第2章 笑う悪意
第参話 棄てられた燈 前
暗い、くらい、クライ。寒い、さむい、サムイ。
何も見えない暗闇の中で聞こえたのは女の子のすすり泣く声。
「ごめんね…ごめんね…」
どうしてあやまるの?どうしてないてるの?
「私は普通に戻りたかっただけ…こんな筈じゃなかったのに…!!!どうして私ばっか…!!!」
どうしてそんな目でぼくをみるの…?
生まれたばかりの僕を見て母は泣き叫ぶ。望まれなかった命。悪意が込められた出生。それは母親の運命を狂わせた証の一つだ。
目の前の母親は激しい痛みと足を自分の血で染めながら嗚咽をあげる。
震える両手が僕の首をぐっと掴む。力が込められてゆく、息が詰まる、苦しい、どうして。
「安心して。私もすぐにそっちに行くよ。一緒に地獄に落ちるの」
僕を殺したことをどうしても恨めなかった。彼女の身に起きていたことを思うとどうしても。
彼女もきっとすぐに…。あまりにも悲しすぎる結末。何も悪いことしてないのに。
神様なんていないのだ。彼女ばかりに不幸を与えてこんなに寂しい場所で最後を迎え、死にも値しない奴等ばかり幸福を与えて生かそうとするのだから。
定まらない視界の中で最期に映ったのは、母親の悔しさと悲しみが入り混じった表情と彼女がいつも髪につけていた綺麗な水色のリボンだった。
「可哀想に。お前もお前の母親も。大丈夫。もう苦しむ事はない。私が助けてやろう」
あのフードの男が死に絶えた男児の乳児を抱き上げ優しく呟く。あのホームレスの男の前に現れた時よりも優しげで、そして悲しげな表情を浮かべている。
男の目の先にはロープで首を吊って生き絶えた少女の姿。とても悲し過ぎる最期を迎えた親子を彼は弔う。
この男が言う救いはとても残忍なモノ。けれど、無念のまま死んだ魂にとってその救いは強い武器になる。
役割を終えたら理性を失くした化け物になり、魂は闇に溶けて瘴気化するという大き過ぎる代償を知らずに。
死体の近くで漂う2つの魂は救いに手を伸ばす。
「私のこの力を使って復讐を果たしてから空に還れ。お前らにこんな結末を用意した奴等に報復せよ。私はその為にならどんな力でも与えてやる。もう泣く事なんてないんだ」
フードの男は左手で漆黒の瘴気を生み出す。
黒い靄に似た瘴気は男の手から離れ、優しい純粋な光を放つ2つの魂を闇で包み込む。
どんな姿でもいい。復讐を果たせるなら。あの女を殺せるならそれでいい。少女の魂は怨念に染まる。
生まれたばかりの魂は本当はダメだと言う事は分かっているけれど、少しでも少女の苦しみが和らぐならと闇に従うしかなかった。
「安心しろ全てが終わったら必ず君らに安らぎは訪れる」
瘴気に身を任せた魂は魔獣はと変貌する。男はその姿を哀れみの目で見つめていた。
「言っただろ?露華?やっぱり神様なんていない。こんな不条理な世界を許すなんてふざけてる。罪を犯した奴に未来があるとほざく馬鹿がいる世界を許すなんて俺にはできない。壊してやらなきゃ気がすまない。徹底的にな」
全身の皮を剥がされた様な肉質の赤黒いムカデの様な魔獣のへと姿を変えてゆく。上半身意外もう殆ど人間の形を留めていなかった。目も焼き爛れた様に閉ざされ、残ったのは裂けた大きな口と鋭いギザギザの歯。
胸元に黒い結晶が浮かび上がる。
「復讐を果たせ。どんな手を使ってでもな」
魔獣は甲高い雄叫びをあげる。悲鳴にも似たその雄叫びは復讐の鐘を鳴らした。
少女の髪に付いていたリボンが解けて魔獣の身体に組み込まれた。完全な化け物になっても人間だった頃の事を忘れない為に。
「早く来い。木原怜、島崎澪。未熟な力でこの魂を救ってみせろ」
怜と澪への挑戦状にも似たその言葉を最後に男はその場を後にした。
黒く光結晶が月夜で悲しげに輝いていた。
「それで?母さんを呪いを解くにはカイって男を倒せと?」
学校からの下校途中。
