26.旅立ち
「ん、んん……」
次の日の早朝、俺はふと目を覚ました。
前の晩の記憶はほとんどなく、覚えているのは酒場の席で人を待っていたということだけだった。
「うっ……頭が」
身体を起き上がらせた途端に激しく襲う頭痛。身体も重苦しく、いうことを聞かない。
「……それにしてもここはどこだ? さっきまで酒場にいたはずなのに……」
閉めきったカーテンの隙間から入る光と絶え間なく聞こえる小鳥の囀りから朝だということはなんとなく察しがついた。
だがなぜ自分がここにいるのかは全く分かっていない。
起きたら見知らぬ部屋のベッドに横たわっていたという真実だけしか今の脳内にはなかった。
(……にしてもここは本当にどこなんだろう。まず誰の部屋なんだ?)
少なくとも俺の部屋ではない。
頭はガンガンして身体がぼーっとしててもそれくらいは判別がつく。
レイアウトはシンプルでこれと言って余計な物が置かれていないスッキリとした部屋は清潔感で満ち溢れており、隅から隅まで掃除が行き届いている様子が伺えた。
いつも何かしらで散らかっている俺の部屋とは正反対だ。
「くそっ、身体がいうことを聞かない。記憶もほとんどないし、どうなってんだ」
何キロもの重りを引っ提げているほどの身体の重さ、そして精神的な気だるさも重なりコンディションは最悪だった。
(はぁ……俺は一体何してんだ)
頭を抱え、嘆いていた時だった。
部屋のドアがいきなり音を立てて開き始める
―――ガチャ
「あら、もう起きてたのね」
「……め、メリッサさん?」
突然扉が開いたのにも驚きはしたが、一番驚いたのは中に入ってきたメリッサさんにだった。
「気分はどう?」
「最悪です。頭は痛いし、身体はぼーっとするし……」
「完全に二日酔いね。昨日あれだけ飲めばそうなるわ」
飲む……? そうか俺はお酒の飲みすぎで……
言われれば記憶がうっすらとだが蘇ってくる。
メリッサさんによると、結構なペースでお酒を飲んでいたらしい。おかげで飲み始めて一時間ほどでダウン、酒場で爆睡していたところをメリッサさんに担がれ、家まで運ばれたというのが大まかな経緯だった。
「ほ、ほんとすみません。迷惑をかけてしまって……」
「ううん、いいの。止めなかった私にも責任があるから」
失態だ。まさかこんな醜態をメリッサさんの前で晒すことになるとは思わなかった。
恥ずかしくなり、目もあてられなくなる。
(ホントになにやってんだ俺は……)
「あ、そういえば今日の昼過ぎって言ってたわよね。バルトスクルム様の所にいくの」
「あっ、そうだった……」
今の今まですっかり忘れていた。
いや、むしろ約束を忘れてこのままメリッサさんと共に過ごす方が断然幸せなのでこのままで良かったのかも。
身体のコンディションの悪さとその話による精神的疲弊によって余計に体調が悪くなってくる。
(でも行かないとあれだよなぁ……)
師である大賢者に逆らうことは賢界ではタブーもタブー。大賢者様の中にはとても厳しい処罰を課す場合だってある。
刑の中身までは認識していないが、噂によるととんでもなく厳しい試練が課されるらしい。
「あいつは来るのかな……」
「ボルゼベータくんのこと?」
「はい。ボルはバル爺の前でも怒りを露わにしていたくらいですから」
「でも行かないと命令無視って扱いになるのよね。とても厳しい罰が課されるとか」
初めから俺たちに選択肢はなかった。師がそう言うなら従うのはこの世界では鉄則のルール。
有能な賢者を生み出すための束縛と言えば多少聞こえはいいかもしれないが、実際は行動の自由を奪っているだけ。
決められた道しか歩めないというのがこの世界の”普通”だった。
俺は溜息をすると、
「とりあえず昼過ぎにまた神殿へと向かおうと思います。師の命令ならば覚悟を決めないと」
「そう……行っちゃうのね」
「……メリッサさん?」
「ご、ごめんなさいね。ちょっと辛くなっちゃって」
チラッと見せた彼女の悲し気な表情は今でも俺の脳裏に焼き付いている。
いつも元気かつ前向きでネガティブな感情や表情を見せたことのないメリッサさんが初めて俺の前で見せた表情だった。
(悲しんでくれているのか……?)
