第1章 流れ星の如く

第壱話 運命の人 前

夢の中。思い出したくもない記憶の悪夢。

木原怜はその夢をよく見ては魘される。


「おい。ガイジンもどき」


小学生の頃の怜は同級生の1人に指を刺されながらそう言われた。

中身はれっきとした日本人なのに見た目は父親の遺伝がよく現れた姿。褐色の肌と直毛とは程遠いチリチリの髪、顔も日本人の顔ではない。

その見た目が原因で怜は幼い頃から周りから変な目で見られていた。

それがエスカレートしたのが小学生の時だった。


「汚いからその手で触らないでくれる?」

のくせに足遅いんだね。ダサ…」

「ゴキブリのくせに学校来るなよ」

「英語が喋れない"ニセモノ"」


浴びせられる罵倒を聞きながら怜は自分の机を見る。机一面に埋め尽くされている嫌な言葉ばかりが並ぶ落書き。

ボロボロに破られた教科書とノート。投げつけられる紙屑と消しゴムのかけら。

幼い怜はそんな仕打ちを静かに泣いて耐えるしかなかった。


(これ以上父さんに迷惑かけられない…大丈夫…僕が我慢すれば…)


全ては病で眠り続けている母親の為。ここで心を折るわけにはいかなかった。それは今でも。










「っ…!!!あー…またかよ…」


中学生の怜はさっきまで見ていた悪夢が原因で自室のベットで目が覚めた。

舌打ちをしながらベットの下に落ちていたペンギンの大福クッションを片手で持ち上げそのまま抱きしめた。


(やっと忘れかけてたのに。なんで変に思い出させるかね…)


大体目覚めたら夢の内容を忘れることが多いがこの悪夢を見る時は必ず覚えていてなかなか忘れられないものだった。

怜は大好きなペンギンのマイクロベルボア素材の大福クッションを抱きしめて夢を忘れようする。


(本当ならペン丸と戯れる夢だったはずなのにな。なぁ〜?ペン丸ぅ)


大福クッションのペンギンのキャラクターペン丸に想いを馳せる怜はゴロリと寝返りを打つ。もう一眠りしようと目を瞑った。

けれど、怜のその考えは突然の訪問者によってすぐに打ち砕かれる。

突然バンっと勢い良く部屋の扉が開いたと思うとドタドタと足音を立てながら怜が寝転がっているベットに近づいてきた。

その影はペン丸の大福クッションを抱き締めていた怜にドンっと飛び乗ってきた。怜に見覚えがある重みがのしかかった。


「にーちゃん!!おはよー!!!」

「うお!萊?!」

「おーきーてー!!!ちこくするよー!!!」

(また萊に頼んだな…)