怜は少しずつ剣士としての役割を理解し始め、母親の露華に呪いをかけた男の名を知ると同時本当にその男を倒せば解決するのかと疑問が生まれていた。その質問に澪は快く応えた。
「そう。全ての瘴気の元凶で魔獣を生み出す危険な男。そいつが露華さんに呪いをかけたの。奴を倒さない限り彼女は眠ったまま。最悪の場合…」
「それ以上は言わんでいい。でも、すぐには倒せないんだろ?」
「まぁね。私達まだ始まったばかりだし、全然力も付けてないから。しばらくはママから送られてくる依頼とかいろんな事をこなして強くならなきゃ」
「……お前のママって何者?剣士と武器人のことも知ってて父さんとも知り合いでさ」
「いろいろすごい人としか今は言えないかな〜」
あの奇妙な一夜から怜は澪と共に学生生活と魔獣退治の交互の日々を送っていた。
魔獣の情報は必ず島崎華山から娘の澪のスマホに送られてくる。怜は澪からその情報を聞いてから動き出すという状況。
澪が母親の仕事が理由でこの街に来たと言っていたが、まさか魔獣に関連していたと知った時の怜は驚きを隠せなかった。そして、露華の眠りの原因も瘴気と魔獣に関わっていたことも。
「もう少し依頼をこなして強くなってから会いましょうって言ってたからね〜」
「(似たもの親子。変わってる)しばらく島崎華山にも会えないし詳しい話もお預けってことだな。分かったよ。それよりも…」
「え?何?」
「帰る方向が逆なんだけど?なんか用でもあるわけ?」
家とは反対方向の街中方面の道を歩く澪にそう問いかける。怜はなんとなく悟っていたが彼女の口から聞くまで知らないフリをした。
澪はギクッとした様子で気まずそうに問いに応える。
「あのぉ〜…実は魔獣退治の依頼なんだけど…」
「…なぜそれを早く言わない」
「だって今回のは少し違うんだもん。実際に会わなきゃいけないの」
「誰に?」
「依頼主。どうしても会って話したいってうるさくて。それで学校が終わったらネカフェのカラオケルームで待ち合わせってことになってるの」
「今回はお前のママからのメールじゃないのな。で?どんな奴?その依頼主」
「……写真見る?」
澪からスマホを渡された怜は画面に映った依頼主の写真を見て一瞬だけ驚愕するもすぐに苛立ちを込めた舌打ちへと変わった。はぁーっと大きなため息が漏れる。
怜は苛立ちを抑えられないまま澪にスマホを返す。
「俺達はこんな馬鹿の依頼を受けなきゃいけないわけ?」
「しょうがないでしょ。本当は私だって嫌。でも魔獣が関わってるからほっとけないよ。幾ら裁かれ逃げてる人間でも」
「反吐が出る。そんな奴を助けるなんて」
(そりゃそうなるよね。だって…)
そうこうしている内に目的地のネットカフェにたどり着く。入口に入り、受付で要件を伝えて指定したカラオケルームへ向かう。
普通にネカフェを使う時よりも賑やかな通路を2人は神妙な面持ちで歩く。
不愉快でいっぱいだった怜は今すぐにでも立ち去りたいと願った。見せてもらった依頼主の写真を思い出す度にその思いは増す。
2人は一番端っこのカラオケルームの前に着く。澪はゆっくりと重みがある防音質の扉を開けた。
部屋の中には既に依頼主が待っていた。1人ではなくもう1人付き添いが来ていた。怜達と同年代ぐらいの茶髪のポニーテールの少女と黒髪のボブヘア少女の2人。怜達が通う学校とは違う制服だがある事件がきっかけで見覚えがあった。
ソファーに座るポニーテールの少女は部屋に入ってきた澪と怜を不審そうに睨みつけた。怜も対抗するように睨み返す。その様子を見ていた澪は慌てて挨拶をした。
「あの…」
「あ、えっと、お待たせしてすみません!貴女がマツシヅ中学の釘藤瑠璃奈さん…?ですよね?」
「はい!私です!島崎澪さんですよね?!そっちの外人の方…」
「……木原怜です。これでもれっきとした日本人ですけど」
「えー?!そうなんですか?!ごめんなさい!!」
(なんだろう?慣れているとはいえこんな奴に言われるとやっぱ腹立つな)
