったいない」と言われながら加水される事になる。


 だが、このウイスキーの酒精は四十度前後だ。酒精の揮発も激しくない。まぁ香りでも楽しみながら待って貰おうか。


 金属製のジョッキにウイスキーを半分ほど注いだ。本当はグラスで少量ずつ楽しんでもらいたいが、この世界のドワーフの尺度によると少量とはジョッキ一杯(約三百ml)らしい。


「はいアントンさん。あなたの好きな濃いめのピートが効いた辛口のウイスキーです」

「おぉこれじゃこれじゃ! この泥炭臭が堪らなく五臓六腑に効くのよのぉ!!」


 アントンの好みは既にウイスキー好きの終着点、アイラモルト特有の泥炭の香りがビシビシに効いたウイスキーなのだ。ただ、前世で飲んだ完成されたアイラモルトにはまだ遠く及ばない、似ている所といえば煙たい事ぐらいだろう。要改善が必要だ。


 それにそもそも俺はアイラが好きといえば好きだが、俺の好みじゃないからゆくゆく煙たすぎるウイスキーはアントンさんに造ってもらう予定だ。


 さて、お次は……あっコーヒーでいっか。お湯を沸かしてあらかじめ煎ってあったコーヒー豆を石臼で砕かないと。


「コーヒー豆はあたしが砕きます!」


 ミラちゃんが元気よくテーブルに手をつきながら挙手してくれた。


「それじゃお願いしようかな?」

「はい!」


 そのミラちゃんの積極的な姿を見てユリアがカイに声をかけた。


「カイ、ミラちゃん一人にさせないで」

「えっ」

「えっじゃない! ほら!」

「うっ、す。ミラ手伝うよ」


 はははっ、カイとミラが少し言い合いをしながらコーヒーを淹れてる様子をみていると、十二歳と十一歳の本来あるべき姿を見ている様だった。この世界は前世とは比べ物にならないほど厳しい物がある。


 俺とアントン以外は全員が十代で、ティナは十九歳の女の子だけど人を殺すことになんの抵抗もない軍人だし、ユリアは親に売られたせいで十六歳にも関わらず、自由のないカゴの中で春を売っていた。カイは詳しいことは知らないが、片腕を奪われ日々の一食のために娼館で奴隷の様に扱われ、ミラちゃんは幼くして両親を失い七歳から働いている。


 この世界の過酷さに慣れていたせいで普段は気にしない事も、この何不自由しない家の中だけでは、それが浮き彫りになる瞬間がある。みんなが警戒心を持たずに生きられる空間。

 

 それは幸せを感じさせてくれるが、同時に胸を締め付けられるような、みんなが持つ心の傷を想像させてくる。この笑顔が続いてくれたら良い、この笑顔を守るために酒を造るのも悪くないかもしれない。いや、既にその為に俺自身が生きている気がする。


「ショウゴ、早くお酒作って!」


 ユリアの催促が聞こえて我に返る。普段は俺の為に晩酌をしてくれる彼女も、今日は甘えたいらしい。


「はいはい」


 さぁ続いては、ユリアのシナモンウイスキーのソーダ割りか。ロックグラスを用意して、グラスの底にある窪みに魔法石を嵌める。


 それから魔道具に魔力水を作る要領で魔力を込めると、手頃なサイズの氷が出てくる。その氷をグラスに入れて、マドラーで氷を回転させグラスの熱を奪う、氷の霜が溶けたらグラスの熱を奪った証拠だ。グラスに溶け出した雫をしっかりと切る。グラスに熱があると炭酸が抜けやすくなる。


 でも、炭酸が出るのはこの魔法石からだからあまり意味がないかも。まぁ気持ちの問題だよね。


 シナモンウイスキーを一オンス入れて、冷たい水を入れればシナモンウイスキーのハイボール、ハーフロックの完成だ。木製のコースターを下に引いてユリアの目の前に提供した。


「いつも店番有難うねユリア」


 俺は彼女の背後から耳元で囁いた。


「お礼なら行動で示してほしいなぁ」


 彼女はそういって人差し指で頬を触った。どうやらキスを求めているらしい。俺は少しはにかんで、真っ赤な唇にではなく、そっと彼女の白桃のような頬にキスをした。


 ふぅ〜恥ずかしい〜。人前って結構くる物があるなぁ。


「ショウゴ! 次は私のカルアミルクだぞ!」

「はい、はい」


 当然ティナが騒ぎ出した。そんなに慌てなくてもわかってるよ? ティナの嫉妬深さはこれまでの恋愛歴から考えてもダントツだろう。刺されるとしたらティナから刺される未来がいつも見える。ははっ。


 よし、カルアミルクか。まずはシェイカーとロックグラスに氷を入れる。そして自家製のカルーアを用意する。これはウオッカとコーヒー豆と蜂蜜を一緒に漬けたものだ。それをワンオンスと冷えたミルクをツーオンス入れて、シェイカーの蓋を閉じる。


 ここからがバーテンの一番の見せ場シェイクである。ここのポイントは出来るだけ涼しい顔をしていることだ。たまに顔の表情と体の動きが直結しているバーテンがいる。体の動きが激しくなると、顔も力む人のシェイクは見てるこっちが笑ってしまう。