その正体はニコニコと楽しそうに怜を起こそうとする弟の莱だった。きっと父のルイスか姉の莉奈に頼まれたのだろうと怜は悟る。

怜はペン丸の大福クッションを渡し、莱がベットから落ちないように抱き締めながらゆっくりと起き上がった。

萊の頭を撫でると彼は嬉しそうに笑った。


「おはよう萊。パパとねーちゃんとこ行こうぜ」

「うん。おなかすいたぁ」


萊を抱き上げベッドから立ち上がる。

自分によく似た弟を連れながら部屋を出るとトーストを焼いた香ばしい匂いが漂ってきた。その匂いがする方へ足を進めた。

ふぁっと欠伸をしながらリビングに向かうと既に父親のルイスと姉の梨奈が朝食の準備を終えて2人を待ってくれていた。


「おはよ」

「おはよう怜。よく眠れたかい?」

「……一応」


悪夢のせいで飛び起きたことは父であるルイスには内緒にした。

あまり心配かけたくないのと、過去の出来事が原因なのを言ってしまったら更に悲しませてしまうと思ったからだ。

怜は短くため息をつきながら席に着き、箸を手に取り"いただきます"と呟いた。

机に並べられていた目玉焼きに箸をすすめる。

すると、あっと短く呟き何かを思い出した里奈が怜に話しかけてきた。


「怜。今日アンタの学校に転入生が来るんだってね」

「……なんでねーちゃんが知ってるの?まさか幸人?」

「そう。昨日アンタに聞くの忘れてたから。女の子らしいじゃない?」

「俺のクラスに来ることぐらいしか知らんて。そいつが女の子って話今知ったし。それに転入生とか俺にはクッソどうでもいいわ」

「少しは関心持ちなさいよ。無理にとは言わんけども」

「俺には何も関係ないから関心もクソもない。それより今日の夜アニマルアースチャンネルでやる世界のペンギン大特集の方がすんごい気になる」

「でた…怜のペンギン大好き病…」

「ペンギンは俺の全てだからね。特にペン丸は」


呆れ果てる莉奈を構うことなく怜は豆腐の味噌汁を啜った。莉奈の"そんなんだから女の子寄り付かんのよ"というぼやきは怜には通用しない。


「怜。今日は病院に行く日だよな」

「うん。母さんの見舞いの日。その後幸人と…」

「ダメだ。露香のお見舞いが終わったら真っ直ぐ帰ってきなさい」

「はぁ?なんで?だって今日は幸人と遊ぶから夕飯いいって言ってあったじゃん」

「ニュースを見ろ」


前々から母親の露香の見舞いの後に親友の幸人と遊ぶと約束をしていた怜は苛立った。その事をルイスにしっかりと告げていたのに今日になって突然却下されてしまったからだ。

ルイスにニュースを見る様にと促され怜は不貞腐れながらテレビがある方に目を向けた。

ニュースで流れていたのはある猟奇事件の報道だった。


『シズカラ市清滝区のシズカラふれあい公園近くの雑居ビルで遺体が発見されました。遺体の性別が判明できないほど損傷が激しく身元の特定が…』

「え」

『近くには総合病院と小学校がある場所で…』

(は母さんの病院近く…)

『先日に発生した事件と類似していることから同一犯と見て捜査を…』

(………なるほど。んあ〜…だからかぁ〜…ん〜…俺は大丈夫って言っても聞かないやつだ…)


テレビに映っているのは見覚えがあるビルの裏口。まだ犯人が近くにいるかもしれない、この前も同じ様な事件が起きたばかりで住人の不安がさらに募るとテレビから流れた。

怜達が住むシズカラ市で同様の事件が起き犯人もまだ捕まっていないのも事実だった。

その時も夥しい量の鮮血と僅かな肉片しか残らない壮絶な殺人現場だったと報道されていた。今回もきっとそうだろう。

しかも今回は怜の母が入院している病院の近くで発生したことで怜の約束を聞いていたルイスは気が気でなかった。


「……あ…なるほどね…うん…」

「だから今日は露香のお見舞いが終わったら真っ直ぐ帰っておいで」

「りょーかい」

「あ、パパ!肝心な事言い忘れてる!!」


莉奈のその言葉にルイスはあっ!っとした様子で何かを思い出した。真剣な表情だったルイスの顔が一気に綻んだ。


「怜。あとお前にサプライズがある」

「はぁ?次は何?サプライズ?何?俺の誕生とっくに過ぎてるけど…」

「帰って来てからのお楽しみ」

「おたのしみ〜」


萊が楽しそうにルイスの言葉を真似する。

怜はルイスが言ったサプライズの意味を探ろうとしたがそろそろ登校する時間が迫っていて叶わなかった。


「やば!ごちそうさま!!」


少し慌ててご飯を食べ終えた怜は急いで身支度をした。

その足で浴室の方へ向かい洗面台で歯磨きと顔を洗ってから慌てながら自室で制服に着替えた。

ドタドタと音を立てながら階段を降りる。


「怜。弁当、弁当」

「サンキュッ」


リュックの中にルイスから受け取ったお弁当と今日必要な教材と愛用のヘッドフォンが入っているのを確認してから背中に背負った。


「じゃ行ってきます!!」

「いってらっしゃい。怜」

「にーちゃん頑張ってね〜」

「いってらっしゃいー!!ちゃんと真っ直ぐ帰ってきなさいよ!!!」


大好きな家族の声を背に怜は玄関の扉のドアノブに手をかける。

ふと、さっきルイスと里奈が言っていたサプライズの事を思い出した。


(……結局サプライズってなんだろ?何も聞けなかったな。こえーから父さん達には内緒で寄り道してやろう…うん。それがいい…)


ルイスの言いつけを敢えて破ってやろうと考えながら玄関の扉を開け目の前を見る。するとそこには幼馴染で学級員長の石橋楓がインターホンの前で突っ立ていた。

家から出てきた怜に楓は顔を赤くしながらあたふたしていた。


「え、あ、あの、えっと、えっと…お、おは、おはよう…!!木原くん…!!」

「おはよう石橋さん。どうしたの?俺んちの前で」

「いや、その、あの、た、たまたま、き、き、木原くんの家の前を通ったら出てきたら、い、い、一緒に学校行きたいな…なんて…だ、だって、ほら、最近が起きたばかりだし…その…」