なんとなくわざとらしい間違えられ方に苛立ちが増したものの、これも母さんの助ける為の修行だと自分に言い聞かせて必死に抑えた。
今日はよろしくお願いしますと澪達もソファーに座る。
ハキハキとしている瑠璃奈とは対照的に付き添いできているであろうボブヘアの少女は無表情であまり喋らず暗い印象だった。
怜はそのギャップに違和感を覚えたが何故か自分と繋がるものを感じて気になってしまう。重要な何かを隠していた頃の自分に。
(……このポニテ女…)
瑠璃奈に対してあの平良雅紀の片鱗を感じ不快感を感じる怜と不機嫌そうな怜を心配する澪は早速本題に入ろうと瑠璃奈に話しかける。
瑠璃奈はやっとかと言いたげな顔を浮かべる。
「今日はどういう依頼で私達を…」
「アタシ…、仇を…、友達の仇を打ちたいんです!!ネットで調べたら貴方達に頼ればいいって聞いて…あ、あの!とにかくこれ見てください!!」
瑠璃奈は自分のスクールバックからスマホを取り出し手際よくタップして怜達の方にスマホを向ける。そして、ある動画を見せてきた。
どうやって剣士という自分達の存在を知ったのか疑問に思ったが瑠璃奈が提示した動画と動機で理解する。あまり表には出ていないが影では剣士という存在は知られた存在なのだろう。
スマホに映されていたのはある夜に起きた廃工場の惨劇だった。
最初は花やお菓子が献花された場所で数人の男女のゲラゲラ馬鹿にするような笑い声と様子、スマホで撮影している瑠璃奈の「やめなよー」等のふざけた声が流れてきた。
だが、しばらく経った頃に突然赤ん坊の泣き声が聞こえると仲間の1人の金髪の少年が青ざめながら言い出した。他の皆には聞こえていないようで冗談だと捉えていた。
すると、突然暗闇の方から赤黒い生々しい化物の手が1人の少女を闇に引き摺り込んだ。
その様子を見ていた瑠璃奈と仲間達は騒然とし、慌てて逃げようとするも1人また1人と暗闇に引き摺り込まれてゆく。
化物の手に掴まれた仲間の少女が瑠璃奈の腕を掴んで"いやぁ!!!瑠璃奈!!!助けてぇ!!"と叫ぶが彼女は自分の命惜しさに少女を見放し手を振り解いた。少女は助からず、他の者同様に暗闇に引き込まれた。そして、コンクリートに飛び散る鮮血と共に絶叫を上げて絶命した。
生き残ったのはスマホを構えていた瑠璃奈だけ。
暗闇から聞こえた高い鳴き声。ある人物の名前を叫んでいるようにも聞こえた。恨みがこもった鳴き声は瑠璃奈のスマホにしっかりと記録された。
再生が終わって真っ暗になったスマホに困惑する澪となんとなく悟ってはいたが信じないフリをする怜の顔が映った。
「まぁ…魔獣っぽいけど…」
「もしかしてコレは合成?」
「はぁ?!!!合成なんかじゃない!!本当に起きたことなんですよ!!見ての通り死人も出てる!!!」
「……正直、貴女がした事のせいで信憑性が無いに等しいとしか」
「あんなデタラメ週刊誌の方を信じるなんて有り得ない!!アタシは潔白で悪いのは羽美朱音の母親なのに!!全部アタシのせいにして!!濡れ衣を着させられて!!」
「瑠璃奈さん、あの、落ち着いて…!」
怜が言った瑠璃奈がした事。
それは、瑠璃奈とボブヘアの少女が通っている中学校で起きたあまりにも悲惨で週刊誌に取り上げられたことで話題になった事件。
未だに悪夢を見る怜にとってはとても衝撃的な事件でもあり、被害者を死に追いやるまで苦しめ助けの声を揉み消しのうのうと生きている加害者への怒りが消えるどころか更に煽らせた。
救えた筈の燈を誰も救おうともしなかった。
どんなに苦しく悲しかっただろう、どんな思いで死を選択したのか、もしかしたら自分も同じ結末を迎えていたのかもしれない。
その怒りと悲しみが混じった記憶は目の前の瑠璃奈への軽蔑の目へと変わる。
「アタシは羽美朱音さんを苛めてないし!葬式でどんだけ泣いたか分かる?!!本当に悲しかったんだから!!あのデタラメ記事のせいで家族と他の友達にも迷惑かけてるのに…どうしてアタシばかり…」
