第21話 ヴィックとシア
ヴィクターの言う、あの時……。
それはきっと、私たちが十才になる少し前の事。
フォックス公爵家嫡男のヴィクターと、パール侯爵家長女グレイシアの婚約話が持ち上がった。
二人は同じ歳の幼なじみ、仲も良さそうだし家格も合う。
上位貴族の女子は同格かそれ以上の家に嫁ぐのが理想なのに、政治やら派閥やらの関係で私が嫁げる家は限られていた。
親も早く婚約者を決めて安心したかったらしく、私たちの婚約はほぼ決定に近かったと思う。
そんなある日、私たちはケンカをした。
今では理由すらうろ覚えなほどのことだ。
でも子供同士のケンカが婚約に関係するなどありえない。
普通なら記憶の隅にも残らない出来事のはずだった。
それなのに……。
本当に運が悪かったとしか言いようがない。
あえて言うなら、その場所が王宮のバラ園だった事が災わざわいしたのだろう。
ケンカして怒ったヴィクターは、私をその場に残し一緒に来ていた私の兄を追い掛けて行ってしまう。
残された私は悔しくて……泣きたくないのに勝手に零れ落ちる涙をどうする事もできず途方に暮れていた。
とにかく泣き止やもう。
そう思いながらとぼとぼ歩いてやっと見つけたベンチは、バラ園で一番景色の良い場所にあった。
そしてその日、珍しい種類のバラが見頃と聞いて散歩にやって来た、王妃殿下とクラウン殿下に初めて出逢う。
まだ王宮のお茶会に出たこともなかった私だったが、ほんの小一時間の
次の日には王宮から仰々しい招待状が届き、王妃殿下の特別なお茶会に出た直後、婚約の打診が来た。
こうして私とヴィクターの縁談は白紙に戻されることとなる。
そのあと王家からの申し入れを何度も
*****
そうだ。
あれ以来ずっと、私もヴィクターと呼んでいる。
それもヴィクターがクラウン殿下の側近候補だから辛うじて名前呼びができるだけで、本来ならフォックス様と呼ぶべきところなのだ。
思い返すと、最後にヴィクターを愛称で呼んだのは後日、あのケンカの仲直りをした時が最後だったかもしれない。
そうか。
私はまたヴィクターを愛称で呼べるようになったのね?
「……ヴィック」
私がそう呼んだら彼の手が止まった。
ゆっくりとお互いに目を合わせる。
「自由にしてくれてありがとう、ヴィック」
ほんの一瞬だけ泣き笑いのような顔を見せた彼。
「……また呼んでもらえる日を長いこと夢見てた……もう一回呼んで?」
「ヴィック、あなたが呼べるようにしてくれたのよ?」
何だかおかしくて笑ったら、目の前が真っ暗になって息が止まった。
シトラスの香りに包まれ、どうなったのか分からなくて混乱してたら、頭の上から声が聞こえる。
「やっと取り戻せた……」
それで『あぁ。私ヴィックに抱きしめられてるんだ』って理解が追い付いた。
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