第17話「アストレイの戦い:その五」

 五月二十九日の早朝。

 アストレイの丘で戦いが始まる前に遡る。


 新たに勇者になったユーリは神聖ロセス王国軍の聖堂騎士団テンプルナイツの団長代理、ウイリアム・アデルフィと話していた。


「勇者殿には作戦通り魔帝への攻撃をお願いしたい。頭には入っていると思いますが、もう一度確認させていただく」


 アデルフィはユーリが緊張していることに不安を感じ、落ち着かせるために作戦を説明し始めた。


「我々はこの丘で敵の本隊を引きつけます。そして、聖堂騎士団三千が東の森を迂回し、敵の後方を脅かします。更に冒険者たちは湿原がある北から密かに敵本陣近くに向かわせ、奇襲を仕掛けます。ここまではよろしいですね」


「ああ。理解している」とユーリは気のない返事をする。


 聖王や枢機卿には敬意を払っているように見せているユーリだが、中隊長から昇進したばかりのアデルフィは格下だという思いがあり、ぞんざいな対応をしていた。


 アデルフィはそのことに気づいているが、何事もなかったかのように説明を続けていく。


「ここまではすべて勇者殿のためのお膳立てです。勇者殿は南の海岸線に潜み、騎士団もしくは冒険者たちが敵本陣に襲い掛かったタイミングで聖弓による狙撃をお願いしたい」


 アストレイは東に森、北と西に湿原が広がっているが、南側には海がある。海岸には岩場が多く、隠れる場所には事欠かない。また、海岸から街道までは百メートルもなく、遮蔽物もないため、強力な弓である聖弓クリテリオンなら充分に射程内だ。


「一人で潜まなければならないのか? 私を守る者が必要なのではないか?」


「それは何度も説明しておりますが?」と言って、アデルフィは眉を顰める。


 そして、諭すように説明していく。


「人数が増えれば、それだけ発見される確率が上がります。つまりあなた自身の命が危険に曝されるのです。それに魔帝を倒した後に脱出が必要ですが、海に逃げ込んで逃げられるのは一人だけです。それともあなたを守ってくれた仲間を見捨てるおつもりですか?」


 アデルフィの策ではユーリが狙撃でラントを倒した後、そのまま海に飛び込んで逃げることになっていた。


 その際、水中での呼吸や活動ができる魔道具を与えているが、それは一セットしかなかった。実際には複数あったのだが、一人の方が発見される確率が低いことと、ユーリの仲間を冒険者たちのチームに入れた方が戦力となるため、アデルフィはあえて一セットしかないと伝えている。


「それは分かっているんだが……」


 ユーリは弓使いということで、一人で戦ったことがなかった。そのため、敵に近い場所にたった一人で潜むということに大きな不安を感じている。

 アデルフィはこれ以上話しても無駄だと思い、そこで話を打ち切った。


「では、作戦通りにお願いします。一撃で確実に仕留めるよう頼みます。当たっても外してもすぐに海に飛び込んでください。くれぐれも二射目を撃とうなどとは考えないように。敵に高位の魔術師が多数いることをお忘れなきよう」


「分かっている」


 ユーリはそう答えると、気配遮断のマントを纏い、海岸に向かった。


 海岸にはゴツゴツとした岩が並び、中には高さ十メートルほどの巨大なものもある。


(あの岩の上がいいだろう。あそこからなら魔帝の姿がよく見えるはずだ。それに狙撃の後に飛び込めば、岩の陰になって攻撃を受けることはない……)


 ユーリはその巨岩の近くに潜み、戦闘が始まるのを待つ。

 足元をちょろちょろと歩く小さな蟹を見ながら、これからのことを考えていた。


(アデルフィの言うことが正しいなら、私は“魔帝殺し”の英雄になれる。褒美は望みのままだ……)


 仲間がいない不安を紛らわせるため、明るい未来だけを考えていた。


 配置についてからほどなくして、帝国軍の偵察隊が彼の頭上に現れた。一瞬見つかったかと思ったが、戻ってくることはなく、そのまま飛び去っていく。

 その後、二度ほど偵察隊が現れたが、見つかることはなかった。


 帝国軍がアストレイの丘のふもとに現れた。

 ユーリは見つからないように慎重に隠れながらも丘の方を見ていたが、帝国軍の威容に圧倒される。


(凄い軍勢だ。巨人に龍、それにオーガたち……あんな軍勢と義勇兵が戦えるのか? アデルフィは魔帝の周囲から護衛を引き離すと言ったが、無理に決まっている……)


 身長十五メートルを超える巨人やそれに匹敵するエンシェントドラゴン、更にはオーガの上位種や獣型の魔物たちが溢れており、ユーリは怖じ気づく。


(オルトやロイグくらい馬鹿なら、何も考えずに戦いを挑めるのだろうが、私には無理だ……早々に逃げだした方がよさそうだな……)


 心の中で先代、先々代の勇者をこき下ろしていたが、戦いが始まると、思った以上に王国軍が善戦していることに驚く。


(あの化け物たちを前によく戦えるな。それにアデルフィが言った通り、徐々に本陣から魔物が減っている。巨人も龍もいない。これは成功するかもしれないぞ……私のために魔帝が狙撃できるようにしてくれよ……)


 王国軍の活躍に逃げ出そうと考えていたことをすっかり忘れ、やる気になっていた。

 巨岩に上り、狙撃の準備を始めた頃、本陣近くが慌ただしく動き始める。


(冒険者たちが突入したようだな。よし、いいぞ。そのまま敵を引き付けるんだ……)


 冒険者たちはユーリとは反対の北側から攻撃を仕掛けたため、護衛たちがそちらに回り、ターゲットであるラントの姿がはっきりと見えた。

 更にラント自身も北に意識を集中させているため、無防備な背中を晒している。


(よし! これで私は魔帝殺しだ!)


 ユーリは逸る心を抑えつつ、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、聖弓クリテリオンに迷宮で得た討魔の矢を番え、弦を引き絞っていく。更に勇者になった際に得た能力を使い、矢に膨大な魔力を込めた。


 討魔の矢が眩い金色に輝き、眩しさに目を細める。


(今だ!)


 ユーリは呼吸を止めて狙いを定めると、弦を放した。

 高速の矢が鋭い風切り音と金色の光跡を残してラントに向い、その背中に吸い込まれていく。


「やったぞ!」


 ユーリは成功を確信し、思わず叫び声を上げる。


 ラントは前につんのめるように倒れていった。しかし、片膝を突いて転倒を防ぐ。


「直撃したはずだ。なぜだ! なぜ生きている! くそっ! もう一度だ!」


 アデルフィの警告をすっかり忘れ、ユーリは二射目を撃とうと矢を番えた。

 しかし、彼が弦を引くことはなかった。


 狙撃に気づいた魔導王オードと天魔女王アギーが同時に魔力を放ち、ユーリに命中したのだ。


「なっ……」


 彼は何が起きたのか理解することも苦痛を感じることなく、その膨大な魔力によって肉体は四散し、消滅する。


 爆発の余波で岩場の一部も吹き飛んでいたが、数秒後、カランという音が響く。そこには銀色に輝く聖弓だけが残されていた。

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