「(マジでやり方が
「あ、アレは、笑って手を合わせた方が羽美さんも喜ぶと思って友達と笑ってただけです!!なのに皆あの化物に殺されちゃって…!!!アタシ…!!!絶対に許せなくて…!!だから貴方達に頼ったのになのにどうしてこんな事言われなきゃいけないわけ?!」
激しある怒りに任せて捲し立てた瑠璃奈だが最後の方は涙声になりボロボロと両目から大粒の涙を流していた。そんな彼女の隣にいるボブヘアの少女は寄り添う訳でも、瑠璃奈の代わりに怜へ反論する訳でもなく、死んだ様な目をしたままじっと座っているだけだった。彼女のその態度が瑠璃奈への疑念を更に強くさせた。
「ちょっと!怜!!」
「(少しでも俺の許嫁って名乗るならちゃんと見抜けよ)はいはい。申し訳ございませんでした。で?俺達にその化物を倒して欲しいってことでいいんですか?」
「っ!!そうよ!!だって許せないじゃない!!アタシの目の前で殺されて…」
(じゃあ…なんで助けを求めてきた手を振り解いたんだよ。矛盾し過ぎやろ)
(あまり信用しない方がいいって思ってたけど、怜の態度からして正解だったわね。あの雑誌とネットの言う通り…)
怜には少し失望させられていたが実は澪も薄々感情に任せて喋る瑠璃奈の言動に疑念を抱いていた。
きっと、羽美朱音の葬式で泣いたという話も仲良しだった彼女が自殺した悲しみの涙ではなく、"惨めに死んだ馬鹿でどうしようもないサンドバッグへの嘲笑"としての嘘泣きだったと察した。
怜は澪に"これでもこんな女の依頼を受けなければいけないのか"と憤怒を込めた目を向ける。澪は"我慢して"と申し訳なさで目を逸らした。
澪は短くため息をつき瑠璃奈の話を聞き続けた。
「あのぉ、島崎さん。一つだけお願いがあるんです!」
「え、な、なんでしょう?」
「あの化物の正体は恩知らずの羽美朱音でしょ?」
「あの、それは」
「そうに決まってる。だって、あの化物は死んだ人間の魂でできてるんでしょ?!あんな廃工場で自殺した奴なんてアイツぐらいだし。本当恩知らずよね!アタシがどれだけあの子を救ってきたか…!!」
瑠璃奈は魔獣の存在を少しは調べていた様だ。
本当に親友だったのか疑わしい発言をしているにも関わらず悲劇のヒロイン面して瑠璃奈は話を続ける。隣に座るボブヘアの少女が益々表情が暗くなってゆくのが目に見えていた。
このまま瑠璃奈の長ったらしい被害者面台詞を聞いていても埒があかないので、怜は話をわざとらしく彼女が要求してきたお願いを聞き出そうとした。
(遂に感情が自分で制御できなくなってきて本性見せてきたな。この女)
「自分を苦しめてきた母親じゃなくてなんでアタシ達なのかしら!マジで頭悪すぎ!」
「本当にアンタら親友だったんですね。とてもそうには見えないけど。それより、アンタがさっき言ってたお願いって?」
「っ……それは、あの化物の止め《トドメ》を私に刺させてほしい。それが私の一つだけの願い。ねぇ?いいでしょ?」
怜は呆れた様に澪の方を見る。怜と視線が合った澪は大丈夫分かっていると言いたげな目で視線を返す。澪の瑠璃奈の見る目が真剣な眼差しに切り替わる。瑠璃奈のお願いの応えに迷いなんて1ミリもなかった。どんな理由があろうと剣士と武器人として彼女を特別扱いなんてしない。
「瑠璃奈さん。申し訳ないですけど、貴女のそのお願いは承知できません」
「はぁ?!なんでよ!!」
「貴女はあくまで依頼者の立場。魔獣との戦闘に幾ら止めを刺す段階でも参加させられない。それ程危険な事なんです」
「ねぇ?!アタシ言ったよね!!友達の仇を打ちたいって!!見せたでしょ!!あの動画ぁ!!目の前で大切な友達が殺されるところぉ!!!」
「どんな理由があろうと無理なものは無理です。依頼者を魔獣から守る事も私達の仕事。どうかご了承を」
「どんなに暴れたり泣き喚いたって俺達の考えは変わらない。友達の仇を打ちたい気持ちはわかる。でもこれは命に関わる問題。アンタも幼稚園児じゃないんだから素直に聞き入れろ」