楓は自分が怜の家の前にいた目的を伝えようとするも緊張と恥ずかしさで声が小さくなってしまい彼に伝わる事はなかった。よく聞こえなかった怜は首を傾げた。


「え?」

「あ、いや、な、なんでもないの!!たまたま木原くんちに通りかかったら家から出てきたら挨拶しようとしただけで深い意味はないの!うん!!」

「あ〜そうなんだ。なんかありがとな。ごめん。幸人待たせるから先行くわ」

「え?あ、うん。ごめんなさい。なんか引き止めちゃって…あの…また後でね…」

「うん。また後で学校で」


段々と遠くなってゆく怜の背中を見送りながら控えめに手を振る楓は呆然としていた。


"またダメだった"


楓が怜の家の前に来るのは初めてではない。一緒に登校しようと誘おうとするのも。

けれど、一度も成功したことがない。何故なら大好きな怜の前になるとすぐに緊張で上がってしまうのが原因だからだ。

いつものように心の中で反省する。はぁーっとため息をつく。


(あ〜も〜!!なんでいつもいつもこうなんだろう?!そうじゃなくて一緒に登校しようって言うだけなのに…!!)


気持ちに余裕がある時にしかインターホンを押せない自分に地団駄踏んでいた。

いつも通り怜の背中を見送る。それが勇気が足りない楓の朝だった。

肝心の怜はその事を知らない。楓の気持ちを知らないから尚更。

そんな彼は気持ちを切り替えようとワイヤレスヘッドホンを装着してスマホをタップした。

スマホに映るのは怜が生まれる前の年代に活躍した世界的に有名なイギリスのロックバンドのアルバムのジャケットだった。

お気に入りの曲名をタップし再生させた。

ヘッドホンから音楽が流れる。今回セレクトしたのはロック調のテンションが上がるような楽曲だった。

エレキギターとドラムの激しくも心地よい曲調がさっき見た悪夢を忘れさせてくれる。

今の怜には楓の気持ちに気づく気配はない。


(なんで石橋さんあんなに顔真っ赤に上がってたんだろ?俺何かしたとか?まぁいいか)


楓が怜のことが好きだからだが彼は知ることはいつになるやら。楓が怜とふたりきりで登校できるのもいつになるのか。また遠くなるのか。

けれど怜はそんな事知る由もない。今大事なのは親友の佐々間幸人と合流する事が大事だったからだ。


「怜〜!!!」


音楽を聴く怜の背後から聴き慣れた声がした。

敢えていつもより少し音量を下げていたおかげか激しめの曲調でもその声はしっかりと怜の耳に入ってきた。

右耳のイヤホンを外しそのままズボンのポケットへしまった。

声の主は駆け足で怜に近づき彼の肩に手を回した。


「おはよ!待った?」

「おはよう。幸人。ううん。別に。そんなに待っとらんよ。ちょっと石橋さんと話してたりしてたから」


怜の名を呼んだのは幼馴染の佐々間幸人だった。

幸人は怜が楓と会って話していたことを聞いて思い当たるものがあった。

怜の今の表情を見てなんとなく楓の今の状態を察した。


「え?委員長と?あ、ふーん……なるほど」

「なるほどって?」

「ん〜…まぁ今は深く考えんでいいってことよ」

「え?」

「いいからいいから」

(……別に石橋さんとは何ともないから気にせんでいいのに。なんではぐらかすかね〜?)


怜ははぐらかされたので少し気になったがどうせ教えてくれないことはわかっていた。

幸人が考えているような事は起きてない。楓と同じ気持ちだと勝手に決めつけていた。

何か言いかけた幸人はすぐに話題を切り替えた。


「それよりさぁ〜今日だろ?」

「何が?」

「転入生だよ!俺んちクラスに来るじゃん!!覚えてねーの?!」

「……全くもって興味ないから殆ど覚えてねーわ。新学期早々の転入生ぐらいしか」

「女の子らしいぞ!!しかもすんごい美人の!!」

「くっそどうでもいい。そんな女男どっちでもいい。それに俺とは関わることはないだろうし、どうせあの性悪イケメンの平良に向かうだろ?」


クラスメイトの平良雅紀の顔が頭に思い浮かぶ。

楓との女子以外は大体彼の甘い美貌に魅入られてしまう。幸人はそれが原因で好きだった女の子に振られていつも泣かされていた。

雅紀の性格を昔から知っていた怜は怒りと哀れみの目で見ていた。

さっき見た夢が少しフラッシュバックする。


(あのバカは奪うことしか脳にない。いずれバチが当たるさ)