 今にも元気玉を投げてきそうな雰囲気が実に笑えてしまうのだ。


 シェイカーの振り方は弟子入りしたお店の癖が大体継承される。そしてその目的は同じで液体の熱を素早く奪うこと。シェイカーを長時間振ったりすれば当然中の氷が溶けて、カクテルを飲んだ時に水っぽくなってしまう。


 どれくらいシェイクするかはバーテンの体感で大体決まる。何故なら客によってカクテルの材料のバランスを変える為だ。ティナのカルアミルクはミルクの量が多くなっている。だから気持ち少し短くシェイクをやめる。


 ミルクは水っぽくなると風味が著しく失われる。シェイクが終われば、素早くグラスに注がなければならない。シェイクした牛乳は空気を含みまるで泡のように口当たりが軽くなる。


 木製のコースターを敷いてティナの目の前に提供する。最後の仕上げは粉末状のシナモンをふりかけ日頃の感謝を述べる。


「ティナいつも守ってくれて有難う」

「ッ……私はお前を守りたいだけだ」


 いつもよりしおらしい声を出すティナが可愛く思えた。彼女からは強請られていないが……同じように褐色の頬にキスをした。俺は平等主義だから。


「奇襲は嫌いだ……」


 彼女の長くて浅黒い耳が赤くなっているのが分かった。いつもは強気な女が見せる弱みは本当に虐めたくなる。


 俺はクスッと笑って、最後に自分の酒を作る。やぁっと飲めるよ! ここからはとっておきのハイボールです。とは言っても、なんの変哲もないハイボールだが。


 ハイボールに選ぶウイスキーは少し辛口が好きだ。どういった辛口か……若干ピートが効いてるぐらいが丁度いい。特に最初の一杯は! そして俺は今酒蔵を持っていてウイスキーは選び放題だ。


 シングルバレルウイスキー十年ものでハイボールを作る。この樽には麦芽をキリングする時に燃料に若干ピートを混ぜており、後味にピートを感じる程度の煙たさで、それにこの樽は樽の内側を弱めに焦がしている為に、琥珀色もそこまで濃くなくて、バニラやキャラメル的な風味もそこまで主張してこない。


 つまり、俺の最初に飲みたいウイスキーの味として理想的な調和が取れているということだ。大当たりのシングルバレルウイスキーと言っていいだろう。シングルバレルウイスキーは一つの樽で熟成したウイスキーだけで出荷された物を意味する。つまり、ブレンダーの手で味わいが調整されていない。一度こっきりしか味わえない酒なのだ。


 もちろん、酒造は決められた伝統的な味を出せるように樽熟成させている。しかし、絶対に同じ味は造ることが出来ないのがウイスキーの焦ったくも神秘的な魅力の一つである。それがシングルバレルの特徴であり、酒蔵の腕の見せ所かつ賞賛されるべき門外不出の技術と言えるだろう。


 俺はロンググラスの底の窪みに細身のトングで摘んだ魔法石を嵌め込んだ。


「まずはロンググラスを用意して氷を入れる、氷の量は少し溢れるぐらいが溶けた時に丁度いい。そして氷を十分に回してグラスの熱を奪う。最初に注ぐのはウイスキーから、そしてそこに冷水を入れる。

 割合は三:七、ウイスキーが三で冷水が七少し薄め設定で飲みやすさ優先。マドラーで全体を回してから、氷を底から持ち上げて少しホールド……そして氷を下ろす。これで上から下まで味わいが均一なハイボールの完成だ」


 最後に砕いた黒胡椒をひとつまみ程ふりかける。辛口のハイボールと黒胡椒は相性抜群だ。


「「「おぉぉ」」」


 何故かみんなから感嘆の声が漏れる。俺はグラスを掲げた。するとみんなが各々器を手に持った。たくさん言いたい事はあるが、もう我慢できない!!


「みんなお疲れ! 乾杯!!」

「「「かんぱーーい!!!!」」」


 俺はロンググラスを口に押しつけた。そして次の瞬間ウイスキーの持つ風味とアルコールが流れ込んできた。気づいたら俺は炭酸が喉奥を叩きつける痛みも快感に変換して、ハイボールを胃に流し込んでいた。


 気付けば……俺は見事にそれを一気に飲み干してしまっていた。空になったグラスの中で氷が崩れる高音が聞こえる。


「カァァァァッッ!!!! ウンマイッ!!」


 一仕事終えたな……。この一杯でやっと肩から大きな荷が降りた気がした。豚のヒレ唐揚げを爪楊枝に刺して一口。衣に仕込んだ黒胡椒と塩加減が噛めば噛むほど、肉汁と絡み合って旨みを増していく。


「これもうめぇんだわ」




・作者後書き

 自分はいつも仕事終わりはタリスカーのハイボールに黒胡椒をまぶして飲んでいます。流石に一気飲みはできませんが、気持ち的には一気飲みしてます笑


 皆さんの仕事終わりの一杯はなんですか? コメント欄で教えてくれると嬉しいです!

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