第65話「通商条約締結会談 Fin」

 というわけで、俺は理不尽にも国の大事を託されてしまった様なのだ。どれくらいヤバい状況かというと、スタンプ伯爵が俺を神に見立てて両膝をつき、両手を合わせ、涙を流しながら神様に祈るような態度をとっている。


 そう、それぐらいヤバい状況らしい。確かに、酒に関する事なら俺を信じてくれと侯爵にプレゼンしたのは、他でもない俺だ。


 だが、これは違うだろう。侯爵は両者の署名と血印がなされた魔導書を見て言い放った。


「よし、契約は無事に完了したな。これでご納得頂けたかな大使殿?」

「えぇ、私の願いを聞き入れて頂き誠に感謝申し上げます。私は大尽ではありますが、所詮は一介の商人ですので何事も契約を結ばないと落ち着かないのです。どうかご理解ください」


 大使は憎たらしいほど甲斐甲斐しい口上を述べた。


「いやいや、私は当然の事をしたまでだ。これは国の大事故な。さて、段取りを確認しておこう。これより、ショウゴに大使殿の酒の造り方を述べてもらう。そしてその答えと今、私が手にしている魔導書に大使殿が書き記した答えが一致していれば、ランバーグ王国の勝利。その逆はアレス商国の勝利、敗者が勝者の条件を呑み会談は終了となる」

 

 侯爵は自信たっぷりに契約内容を確認し、大使のクソ野郎に至ってはすでに勝利を確信している様子だった。はぁ、なんだかお腹も頭も痛くなってきた。協力するとは言ったものの、俺が此の会談の行く末を決めるハメになるとは本当に意味がわからない。


 最後の抵抗を試みておこう。


「侯爵閣下私から一言よろしいでしょうか」

「ふむ、平時ならば此の様な場で爵位も何も持たない、貴様のような平民に発言権はないのだぞ?」


 カッチーン、俺の頭の中で怒りという名の炎が巻き上がった。こんな事に巻き込んだ張本人がよく言うわ!!!!


 しかし、侯爵の言い分もこの世界では至極ご最もな事ではある。平民の俺は侯爵の権力に太刀打ち出来る術がない。


「……わかりました」

「愚痴なら後でいくらでも聞いてやろう。今は目の前の事に集中せよ」

(ショウゴ、お前には気の毒な事をしていると思う。しかし、これもお前を信じているからこその抜擢だ。会談は此の豚の心を折れるかどうかにかかっている。ラフロイグ神聖国の影がちらつき出した今、話し合いだけではこの交渉が平行線の一途を辿るのは目に見えているからな。

 賭けではあるが此の勝負、お前の実力を知っている私に分があるのだ)


 あとで、覚えてろよ! スカした髪型しやがって、髪のセットに一体何時間かけてるんだこの野郎。俺は頭に血が上っていた。集中しようにもなかなか出来る状況じゃない。

 そんな時、俺の肩を揉み解す存在がいた。俺が大好きなティナの汗の匂いがした、すぐそばに彼女の存在をしっかりと感じる。すると、不思議なことに海に抱かれる船乗りのように、母に抱かれて眠りこける赤子のように、俺は安心してしまったのだ。

 俺は前を向いたまま彼女の手に触れた。

「ティナ」

「落ち着けショウゴ。お前なら出来るはずだ。お前の酒への情熱は、私が剣に捧げている愛に等しいほど熱いものだ。私はそんなお前に惚れたんだ。お前はこのファウスティーナが見初めた、生涯の主人だ。なぁに、あのふざけた頭をしたイケすかない男は、後でお前の守護騎士である私が必ず殺してやる」

 彼女の声色は誠実で、真っ直ぐで、嘘偽りなど混じっていないことがよく分かるものだった。

「ふふふっ、殺しちゃダメだよティナ」


 ありがたい、随分と落ち着けた。さて、茶々っと片付けて家に帰って、お風呂に浸かって、ハイボールが飲みたい。


「では準備はいいか?」

「はい、私はいつでも大丈夫です」

「大使殿もよろしいですかな?」

「えぇいつでも」


 侯爵は俺に眴をしてきた。俺はもう一度グラスを手に取り、ゆったりとグラスを揺らし、ふんだんにお酒と空気を触れ合わせた。

 そして、鼻を深く深くグラスの中に突き刺し、ゆっくりと鼻で息をした。

 香ってきた香りは、葡萄の持つ果実の甘み、そして原料が持つえぐみ、最後に果実のタネなどが持つ油の香りだった。

「うん、これは間違いなくグラッパですね」

「ぐらっぱだと?」


 大使の顔はさらに深くシワを刻み笑みを浮かべた。どうやら、この酒の名前を知らないらしい。まぁそれもそうだ、この名前はあくまで前世の世界で名付けられた物。大使が知らなくて当然か。


「ご存知ないですか?」

「その酒の名前などどうでも良い。問題は、その製造方法だ、時間稼ぎをしても無駄だぞ。早く答えよ、アレス商国十三大尽の一人である私の時間を、平民の貴様が使い潰して良い訳などないのだからな」