「確か平良の隣の席さ空席だったよね…」

「そうだっけ?まぁ俺の隣もそうなんだけど。こっちに来ることはねーだろ?」

「来るかもしんないじゃん!諦めんなって」

「……あんまり幸人以外と関わりたくないだけだよ」


はぁーっとため息をついた怜はズボンのポケットにしまっていた右耳用のイヤホンを取り出し再び装着する。

今の怜には異性には全く興味がなかった。

自分を見守ってくれる家族と自分とは違う明るさを持つ親友の幸人と今聴いている洋楽、そして幼い頃から大好きなペンギンがいれば十分だった。

だから新しく加わる新入生にも興味を示さなかった。

玲は幸人の話を聞きながらイヤホンから流れる曲の音量をほんの少しだけ上げた。




シズカラ中学の2-3の教室。

学校に着いた怜は自分の机に持ってきた教科書を入れリュックを机のフックにかけた。

イヤホンは学校に到着する直前に外しリュックの中においていた。

まだ朝のホームルームが始まる前だからクラスメイト達はそれぞれ友人達と共に談笑したり授業の準備をしていた。

けれど一番話題になっていたのはやはりこれから来る転入生のことで持ちきりだった。怜は相変わらず興味を示さなかった。


(そんなに盛り上がることかねぇ?)


自分達の人生にはほんの少ししか関わらないであろうその人物に無関心のままの怜は一限目の授業の支度を始める。一限目は怜が好きな歴史の授業だった。

歴史の先生がクラスの担任であるということで今日のHRが転入生の登場で長引いて授業が短くならないか少しだけ不安になった。


(嫌な予感しかしねぇでやんの…)


深くため息を吐きながら空席状態の隣の席を見る。

誰も座ることはないであろうそこに来ることはない。来るのはきっと。


(平良の隣)


そう考えていると今一番聞きたくなかった男の声が聞こえてきた。今朝見た悪夢の元凶ともいえる男の声。


「お前の隣に転入生が来るわけねーだろ?が夢なんか見てんな」

「はぁ?」

「俺見たんだよ。さっきすんごい美人の子が職員室に入っていくのを。絶対俺の隣に来る。お前みたいなクロンボ陰キャの隣の席なんて選ぶわけねーもんな」


勝ち誇った顔で平良雅紀は構うことなく差別と侮辱を込めた呼び名で怜を呼ぶ。怜を蔑む言葉と一緒に。

自己中な考えをぶつける雅紀に怜はただただ呆れるしかなかった。相手にするのも面倒くさくあまりのしつこさにもうため息しか出てこなかった。


「……そんな馬鹿みたいな夢見てるのはお前だけだよ」

「あぁ?負け惜しみかよ?」

「なんでそういう考えになるの?俺は転入生が女の子だとか美人だとかクッソどうでもいい。どうせしばらく経てば当たり前になる。今だけ勝手に騒いでればいい。それだけ」

「本当つまんねーな」


雅紀は苛立った鋭い目つきで怜を睨みつける。怜はその目に怯むことなく人を馬鹿にした目で睨み返した。

周りの空気が一気に凍てつき静まり返る。

空気を察した幸人が慌てて怜に駆け寄ろうとする。クラスの代表兼学級員長の楓も慌てて怜を心配しながら2人の間に入ろうとするも正義心よりも恐怖心の方が優って動けずにただただ見守っているしかなかった。


「お、おい、怜」


怜に駆け寄った幸人はすぐに彼が冷静なままだと悟る。今、怒りの感情で何を仕出かすか分からないのは目の前の男だけ。

さっきまで騒がしかった教室内が嘘みたいに静まり返る。

静寂が走る教室のスピーカーから聞き慣れたチャイムの音が空気を読むことなく平然と響き渡った。

ピリピリとした空気には似合わないチャイムの音を聞いて怜は拍子抜けしてしまう。


(俺はこんなガキみたいな奴に泣かされてたのか。あんな悪夢まで見るぐらいに。情けねーったらありゃしない)