必死に自分がどれだけ苦しんでいるか訴えようと2人の意見は変わることはない。けれど、今回は事情が違う。釘藤瑠璃奈の証言は偽りに塗り固められている様なモノ。
週刊誌の記事やネットの情報、ニュースに出ていた被害者羽美朱音の母親の涙の訴えを見ていた怜は惑わされなかった。
それは、怜自身も同じ経験して未だに苦しんでいるからだ。
自分の思い通りにならないと悟った瑠璃奈は両手で机をバンっと激しい力で叩き、殺意に満ちた目で怜と澪を睨みつけた。
机を叩いた音にボブヘアの少女は少し肩をビクッとさせた。
「どうしてもダメなの…?」
「無理なものは無理。全部自分本位な考え方で助けを求めてる友達の手を振り解く様な人間のお願いなんて尚更聞けない」
「………もういいです。アンタらと話してるとアタシまでおかしくなりそう!」
瑠璃奈は苛立ちながら机の上に置いてあったスマホを奪う様に手に取り電源を入れる。画面を見ると数件の通知がきていた。
自分の思い通りに動いてくれない怜達から一刻も早く離れたいと思っていた瑠璃奈にとってこれ幸いと一瞬だけ笑みを浮かべた。
ボブヘアの少女は恐る恐る瑠璃奈の方に顔を向ける。自分の方に向けられた顔が怯えているのに苛立ち瑠璃奈は舌打ちを打つ。
「ちょっと繭!!後はアンタが話をつけておいてよ。アタシ用事があるから!」
「え…」
「え?じゃない!!アタシもう帰るから後の事お願いねって言ってるの!!本当バカのろま!!羽美の奴にそっくり!!」
「…ごめんなさい」
「馬鹿はアンタだろ?釘藤瑠璃奈」
ボソッとそう呟いた怜に瑠璃奈は般若顔で睨む。怜も怯むことなく睨み返す。
バチバチと火花を散らすも埒があかないと瑠璃奈の方から目を背けた。決して怜が怖いとかではなく、とにかくこの場から離れたいという一心からだった。
瑠璃奈は繭という少女の耳元で何かを呟いた後、ずかずかと入口の方に向かい扉を勢いよく開けてバンっと激しく叩きつける様に閉めて去った。
澪はその様子を呆然と見守るしかなかった。怜の方はやっと厄介者がいなくなったと清々していた。
ようやく静かになったカラオケルームには怜と澪、そして、繭と呼ばれた少女の3人だけとなった。
瑠璃奈が繭の耳元で呟いていたことが少し気になった怜だが突然切り出すのはどうかと思い今は思い留めた。
瑠璃奈という枷が居なくなった繭だが暗い表情は消えない。澪はそんな彼女にそっと問いかけた。
「あの…繭さんでしたっけ…?」
「……はい。雨宮繭です…。あの、どうしてもあの人の願いを叶えられませんか…」
「申し訳ないけどそれはできない。貴女が瑠璃奈さんに何を言われたのか分からないけれどもどんなに脅しをかけても無理」
「……」
「繭さん。申し上げにくいけど釘藤瑠璃奈が言ったこと…」
「澪。ちょっとタンマ」
澪が本来の事実を話そうとした途端、怜に言葉を遮られた。
繭が口ごもり表情を隠すとふるふると小刻みに震え出したのを怜は見逃さなかった。
本当は瑠璃奈の付き添いとして来ただけではない事、緊張で伝えねばならない事を中々言い出さないということも既に怜は見抜いていた。
瑠璃奈の言葉は矛盾と嘘で固められていることを死んだ目で座っていた繭が証明していた。
今にも泣き出してしまいそうな彼女の目に涙が溢れ始めて視界が歪む。2人に伝えるべき事があるのに緊張と瑠璃奈への恐怖で喉につっかえて出てこない。
羽美朱音を死に追いやったのは彼女の母親ではない。自殺へと導いたのはヒステリックに叫び自分の保身に必死になっていたあの女。
怜は突然ゆっくりと深呼吸をして覚悟を決めた目付きをする。見えない何かに怯える繭が自分達のことを信じてもらう方法。
「雨宮繭さん。依頼のことは気にしないでいい。俺達がなんとかする」
「怜…?」
「大丈夫。今から話すことは全て俺の独り言。だから何も気にしなくていい」
「……」
