第32話「聖都掌握:その五」

 六月七日の朝。

 ラントは朝食後、大聖堂に向かった。

 同行者はいつもの側近たちの他に、鬼神王ゴインと天魔女王アギーの姿もあった。


「陛下は俺に何をさせるつもりなんだ?」とゴインがアギーに聞くが、彼女も聞かされていなかった。


「分かりませんわ。陛下は“いつも通りに私の後ろに立ってくれていたらいい”としかおっしゃいませんもの」


 アギーはやや不機嫌そうにそう答える。


 大聖堂に入ると、一階部分にある一般信者の礼拝所があった。そこには多くのベンチが並び、司教以下の聖職者が三百人以上座っていた。そして、何があるのかと囁き合っている声が響いている。


 最前列にはクラガン司教がいるが、周囲の司教たちとは話をすることなく黙って座っていた。


 ラントがいつも通りの漆黒のマント姿で現れると、ざわめきが消え、クラガンが立ち上がった。それに釣られて全体の半数ほどが立ち上がったが、残りは座ったまま立ち上がろうとしない。


 一段高くなった礼拝所の祭壇の前にラントは立った。彼の後ろにゴインとアギー、更には護衛たちが並んだところで、エンシェントエルフのエレンが拡声の魔法を発動する。


「トファース教の聖職者の諸君、朝早くから集まってもらったことに感謝する。まずは皆、座ってくれないか……」


 落ち着いた声が聖堂内に響くと、立っていた者たちがゆっくりと座る。

 ラントはゆっくりと聖職者たちを見回していった。

 司教の多くが彼を睨み付けるように見つめているが、若い司祭の中には好意的な視線の者もいる。


「私がここに足を運んだのは、諸君らの勘違いを正すためだ……」


 勘違いと言われ、多くの聖職者が疑問を持ち、隣の者と顔を見合わせる。


「確かに私はトファース教の存続を認めた。また、諸君らの身分を保証し、帝国の法に抵触しない限りは罰することはないと約束した。そのことで君たちは私のことを甘く見たようだ……」


 甘く見たという言葉をラントが発した瞬間、ゴインとアギー、更には護衛のローズやラディたちが一斉に殺気を出す。

 その殺気に当てられ、多くの聖職者が震え始める。


「私はここにいる鬼神王ゴインや天魔女王アギーを支配する魔帝だ」


 そう言って振り返り、ゴインとアギーに笑みを見せる。


「ゴイン、アギー、君たちの本当の姿を見せてやってくれないか」


 そう言うと、二人は人化を解いた。

 ゴインは身長四メートル弱の巨大な体躯に変わった。また、その顔は一層厳めしくなり、口から覗く牙が更に恐ろしさを強調している。


 アギーは大きさこそ変わらないものの、肌の露出が多い煽情的な衣装と背中から見える蝙蝠のような翼が、悪魔の一族であることを示していた。ゴインのような恐ろしさはないが、底知れぬ恐怖を聖職者たちに与えている。


「二人とも私の横に来て跪いてくれ」


 ラントが命じると、二人は彼の横に移動し、片膝を突く。


「この二人は我が軍でも屈指の強者だ。ゴインは勇者オルトを倒し、アギーは勇者ユーリを葬っている。この二人がこのように私に忠誠を誓ってくれているのだ」


 ここまで話が進んだところで、聖職者たちはラントが何を言いたいのか理解し始めた。


「私はクラガン司教を通じ、ここストウロセスの民のために食糧などの受け入れの準備を行うように命じた。しかし、君たちは私の命令を軽視した……」


 そこで再び、ゴインたちが殺気を振りまく。


「私は武器を持たぬ民たちが傷つかないよう配慮した。この町を壊滅させてよいなら、一時間も掛からなかったのにだ。しかし、そのことが仇になったようだ。魔帝ラントは腰抜けだと侮られるようになったのだ」


 ゴインたちの殺気が湯気のように揺らめく。

 その殺気を浴び、多くの聖職者が失禁し、更には気絶する者まで現れた。

 ラントはそれに構わず、話を続けていく。


「私は帝国に降伏した民たちは保護するつもりだが、権力の座にあった者まで手厚く保護するつもりはない。それが気に入らぬなら、武器を持って掛かってくればいい。いつでも我が帝国は相手になる」


 そこでクラガンが立ち上がった。


「お待ちください、陛下!」


「何を待つのかな、クラガン司教」とラントは微笑みながら問う。


 その笑みはいつも通りの優しいものだが、多くの聖職者には死神が浮かべるような凄惨なものに見えていた。


「不手際があったことはすべて代表である私の責任。罰するのであれば、私を罰していただきたい」


 ラントはクラガンの胆力に内心で感心していた。


(ゴインたちの殺気を受けても自分を罰してくれと言えるとは……さすがは聖者と呼ばれることはある……)


 しかし、その思いを表には出さず、淡々とした口調で話を続けていく。


「君を罰するつもりはない。君は私を侮ることはなかったし、私と利害が一致している限りは最大限の努力を見せてくれている。罰する理由がないのだ」


「ならば……」とクラガンが言いかけるが、ラントはそれを無視して話を続ける。


「しかし、ここにいる者たちの多くは私への反発から職務を放棄した。私に従いたくないなら、最初から去ればよかったのだ。ここにいるということは私に従い、民たちのために働くと宣言したに等しい。それなのに職務を放棄するということは私への反逆と言っていいだろう」


 反逆という言葉に多くの聖職者が「それは違います」とか、「そのような意図はございません」と言って椅子から降り、膝を突いて頭を下げている。

 反逆罪はどの国でも死刑と相場が決まっているためだ。


「では、今回の件は私の勘違いだったということなのだろうか?」


 ラントはわざとらしく聖職者たちに聞く。

 しかし、聖職者たちはどう答えていいのか分からず、戸惑うしかなかった。

 そんな中、クラガンだけは違った。彼はラントの前まで言って跪き、床に頭をこすりつける。


「今一度、機会をお与えください。トファース教の教えは弱者の救済であり、民への奉仕です。これより私を含め、皆が心を入れ替え、民衆のために身を粉にして働きます。それをもってご寛恕いただければ……」


「よろしい。私のためでなく、民のためというところが気に入った。ここにいる者たちも同じ思いと考えてよいのだな」


 そう言って礼拝所を見回す。

 気絶している者以外の全員が椅子から降りて跪き、「その通りでございます」と口々に答えていった。


「では既に聞いていると思うが、昨夜アシュリンディルの町から食料の第一陣が届いている。民たちの配分するために急ぎ計画を立てよ! 他にも義勇兵として戦った者たちの多くが心に傷を負っている。彼に安らぎを与えてやってくれ」


 それだけ言うと、ラントはゴインたちを引き連れて礼拝所を出ていった。

 残された聖職者たちは一斉に脱力する。


「殺されるかと思った……やはり魔帝ラントもこれまでの魔帝と同じであったということだな……」


 一人の司教がそう呟くと、クラガンがそれに反論する。


「いや、ラント陛下は違う。もし、これまでの魔帝と同じであれば、ここに屍の山が築かれていただろう。陛下は我らにチャンスを与えてくださった。本来のトファース教に立ち戻るためのチャンスを」


「なるほど。確かにそうかもしれない。恐ろしかったことは間違いないが、民や義勇兵たちのことを気にしておられた……」


 呟いた司教も納得する。

 その後、ラントの思惑通り、聖職者たちから傲慢さが消え、行政がスムーズに動くようになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る