怜は願わずとも怒り浸透の雅紀を見て昔の自分を思い出してしまう。

今はこんな風に強く言い返せているが中学に上がる前はその真逆だった。だから尚更怜は自分自身に情けなさを感じていた。

我慢しきれなくなった雅紀が怜の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした時だった。

教室の引き戸が開くのと同時にクラスの担任の三河貴絵のハキハキとした声が一触即発の空気を打ち破った。


「ハイハーイ!!みんな席に着くー!!!朝のHR!!石橋さん。みんなが席に着いたら挨拶お願い!!」

「え?!えっと、あ、あの、はい!!み、皆さん!席についてください!!!」


楓の呼び声と教卓に立った河村を見て怜と雅紀を見ていた生徒達は蜘蛛の子を散らす様に急いで自分達の席に戻ってゆく。

雅紀も怜を睨みつけながら舌打ちを打ち不機嫌そうに自分の席に着いた。

まだ困惑する空気の中、河村の言いつけ通り楓は大声で号令をかけた。


「起立!礼!着席!!」


一通りの号令を終えるとガタガタと椅子を動かす音が教室に響く。怜にとっては一旦雅紀との諍いが終わった合図にも聞こえた。

全員が席に着いたのを確認し点呼を終えた後、遂に怜以外の生徒達が心待ちにしていた転入生の話なった。


「みんなもう知ってると思うけど今日はこのクラスに新しい子。つまり転入生が編入してきます」

「先生!どんな人ですか?!」

「フフ。今呼ぶから待って。どうぞ!入ってきて!!」


河村は引き戸に向かって噂の転入生を呼び寄せた。

その転入生はゆっくりと引き戸を開け新しい教室に足を踏み入れる。

転入生は教卓の隣で立ち止まり生徒達がいる方に身体を向けた。

その姿を見た生徒達は息を呑んだ。皆口々に思い思いの感想を小声で言い合う。


「すっごい美人…」

「本当にこのクラスに来るの…?!」

(確かに美人だけどさ…どうせしばらく経てば慣れるやろ)


怜だけは相変わらずだった。早くこの時間が終わってほしいとさえ思っていた。

慣れればそんな思いも消えてなくなると。

そんなことなんて知る由もない転入生に河村は自己紹介をするように促した。


「自己紹介いいかしら?」

「はい!初めまして!島崎澪です!」


腰まで長い真っ直ぐな綺麗な黒髪で三つ編みのハーフアップを施した髪型、パチリとした瞳、色白の肌を持つ澪という転入生は黒板の方に身体を向けチョークで自分の名前を書いた。

名前を書き終えた澪は再び生徒達の方に身体を向けてにこりと微笑んだ。


「よろしくお願いします!!」


お辞儀をしながら元気よく挨拶をする。

澪のあまりの美しさに怜以外の生徒は圧倒されて言葉がすぐには出てこなかった。特に雅紀は完全に彼女にぞっこんだった。

怜はそんな彼を見てドン引きしていた。同時に話のタネもできた。


(うっわ。平良の目ハートマークになっていやがる。昼になったら幸人に話そ)

「島崎さんはお母様の仕事の関係でシズカラ中学に転入してきました。皆、仲良くしてあげてね!」

「いろいろ迷惑かけちゃうかもしれないですがよろしくお願いします」

「島崎さんも何か分からないことがあったら皆に聞いてね。それじゃ…えっと…島崎さんの席は…平良くんの隣と木原くんの隣が空席なんだけどどっちがいい?」


河村が澪にどっちの席がいいか聞いた途端、その言葉を待ってましたと「先生!!」と雅紀は大声でアピールし始めた。雅紀は初めて会った澪に完全に虜になっていた。

雅紀は怜の席に指を指しながらこちらに来てほしいという気持ちを必死に河村と澪に訴えた。


「俺の席にしてください!!ココの方が黒板も見やすいし!!の隣じゃなくて俺の隣に…!!!」

(おい。良いとこアピールしたいからって俺に指さすな。馬鹿平良)

「わ、わかったから平良君ちょっと落ち着いて……島崎さんどうする?」

「……」


雅紀の必死さに苦笑い気味の河村に再度席の選択を促された澪だがもうとっくにどっちの席にするかは決まっていた。この教室に来る以前から決まっていたといっても過言ではなかった。その答えを言葉ではなく体現で示した。

こっちに来ることはないだろうと頬杖をしながら目線を窓際のほうに向けていた怜に影が覆われた。

ほんの少し暗くなった視界に驚き気配がする方にゆっくりと目を向けた。


「えっ」


彼女の答えは怜の隣の席。

雅紀の必死のアピールは無駄な浪費で終わってしまった。彼と他の生徒達はは澪の選択に唖然としていた。

来る筈ないだろと高を括っていた怜は突然のことで頭が真っ白になっていた。

怜に想いを寄せている楓も気が気でなかった。


「へ?なんでこっち…」

「これからよろしくね!木原くん!!」

「あ、うん?!よろしく?!」


予想外のことでパニック状態の怜の手を握り澪はにこりと笑った。

澪はじっと怜の顔を見てボソリと呟いた。


「………ホント…キレイ…」

「え…」


名残惜しそうに怜の手を放し自分の席に着く。

まだ感触が残る右手に怜はさらに困惑した。さっき微かに聞こえた澪の呟きが恐怖心を付け足した。

そうこうしている内に朝のHRが終わりそのまま楽しみにしていた歴史の授業に突入したが全く身につかなかった。

隣の席に座る澪が気になって仕方がない。それに加えて興味津々の幸人と苛立ちMAXの雅紀と焦る楓の視線が怜にグサグサと刺さり続ける。

一刻も早く昼の時間になって欲しいと願うことしかできなかった。

頭を抱える怜とは対照的に澪は幸せそうでとても上機嫌な様子で授業を受けていた。


(なんでよりによって俺の隣なんだよ…!!!)


