第56話「水谷翔吾、仕込みます」
わぁお、このケモミミお姉さんはカカオ豆のことを知っているのか。俺はこれから、チョコレートを作ろうと思っていたところだった。やはり、ウイスキーのあてには好みは寄るだろうが、チョコレートは秀逸な存在だ。
特に、チョコが合うお酒の種類といえば、やはりブランデー、次いでウイスキーだ。ホワイトチョコであれば、白ワインなんかも最高に合う。俺はよく、前世では自分でカカオ豆を買って、自家製チョコレートをお気に入りのウイスキーに合わせて、カカオの比率及び、砂糖と塩を調整していた。
ウイスキー沼にハマると、氷も自家製で作るが、チョコレートまで作るやつは周りにいなかったな……。
ナッツの親父や、ティナの反応を見る限りでは、この世界におけるカカオ豆の知名度は低く、何よりチョコレートの存在を知らない様である。そんな親父にカカオ豆の発酵を頼むのが、というかやり方を教えるのが一苦労だった。結構簡単な手法なんだけどな。
「私の記憶では、カカオ豆は人間には、あまり人気が無かったはずですけど、一体何に使うのですか?」
「あぁ、これですか? これはですね、チョコレートに−−」
「−−ショウゴ!!」
俺が、カカオ豆で何をしようとしてるのか、その説明に入ろうとした時だった。聞き覚えのある男の大声が、厨房に鳴り響いた。
何事かと、思って声のした方を振り返ると、そこにはシールズ侯爵閣下が、両手を後ろで組みながら立っていた。いつも高貴な服装を着ているが、今日は目がチカチカする程、豪華絢爛な衣装だった。
彼のシールズ家を表す青系統で、それらの拵えは纏められていた。
「シールズ侯爵閣下」
俺は、ぽつりとその存在を口から溢した。
すると、一斉に使用人達含め、ケモミミお姉さんも姿勢を改めて、目を伏し、礼節を示した。それを見た俺も、慌てて、周りに倣った。ティナは、その気配が無かった為に、俺が慌てて彼女のお尻を叩き、それを促した。彼女は、少し「ひゃん」と喘いで顔を赤らめながら、俺を睨みつつも、意図を察してくれた。
それほど、今日の侯爵の威容は凄まじい物だった。まるで、体の後ろから蒼き光、後光が差しているようで神々しかった。
「これは、これは、貴方は確かアレス商国大使の秘書、ウマイヤ殿でしたかな?」
まず初めに、侯爵の注意を惹いたのは、ケモミミお姉さんであった。
「ランバーグ王国の盾であられるシールズ侯爵閣下に、カシーム様の下部が拝謁いたします」
ケモミミお姉さんは、黒色の襤褸ワンピースの裾を摘んで広げ、優雅に屈折礼を返した。その光景は、本当に異様で厨房の窓から差す、午前中の淡い陽光がスポットライトのように彼女を照らした。
彼女の栗毛色の長髪は、黄金色の蜂蜜のように輝きだし、透き通る様な肌は陽光を反射し白桃を彷彿させる。
その光景に、少なくとも俺は圧倒されて見惚れてしまい、彼女から目が離せないでいた。その空気は、厨房を支配していたのだが、嫉妬に身を焦がしたティナが本当に、思いっきり俺の尻をひっぱ叩いた音で、その雰囲気は霧散した。
「イッタァ!!」
俺は、尻を押さえながら何度もジャンプした。なぜなら、尻を思いっきり叩かれると、その衝撃波は男の金の玉まで波及するからだ。
本当に、じんわり、じんわりと痛みの波が下半身から響いてきた。
「……それで、何故秘書殿がこの様な場所へいらっしゃるのか? お聞かせ願えるか、な?」
おぉ、さしもの侯爵も今の俺の様子を見て、平静を保つのが大変らしい。彼の語尾に多少の乱れが現れた。まるで、笑いを必死に堪えているかのような。
「はい、カシーム様に命じられ、直接私に蜂蜜水を運んでくるよう、申し付けられた次第です」
「ふむ、大使殿には多くの使用人をつけさせて頂いたのだが、それでは不十分だったろうか?」
「いいえ、その様な事はありません。カシーム様は、侯爵閣下の全てのご配慮に満足されております」
「そうか、それは良かった。まさか、私の不手際のせいで、アレス商国使節団の皆様方に何か不自由を強いているのではないかと、生きた心地がしない思いだったよ」
「……」
「大使殿の願いとはいえ、大事な使節団の一員に使用人の様な事をさせるなどと。歓待する身として、到底看過出来ないことだ。それは、わかって頂けるかな?」
「はい、閣下」
「よかった。さ! 何をしている、お客人に蜂蜜水を用意せぬか」
閣下の拍手によって、何かから解き放たれたように、下女たちが動き出した。そして、迅速にケモミミお姉さんの手には、蜂蜜水が手渡され。彼女は、丁寧にこの厨房から追い出されていった。
そして、閣下は俺の元までやってきた。な、何やら、呆れ顔だな。
「ショウゴ」
「は、はい、閣下」
「少しは、酒以外の事にも気を回してくれないか?」
「というと?」
「あの獣人は、アレスの大使の側近だ。そうはわからなくとも、見た目でこの城のものでないことくらい分かるものであろう?」
「あっ」
なるほど、情報の漏洩を咎められているのか。つい、可愛いケモミミお姉さんだったから、口が軽くなってしまった。だって、超絶美少女が汚ったない襤褸を着せられていたら、少なくとも心配するし、同情だってするでしょ?