「俺も彼女と…羽美朱音さんと同じ目に遭ってた。ずっと誰にも言えない痛みと苦しみで戦ってた」
「……!!」
沈んでいた繭の表情が怜の言葉を聞いてバッと驚愕に切り替わる。まるでようやく自分を話を分かってくれる人を見つけた様な表情。
驚く繭を気にかけることなく、独り言として怜は話を進める。彼が繭に伝えたい事。それが他人の悪意がかけた暗い靄がかかる繭の勇気を奮い立たせるには必要な話でもあり、悪夢を見続ける怜自身がしっかりと向き合わなければならない話でもあった。
(朱音が受けた苦しみ…)
「こんな事、加害者共と俺の家族と大親友の佐々間幸人って奴ぐらいしか知らないし、赤の他人に話した事なんてあんまない。当たり前だけど」
(まさか…あの
「釘藤瑠璃奈の話が嘘で、週刊誌に載ってたいじめが事実でしょ?殴られたり罵倒されてるところを見てる筈なのに誰も助けてもらえない、忙しい両親に心配をかけさせたくないから秘密にする。最期は全部苦しくなって…」
「……」
「解決しても全て終わった訳じゃない。苛めた方は終わったと思ってても、受けた方は一生終わらない。俺も未だに夢に出てくるもん。
澪が転校して来た日に見た悪夢も過去に平良雅紀から受けていたいじめが原因で作り出された夢幻だった。その悪夢を見た日は必ず飛び起き不安に駆られる朝を迎える。
父から受け継いだ肌を何度も恨み、他の人と同じになりたいと願った日は何度もある。
もし、朝起きたら皆と同じ肌の色になっていたら。好奇の目で見られる事もなく、外国人に間違われたり、変に期待される事も、バカにされる事もないそんな妄想だって何度もした。そして、目覚める度に絶望した。
「殴られたり、物隠されたり、金要求されたり、ゴキブリって言われて殺虫剤かけられたり、裸にされて白いマーカーで落書きされたり…言い始めたらキリがない。助けたら自分もいじめられるからって助けてくれる人はいなかった。それは大人も同じ」
(朱音ちゃんと…同じだ…)
「親になんて言えなかった。まだ弟も小さかったし、姉ちゃんも学業で忙しかったし、これ以上面倒事を増やさせたくなかった。母さんの事で沢山泣いてたからもう悲しませたくなかった」
怜の脳裏に全てを知った後のルイスの顔がよぎる。
普段は子供達には見せない悲痛に満ちた顔。その時に抱きしめてくれた感触はまだ忘れられない。
《どうして黙っていたんだ》
《隠さないで欲しかった》
《何も知ろうとも疑いもせず生きてきた自分が憎い》
今でもルイスの涙声が忘れられず後悔として残る。
ある人物に言われた言葉がその意味をさらに明確にさせた。
「怜くん。親ってね、子供が影で苦しんでるのに助けられなくて、全てを知った頃にはもうボロボロになっていた姿だった時が一番辛いのよ」
この言葉は幸人の母である夏芽が怜に言った言葉。自分もいじめられるという恐怖に打ち勝ち、勇気を奮い立たせた幸人が、死を選び大雨の影響で濁流と化した川に飛び込もうとした怜を助けた日に言われた事でもあった。
怜は夏芽に"言わないでほしい"と泣きながら訴えても彼女の意思は変わらなかった。
けれど、その出来事がきっかけで怜に希望の光が少しずつ差した。
そして、あの週刊誌に載ったあのいじめ自殺事件の当事者が依頼者として現れた。
本来の目的は元凶によって隠されてしまっている状況を打破したかった。釘藤瑠璃奈が放った靄を怜は払おうとする。
繭は払いかけている靄から怜と澪に必死に手を伸ばそうとしていた。
「あの記事を読んだ時本当に許せなかった。俺が受けたのよりも酷い。あんなのいじめっていうレベルじゃない。完全な犯罪。なのに加害者はいろんな人間を騙して自分を正当化させて馬鹿みたいに笑いながら生きてる。未練を残して散った羽美さんを思うとやるせなかった。もし、あの魔獣が羽美さんだったら救ってやりたい。あの女の魂と血を背負い込む前に」
「……ほ…とに…」
「え?」
「本当に朱音ちゃんを救ってくれるんですか?それが本当なら…本当に救ってくれるなら私…私は…」