澪がボソリと呟いた言葉が更に怜を困惑させる。

彼女はまるで初めて会ったような雰囲気で無かったからだ。まるで何処かであった事があるような。


"ずっと前から貴方を探してた"


そう訴えているかのような目。

今まで感じたことのない不快感に怜は焦りと不安に苛まれた。







ようやく地獄のような午前の授業が終わり昼の長めの休み時間となった。

その知らせを告げるチャイムが鳴り響き、号令が終わると同時に持ってきた弁当を鞄の中から取り出した怜は慌てた様子で幸人の元へ駆け寄った。澪に聞こえないように小声でいつものように屋上に行こうと促した。


「おい!!!行くぞ!」

「島崎さんも誘おうよ~?」

「はぁ?!いい!!呼ばんでいい!!早く!!!!」

「せっかちぃ〜」

「せっかちとかそういう問題じゃないんだよ!!」


ギャーギャー騒ぎながら怜は幸人を引っ張るような形で屋上へ急いだ。

バタバタと教室を後にした怜達を澪はじっと見ていた。

平良を含めた男性生徒や女子生徒達に一緒にお弁当食べようと誘われたが彼女は丁重に断りお弁当を持って怜達の後を追う。

幸人を引きずりながら屋上へ上がりバンっと勢いよく屋上の入り口の扉を開けた。


(鍵かけられればいいのに…)


施錠できないことに落胆するも少しの間でも澪から距離を置けたので少し安堵した。

一息つき、手摺を背にして2人は座り込み持ってきた弁当を広げた。


「いや〜まさか怜の隣の席を選ぶなんてねぇ〜」

「しかもなんか気に入られたくさい」

「あ?やっぱ?」

「……なんか一目で気に入られたっぽい…よく分からんけど…」

「平良の奴、授業中ずっと不機嫌だったな。まぁ委員長もなんだけども」

「え?なんで石橋さんも?」

「あ〜…あのな…そのねぇ〜…ん〜と〜…いろいろあるんだよ。いろいろとね」

「?いろいろ?」

「そう。いろいろあるんだよ」


楓の気持ちを知る由もない怜の答えに幸人は言葉を濁した。よく分かっていない怜は一瞬だけ頭の中にクエスションマークが浮かぶもすぐに別の話題に切り替わってぱっと消えた。


「そういえば島崎さんって人、急に俺の方を見て綺麗とか言ってきてさ」

「綺麗?目の瞳のこと?」

「たぶんそうだろうけど分からん。ボソって聞こえただけだから。その後も妙に俺の方を何度も見てこようとしてたし…」

「確かに怜の目綺麗だもんな。ルイスさんそっくり」

「はぁ〜…やめてくれよ。それであんまいい思い出ない」


幸人に指摘された通り、怜の目の瞳は一般的な日本人のモノと肌同様異なっていた。

日本人特有の茶色の瞳ではなく、父ルイスと同じライトブラウンとダークグリーンの中間色のヘーゼルカラーだった。

とても綺麗な瞳の色だが、その事で揶揄われたり、日本人と信じてもらえなかったりと怜にとっては散々な思い出ばかりであまりいいものではなかった。

周りの冷たい扱いと、母の血が強く引く姉の莉奈に憧れと嫉妬を抱いた苦い思い出がの方が優っていた。


(本当に自分がハーフなのか疑いたくなる。萊の目は母さんの目なのに)