俺は今まで誰かに悲しまれたりすることなんて一度もなかった。家族に喜んで捨てられ、友人もいない酷い人生を送ってきた俺にはとても新鮮で、嬉しかった。
特にメリッサさんがそういう顔をしたのには驚きだった。何事にも屈しない強いメリッサさんが見せた弱さ。感情の生き物と呼ばれる人間族(ヒューマン)なら避けられないものだ。
能力自体は人族を完全に超越した存在だが、人としての感情はまだ捨ててはいなかった。
そしてその表情こそ、俺が最初で最後に見たメリッサさんの人としての弱さだったのだ。
♦
指定された時間より一時間ほど前へと時は進んだ。
俺は薬と睡眠と治癒魔法でなんとか二日酔いから脱却し、復活を成し遂げた。
まだ少し魔力が回復しきってはいなかったが、気にする必要はない程度だ。
(精神だけはさすがにどうすることもできなかったけど)
まぁそれは仕方ない。さすがに精神まで回復させることのできる有能な薬や魔法はないからな。
ただメリッサさんとずっと一緒にいれたというのはある意味良い薬となり、そこまで精神的苦痛を強いられることはなかった。
「もう身体は大丈夫なの?」
「はい、なんとか。後は自分の部屋によって必要なモノだけ持ってバル爺の所へ行きます」
「気を付けてね。絶対に帰って来るのよ、分かった?」
「もちろんです。メリッサさんともう会えないなんて嫌ですから!」
これは本心からそう言い放った言葉だ。
メリッサさんと会えないなんて厳しい修行を受けるよりも苦痛なことだ。根本から溢れ出る俺の精気はメリッサさんがいるからこそのもの。
それほど俺は彼女の事が好きだったし、尊敬もしてるし、目標でもあった。
生きがいを失った……と言っても俺からすれば大袈裟なことじゃない。
むしろ適当な言葉だ。
俺とメリッサさんは少しだけ会話を交わし、荷物を持つ。
「それじゃあ、そろそろ行きますね」
「うん。あ、そうだ! ちょっとまって!」
「……?」
メリッサさんは慌てて部屋の奥にあるキッチンから一つの箱を持ってくる。
それを何かの布に包み込み、俺に手渡す。
「メリッサさん、これは……」
「お弁当よ。危なかったぁ……すっかり渡すの忘れていたわ」
「べ、弁当ですか!? しかも手作り……」
「味は保証できるか分からないけどね。向こうでお腹すいたら食べて」
まだ温かい。作ってまだ時間が経っていないことが分かる。
わざわざ自分のために作ってくれたかと思うと、思わず涙が出そうになった。
「……ありがとうございます。大事に食べますね」
今にも目から溢れ出そうな涙を必死にこらえ、静かにそう言う。
「絶対帰ってきます。そしてまたメリッサさんと飲みに行きたいです」
「ええ、楽しみにしているわ。帰ってきたらまず私に顔を出しなさいよね、そうじゃなかったから怒っちゃうんだから」
「も、もちろんですって! 帰ったら一目散にこの部屋に駆け込みますよ」
「うふふ、ならよし!」
相変わらずメリッサさんの笑顔は眩しい。
一生見ていられるくらい華美な笑顔だ。
「じゃあ、今度こそ行きますね。お元気でメリッサさん」
「あなたもね、レギルス」
俺はそう告げると、後ろを振り向き足早に去っていく。
絶対に帰るという誓いを立てて。
その後ろ姿をメリッサはずっと見つめていた。
そしてレギルスの姿が少しずつ消え去っていくのを確認すると彼女はこう願う。
「……早く帰ってきてね。私の……愛しき人」
胸に両手をそっと当て、そう願った。
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