ティナによれば、彼女は奴隷らしいし……。ユリアの事があるから、どうしても奴隷はかわいそうに思えて……。
「軽率だったことは、認めます。すみませんでした」
「ふぅ、まぁ良い。貴様は平民だ。腹芸が出来なくとも、責めはしない。それに今回の事は、こちらの落ち度でもある。事前に、報告が来て私が間に合ってよかった」
「はぁ、それよりなぜ閣下が直接、この場へいらしたのですか?」
「そうだな、貴様にも分かる様に申せば、戦争前に行う武器の最終点検と言ったところか」
「はい?」
いま、俺にもわかりやすくって言ったよな? うーん、戦争……、戦争、あぁ、そういえばこの会談がこの時期にずれ込んだのって、戦争が起きるせいだっけ?
「ショウゴ、貴様の考えている事はおそらく的外れだ」
「えっ? そうなんですか」
「ファウスティーナ、こいつはいつもこうなのか?」
侯爵は、呆れたようにティナに問いかけた。
ティナは、問いかけられると少し意地悪な笑みを浮かべた。何か、嫌な予感がする……。
「あぁ、こいつの頭の中は、酒と女で一杯なんだ」
ひどい!! ティナの俺に対する評価って、そんな感じだったの?! これまで感じた、君との絆は嘘だったていうのか?
俺は、涙を浮かべながら、彼女に猛抗議の視線を送った。すると、彼女は困った顔をしつつも、楽しそうに俺の事をその豊かな胸に迎え、抱きしめてくれた。そしてそのまま、侯爵に対して言葉を付け足した。
「だが、この男は、酒造りと女を落とす事にかけては、この国にショウゴの右に出る奴はいないだろう。私の剣にかけて誓うぞ?」
「ティ、ティナ〜」
俺は、彼女の胸から顔を脱出させ、ティナを見上げて歓喜の視線を送った。ティナは、満足そうに口元を釣り上げると、自信たっぷりな表情で余計な一言を口走った。
「ふっ、たまに女を泣かせるのが傷だがな」
「うっ……。こほん」
俺は、一つ咳払いをすると、彼女を押しのけた。ティナは、少し驚いていた。俺が、自分から彼女の胸を手放した事にだろう。
さっきから、厨房中の視線が痛いのが理由だった。
「フハハハハッ、まぁいい。私が用があるのは、貴様の酒だけだからな。武器の点検とは、貴様が大使に何を飲ませ、何をこの厨房で企んでいるのかという事だ」
なるほど、そういう意味ね! 俺は、得心がいき、右拳を握り左掌を叩いた。
「そうですね、今言えることは大使に出すお酒は、侯爵閣下にも飲ませたことの無い代物だということです」
「ほぉ? それは、会談を抜きにして、個人的に非常に興味を惹かれるものだ」
侯爵は、そう聞くや否や、目を輝かせ、先程まで纏っていた威厳をどこかに捨ててきた。やはり、この人も相当の酒好きである。
「はい、ですので今それを飲ませる事はできません」
「何?」
その棘のある声色から、侯爵の機嫌が傾いたのを感じた。しかし、ここからご機嫌を取るつもりはない。
「会談の時に、お二人でお楽しみください」
「二人でだと?」
「はい、侯爵と大使のお二人で。お酒は、一人で飲むのもいいですが、感動を共有する事も重要な味付けなんです」
(あの欲深い豚と何を分かち合えというのだ……。ショウゴ、お前もあいつを見れば食欲とて失せるだろう。いや、私の場合は吐き気を催すわけだが。しかし、それをこの酒馬鹿に言っても仕方ない事だな。)
「……お前というやつは、どこまでも職人なのだな」
「はい、俺は酒職人ですから!」
なぜか、侯爵が額を手で抑えて頭を抱えていた。俺、何かまずいこと言ったか? 会談の成功は願っているし、俺のお酒が少しでも役にたてばとも心から願っている。なぜなら、俺の首がかかっているからだ!
頑張って、侯爵! 俺は、小さくガッツポーズをして侯爵の必勝を祈願した。
「もう良い、それで何故こんなに早くから厨房を借りたのだ」
「はい、それはウイスキーの酒のあてに、チョコレートを作ろうと思いまして」
「ちょこれーと? また、意味のわからない物を……。いったいそれは何なのだ?!」
おいおい、今度は眉間に青筋が立ち始めたよ。何をイライラしているんだ?
「聞いたことありませんか?」
「あいにくだが、寡聞にして聞いた事がないな」
おぉ、おぉ、眉毛がヒクヒクしている。わかってきたぞ、今回のウイスキーを造るにあたって、侯爵にシェリー酒を用意してもらった。つまりそれは、侯爵のおかげだ。なのに、摘み飲みをさせて貰えず、酒好きの侯爵が臍を曲げた。
そこにきて、またよく分からない未知の食材の話……、わかってるねぇ、もちろんこれも摘み食いは許まへぇんでぇ〜!
「それでは、会談をお楽しみに!!」
「少しは、食わせろ!!!」
激おこの侯爵から逃れるために、ティナの後ろに隠れたが、構わず侯爵は俺を追い回した。その結果、俺と侯爵はティナの体の周りでぐるぐると、鬼ごっこを繰り広げたのであった。
その渦中にいたティナが、ため息を吐いたのは言うまでもない。
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