中身は完全に日本人だが外見は父によく似た黒人の青年。

母親と同じ茶色の瞳を受け継いだ莉奈と弟の萊。自分には露香の子である証が身体の中に流れる血しかない。だからそんな疑問が産まれてしまう。


「でも綺麗じゃん」

「良くない。綺麗なだけじゃだめなんだよ。何も母さんと似てる要素ないもん。弄られるし。ねーちゃんと萊が羨ましいよぉ」


どうする事もできない現実にため息をつきながら唐揚げを頬張る。

幸人も怜のコンビニで買ってきたサンドイッチを食べ進める。


「……今日は裏口から帰った方が良さそう」

「平良対策?」

「それもあるし、あの転入生対策だよ。今日は母さんの見舞いに行かなきゃだから早めに出たい」

「俺も途中まで行ってもいい?ほら、おばさんの見舞いの後遊ぶ予定だったじゃん。せめてたい焼き食べてこ?」

「賛成。あの猟奇事件のせいでなくなったし買い食いぐらい許して欲しい」

「よし決まり!これでその後の授業も乗り越えられそう」

(まぁ…なんか胸騒ぎがするし…姉貴達が言ってたサプライズ…嫌な予感しかしねー…)


莉奈達から告げられたサプライズ。

澪がクラスにやってきて怜の隣の席に来た時からなんとなく彼女が関わっているのではないかという疑惑が沸々と湧いていた。

ただの思い過ごしだと考えたいが彼女の行動が更に疑念を深めた。


(大丈夫大丈夫。父さん達はあの転入生のこと今日来ることぐらいしか知らないし。絶対関係ない。焦るな焦るな)


甘めの卵焼きを口に含んだ瞬間、再びバンっと勢いよく屋上入口の扉が開く音がした。

驚いた怜と幸人は慌てて音のした方に首を向ける。


「げっ!!!」


扉を開けた人物は2人を追ってきた澪だった。

怜は思わず持っていた弁当を落としかけるもなんとか持ち堪えた。

怜を見つけた澪はにっこりと嬉しそうな表情で彼らの方へ近づいてきた。


「ここに居たのね。お昼、一緒に食べてもいいかな?」

「あ!!澪ちゃん!!うん!!是非是非!!!」

「はぁ?!やめろっての!!」

「ありがと幸人くん♪それじゃ…」


怜達同様、弁当片手に屋上にやってきた澪は幸人の了承を快く得ることができた。そのおかげで彼女が望んだ怜の隣へと座ることができた。

その様子に怜の食べすすめていた弁当の箸が止まる。ゲンナリとした様子で澪を見る。


「なんでだよ…!」

「ごめんなさい…木原くんともっとお話ししたくって…ダメだった…?」

「え"…」

「れーいー?」


嫌そうな態度をとる怜に澪は涙目でそう訴えてきた。まるで自分が彼女を泣かした悪者だと周囲に伝えさせている雰囲気になってしまった。

焦った怜は親友で味方になってくれるであろう幸人の方は目を向ける。

しかし、幸人は狼狽える怜に"いつまでも拒絶してないでいいから聞いてやれよ"とジト目で睨みつけた。

今の怜に味方はいなかった。澪の涙に全部持ってかれてしまっていた。


(う…うう…)

「ダメなら私教室に帰るね…」

「あ、いや、あーもー!!!わかったわかった!!帰らんでいい!!島崎さんと俺らで一緒に昼飯食おう!!幸人もそれでいいだろ?!!」

「さっすが怜さん♪話がお早い♪」

(腹立つ…!!!)

「ありがと木原くん♪優しいね」

(優しいとかそういう問題じゃないんだが…)


腹を括った怜は渋々承諾し3人でお昼を囲むことになった。

幾ら澪を警戒する怜も流石に涙には敵わなかった。こうするしかなかった、飯食いながら適当に相槌を打てばすぐにこの時間は終わるだろうと怜は自分に言い聞かせた。

早く時間が過ぎてくれと訴えながら唐揚げ弁当をもくもくと口に運ぶ。

そんな怜をよそに幸人は澪に自分が疑問に思っていたことを質問していた。


「澪ちゃんって何処から来たの?」

「東京だよ。いろいろあってしばらくママと一緒に暮らせないの。それでママの知人のお家で居候することになってるのよ」

「いろいろ?」

「うん。ちょっとね…ママも忙しい人だから仕方ないっていうか…もう慣れてるしね」

「へぇ〜澪ちゃんのうちも結構大変なんやな…寂しくないの?」

「平気。ママの知人の人とても優しい人だから」


話が盛り上がっている2人を横目に怜は持ってきたペットボトルのお茶の喉に流し込む。

急いで食べた弁当はもう空っぽでお茶しか残っていなかった。


(なんか食べた気しねーや。やっぱ後で見舞いの前にたい焼き買おう)