「繭さん…」
怜の独り言を聞いた繭は震え声で彼等への応えを出す。瑠璃奈に脅された言葉ではなく自分自身の言葉で涙に染めながら朱音の今後を決める。
今度こそ苦しみから解放させる為に。そして、朱音を助けられなかった自分を罰する為に。
「わたし…何もできなくて…!!今更過ぎるのは分かってます…!!でも、でも…、もう朱音ちゃんが苦しむ姿を見たくない…!!何でもします…!!だから、だから、お願いです…!朱音ちゃんを…朱音ちゃんを…う、うわぁああ…!!!」
繭はひた隠してきたモノが爆発して大声を上げながら泣き叫んだ。ただ顔を覆いながら泣く彼女に澪はそっと彼女に寄り添いゆっくり背中を摩った。
泣き声と嗚咽が部屋に響く。瑠璃奈の業の深さを改めて思い知らされた。
羽美朱音は釘藤瑠璃奈によって殺された。
そして、"魔獣の止めを刺させてほしい"という瑠璃奈の要求を絶対に叶えてはいけないという事も。
「ごめ、ごめんなさ…わたしぃ…っ!!!うぅ…!!」
「いいよ。落ち着いたら話して。大丈夫。私達が貴女を守るから」
「澪。俺、ジュースかなんか取ってくるわ」
「ありがと怜。繭さんは私が見てるから」
澪に介抱されながら泣く繭の姿は後悔と懺悔に染まっていてとても痛々しかった。瑠璃奈が隣にいた間の死んだ目をした彼女とは到底思えない程。
怜が彼女の心の解放の為に曝け出した過去が羽美朱音が受けたモノにどこか似ていたのだろう。実際、怜の話を聞いていた繭は心の中で"朱音ちゃんと同じ"だと感じていた。
瑠璃奈の虚言と気持ち悪さがある自信に怒りが込み上げる。
(ネカフェのカラオケルームにして正解だった。金はかかるけど、此処の方が彼女にとってもいい。あの
ドリンクバーで繭達に持ってゆく飲み物をどれにしようか迷う。甘いジュースの方が喜ぶかと少し考えたが、今の繭の状況を思い返して無難に烏龍茶にした。氷が入った紙コップに烏龍茶が注がれる。
繭と澪の分の烏龍茶を注ぎ終え後は自分の分の紙コップだけ。
これから繭の方から聞けるであろう羽美朱音の身に起きた壮絶ないじめと悲し過ぎる末路。加害者は反省するどころか保身に走っている。
羽美朱音が瘴気の力を借りて魔獣になって彼女らに復讐する気持ちも怜には痛いほど分かった。
(……そういえば…)
怜はふとある違和感を思い出した。
それはあの廃工場で襲われて逃げ惑う瑠璃奈達の映像。瑠璃奈とその友人達の悲鳴と騒音、魔獣の高い叫び声が混じる壮絶な一部始終だが、その中で一つだけ怜は違和感を感じていた。
それは、廃工場では聞くはずのない微かに聞こえたとても幼く純粋な泣き声。好奇と侮辱と焦りに満ちた声ではなく無垢な泣き声を怜は聞き逃さなかった。
もう一つ、何故廃工場から出てこないのか。あの公園で遭遇した魔獣は自由に動き回り復讐対象を殺していた。だが、今回の魔獣は廃工場に現れた瑠璃奈以外の人間を殺した後は全く動きを見せていない。前のようにニュースにも話題にもなっていない。まるで瑠璃奈を待っているよう。
けれど、まだその正体と目的がイマイチ掴めないまま。もしかしたら繭が何か知っているかもしれない。
怜は自分の分の烏龍茶を注ぎ終え、3人分の中身が入った紙コップを乗せたおぼんを持ちカラオケルームに戻っていった。
戻る最中、もし瑠璃奈の思い通りになったらと想像したら怒りしか湧いてこなかった。勝ち誇って太刀となった澪を使って乱暴に魔獣を傷つけるイメージしか思い浮かばなかった。
きっとそれでは羽美朱音は救われないし苦しみが増えるだけ。
(是が非でも阻止してやる。もう殴る勢いで)
瑠璃奈が自分が1番だという言動ばかりしていたのを思い出し舌打ちを打つ。
おばんの上の烏龍茶が零れないように慎重に澪達が待ってるカラオケルームへ急いだ。
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