 俺は一度侯爵の顔を伺った。彼は眴で俺に終わらせろと合図している様だった。心なしか、侯爵が既に安堵している様だった。


「わかりました、ではお答えいたします。このお酒は葡萄を原料にしたお酒です。その製法は、ワインを醸造した過程で出てしまう葡萄の搾りかすや潰したタネを使って蒸留酒にしたものがこのお酒の正体です」

「ッカハァ!!??」

 

 これは比喩表現でもなんでもないのだが、文字通り大使の目が飛び出すほど驚いていた。だから、舐めすぎだって平民を。


「また、グラッパに使われる原料によってもその製造過程は異なります。赤ワインに使用された葡萄であれば、葡萄の果皮に含まれているアルコールが残っています。その為、そのまま蒸留出来ますが、白ワインを造った際に出る葡萄の搾りかすにはアルコールが含まれていない為、それ自体をもう一度発酵させる必要が出てきます」

「あばばばばっ」

(な、な、なぜこの平民がこの酒を造る過程で、障害となったその事を知っているのだっ?! そうだ、白ワインを造る際には葡萄の果皮を混ぜない。蒸留酒を造るには、アルコールを含んだ原料が必要なんだ。

 その為僕は赤ワインを造った際に出るアルコールを含んだ搾りかすだけを優先的に蒸留酒にしたんだ! しかし、何故その事をこの……平民が知っている……? このままでは、僕の、負け……?)


 大使は遂に口から泡を吹きながら、視線だけは俺の顔から外さなかった。まるで、岸に打ち上げられたフグの様に口をパクパクさせていた。


「また、蒸留についてですがこのグラッパは蒸留が出鱈目すぎますね。このお酒を蒸留する際に恐らく、原料と水を合わせた物が入った釜を直火で蒸留していると考えます」

「何故、そう思ったんだ?」


 侯爵は既にただの好奇心だけで俺に話しかけてきてる様だった。


「このグラッパを蒸留する方法は幾つかありますが、その中で最も難しいのが釜を直火で加熱する手法です。グラッパは、蒸留を始めて間もない時に出てくる酒は香りが良くない為、全て捨てます。ですので、蒸留時間の中心の部分だけの物を飲みます」

「中心部分だけと言うことは、蒸留終盤部分の酒も捨ててしまうのか?」

「はいその通りです。蒸留終盤のお酒には、葡萄の種や果皮に含まれた油分や不純物がお酒に含まれてしまいますから、大使殿に頂いたお酒は油分がうっすらと浮いていいて一目瞭然でした。」

「なるほど、それで全てか?」

「他にも細々としたことはありますが、目の前にあるこのお酒の製造方法を説明するには十分かと」


 俺がそう言い放つと、侯爵の目の前に置いてあった契約の魔導書が宙に浮かび上がり、青い炎に包まれて消え去った。すると、侯爵と大使の心臓部分が内部より青く光

り輝いている様だった。


「契約は履行された、私の許諾なしに反故にしようとすれば命を失うだろう。いやはや! 実に、実りある会談であったカシーム殿。我らも堅苦しい話しを終えたことだ、宴会の間にて宴に身を興じようではないか!」


 侯爵は身なりを整えながら颯爽と立ち上がり、大使に爽やかな挨拶を返していた。ちょっと待ってほしい、俺の答えは当たっていたのか、それとも間違っていたのか? 一番気になるところが解決しないままだった。


 しかし、次の瞬間スタンプ伯爵がすごい勢いで俺の元までやって来て、激烈な感謝の言葉を並べていったのである。そこで俺はようやく事の次第を理解して一息ついたのだった。


 人間はやはり緊張から解かれると、視野が広くなる。俺は気になって大使の様子を伺った。


「きっ、きっ、きっ」


 どうしたんだ? さっきから大使の様子が可笑しかったのは知っていたけれど、今もまだ俯きながら小刻みに体を震わせている。風邪でも引いたのだろうか?


 と、次の瞬間--


「−−キッェェェェェェェェエエエエエイ!!!!!!」


 俺はただただその様子を眺め、驚愕していた。大使が狂った様に口から舌を溢し遊ばせ、黒目は焦点が合ってなく、唾液や体液を振り撒きながら、大理石の机上に身を乗り上げ、その小さな球体のような体を揺らし、俺目掛けて走って来たのだ。


 ただ、彼の指が一本でも俺に触れることは無かった。


 ティナが素早く銀のトレーを掴み、大使目掛けて振り抜いた。すると、大使の体はピンポン球のように大理石の机上を弾け飛んだ。


「私のショウゴに近寄るな下郎が!!!!」


 ティナの雄々しい叫び声が、晩餐の間に響き渡った。そしてその場に居合わせた人間は、目を見開き、まさに唖然といった様子だった。


「おっふぅ、やり過ぎだよ……ティナぁぁ」

 

 俺はこの後の後始末を考えると、涙目にならざる負えなかった。

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