「怜は何か澪ちゃんに聞きたい事とかないの?」

「はぁ?……まぁ特にないけど…強いて言うならさっきの事」

「さっきの事?」

「だから俺を見てキレイだって呟いてた事だよ。ボソって言ってたの聞こえたから。空耳だったらごめん」


澪は怜のその問いに一瞬だけキョトンとした表情を浮かべたがすぐに元の笑顔に戻った。まさか聞こえているとは思っていなかったという様子だった。


「聞こえちゃってたんだ」

「まぁな。なんで俺のこと見てキレイだなんて言ったんだって。そんなこと言う人アンタが初めて」

「え!私が初めて?!」

「うん。大体の奴は俺のこと外人と間違えたり、差別用語連発するような奴ばかりだったから…」

「はぁ?!なにそいつら!!許せない!!!どこのどいつ?!教えて!!!」


怜が簡潔に自分の見た目が原因で受けてきたことを話したと途端、突然澪は怒りを爆発させた。怜はもちろん隣にいた幸人も驚きを隠せなかった。

澪が右手に持っていたハムチーズのサンドイッチがぐしゃっと潰れてマヨネーズで汚れてしまったが、怒りに狂った彼女にとってはどうでもよかった。

憤怒する彼女にとって大事なのは怜の今までの待遇だ。自分のことのように許せなかった。


「そ、そんなに怒らんでも…!!慣れてるし…」

「慣れちゃダメ!!こんな事ならもっと早く転校してきたかった!!!木原くんはとても素敵でキレイで完璧なのに!!」

(なんでコイツはそんなに俺のことで怒れるの?!自分のことじゃなくて初対面の俺のことで!!)

(澪ちゃん怒ると怖いタイプの女子や…でもかっけー…)


初めて見る澪の憤怒の姿に幸人は思わず見惚れてしまう。

さっき教室で見た清楚な雰囲気の彼女からは想像がつかない姿に幸人は更に彼女を気に入ってしまった。怜はその真逆で余計に警戒心が強くなった。


(出会ってほんの数時間の俺を見て何を根拠に完璧だと思ったのだろう?何かしたっけ…?)

「木原くん!もし何かあったらすぐに私に言ってね!」

「あの…それ転入したての貴女じゃなくて在校生の俺らが言う台詞では…?」

「澪ちゃんの頼もしさにファンになりそう」

「……それよりさっきの質問なんだけど」


完全に澪のファンになった幸人に怜は呆れた目で見る。

怜は話が逸れて聞けなかった疑問をもう一度澪に投げかけた。初対面の筈なのにまるで会ったことがあるような態度が遠くから感じていたことも加えて。

澪は手に付いてしまっていたマヨネーズを持参したウェットティッシュで拭き取りながら聞き取る。

さっきまでの表情と打って変わって楽しそうに応えた。


「怜の瞳の色が宝石みたいにキラキラしててすごく綺麗だったの。ヘーゼルカラーの素敵な色。もちろん肌の色も全部ね」

「へ、へぇ…」

「あと…私と木原くんは今日が初めてじゃないよ。前にも会ってる」

「え?は?一回会ってる?嘘だ」

「覚えてないのは仕方ないと思う。だって木原くんは…」


澪がそう言いかけた途端、昼休憩を終えるチャイムの音が響き渡った。

澪は"教室に戻らなきゃ。放課後話しましょ!"と言って話を切り上げた。怜は突然の澪の発言に呆然とするしかなかった。

片付けを終えていた澪は"先に戻ってるね"と一足先に屋上を後にし教室へ戻っていった。

残された2人も片付けを急いで済ませ屋上を後にした。


「澪ちゃんに会ったことあるの?」

「はぁ?!んなわけねーだろ?!全然知らないし!」

「でも澪ちゃんが怜と会ったことあるって…」

「誰かと勘違いしてるんだ。あんな奴知らない。今日が初めてだよ。綺麗だとか言ってるのもそいつと間違えてるだけ」

「そうかな?」

「そうだよ。それより急ごう。授業始まる」


何度記憶を思い返しても澪にあった覚えはない。どうして彼女が突然そんなことを言い出したのか困惑する。

幸人には人違いだと言っていた怜だが、彼女の口ぶりからしてそれは見当違いだとなんとなく気づいていた。


母親の仕事の関係で来たのは間違いないが、違う目的があって自分の目の前に現れた。


それが怜が澪から感じ取った疑念。

変に怜に関わろうとする行動と態度と言動が更にこの疑念を深めた。

きっとろくでもないことが起きる。怜はそう思えて仕方がなかった。


(これ以上あんまり島崎澪とは関わりたくない。最低限の会話ぐらいで済ませた方が無難な気がする)


初めて会ったのに今まで受けてきた冷遇を自分のことのように怒ってくれた彼女から感じる奇妙さ。

本来の目的があるとしたらそれが何なのか分からないまま怜は幸人と共に教室へ急いだ。

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