第12話
***
どうやって家に帰ったのかはよくわからなかったが、気付けば公太は自宅にいた。
回り道をしたような気もするし、まっすぐ帰ったような気もする。
暑かったような気もするし、涼しかったような気もする。
ベッドの上に腰掛けて、公太は呆けていた。
「コウちゃーん、生きてる?」
「死んでんじゃない?」
「生きてるよ」
死んでいるはずのヒナのほうが、生きている公太よりもずっと生き生きしていた。それほどに、公太は生気を失っていた。
「そんなに落ち込むことないよ。コウちゃん別に悪くないと思うし」
「俺が悪いとか、もう関係なくないか」
ぼそぼそと喋る公太の言葉を聞いて、ヒナは口をつぐんだ。
「どうすればよかった、ってんだよ。意味わかんねえよ」
「実際」
ボヤき続ける公太に、ヒナは声を大きくした。
「実際さ、コウちゃんにはどうしようもなかったと思うよ」
ヒナの言葉を聞いて、公太は顔を上げた。ヒナは公太と目を合わせたまま、話し続けた。
「あれさ、多分洋二くん? 彼が美雪ちゃんに何か吹き込んだね」
「吹き込んだ……?」
「たぶんさ、洋二くんは美雪ちゃんのことが前から好きだったんじゃないかな」
「え……?」
公太は、耳を疑った。洋二は、公太が美雪と付き合うきっかけを作った張本人だ。なぜそういう発想になるのか、全くわからなかった。
「多分さー、照れ隠しみたいなものじゃないかな。お前ら付き合っちゃえよー、なんて言っちゃうのは」
「そんなことあるか?」
「あると思うよ。思春期の男子なんて、特にさ」
思春期と言うにはいささか歳を取りすぎている気がするが、ヒナの言葉には妙に説得力がある気がした。
だとすれば、洋二は公太と美雪が付き合い始めたことが面白くなかったというのだろうか。ずっと二人のことを見て、悔しい思いをしていたとでも言うのか。
「はーーー」
公太は大きくため息をついた。すぐ近くにいた友人の本心が、自分にはずっとわかっていなかったのかもしれない。もっとも、飽くまでヒナの推測で、そうと決まったわけではなかったが、その可能性は公太の心に暗い影を落とした。
しばらくの間、公太は両手を合わせて額に当て、目をつぶっていた。頭が働かない。脳が硬直してしまったようだった。
携帯電話を手に取って開く。待受画面には何も変化もない。電話の着信も、メールの受信も無かった。ただなんとなくその画面をしばらく見続けた後、公太は口を開いた。
「一番の友達だと思ってた奴といつの間にかデキてた、ってのは……やっぱりショックだな」
半分は独り言のようなつもりで、公太は言った。
「コウちゃんは、寝取られ属性は無いんだね」
「属性……何?」
公太は聞き返した。
「そういうのが好きな人もいるって話」
「浮気されるのが?」
「まぁ、そういうシチュエーション?」
「わっけわかんねえ」
「あたしも。そういうの、大っ嫌い」
公太の言葉に、ヒナも同調した。吐き捨てるような口調に、公太は少しどきりとした。
「ま、元気出しなよ。夏休みが終わって学校が始まったら、あの二人ともまた顔を合わせることになるんでしょ?」
「あー……」
そういえばそうだった、と公太は思った。休み明けのことを考えると憂うつだったが、今が夏休みで助かったと思った。どんな顔で二人に会えば良いのかわからない。二人が並んでいるところを見たら、感情に押しつぶされてしまうかもしれなかった。
「まだ一ヶ月くらいあるでしょ、夏休み。その間にほとぼりも冷めるだろうし、もしかしたら休みのうちに破局してるかも」
「ははっ、そうかもな」
そう言いながら、心の内ではすぐに破局なんてことは有り得ないだろう、と公太は思っていた。美雪が洋二を選んだのなら、今の美雪には公太よりも洋二のことが必要だったというまでのことだ。そのうえですぐに破局されては、堪ったものではない。それに、友人の破局を願うほど落ちぶれたくはなかった。
「そんなに落ち込まなくていいよ。コウちゃんは悪くない、タイミングが悪かったんだよ」
タイミングが悪い。ヒナの言葉を聞いて、本当にタイミングが悪かった、と公太は思った。夏休みで顔を合わせる機会が減ったこと。事故に遭って意識不明になったこと。美雪が洋二に相談したこと。全てがタイミングが悪かった。
しばらく経ってから、公太は言った。
「なあ……なんでヒナはそんなに優しいんだ?」
「どうしたの、急に」
驚いたように聞くヒナに、公太は答えた。
「ヒナってさ、やたらと人を助けようとするだろ。困ってる人を見つけてくるし、今だって俺のこと励ましてくれてる」
「えへへ……」
照れ笑いをするヒナに向かって、公太は続けた。
「事故に遭ってから、なんだか当たり前のようにヒナがいて、当たり前のように人助けをしてきたけどさ。よく考えたら、なんでかな? って」
「ようやくあたしにも興味が湧いたってカンジ?」
「いや……まあ、そうなのかな」
「ふふ」
ヒナは微笑んだ。なんだか居心地が悪くなった公太は、頭を掻いた。
しばらく沈黙が続いてから、ヒナは口を開いた。
「ほんとはね、別に人助けがしたいわけじゃないんだ」
公太は何も言わずに、ヒナが続きを話すのを待った。ヒナはしばらく黙っていたが、やがて言った。
「ひとつ、コウちゃんの勘違いを訂正するね。あたしが誰かを助けたいんじゃなくて、あたしはコウちゃんに人助けをしてほしかったんだ」
「……それは、どう違うんだ?」
ヒナは、物理的に干渉することができない。物を動かすこともできないし、そよ風ひとつ起こすことすらできない。だから公太は、ヒナが困っている人を助けられないのを、公太に代行させようとしているものだと思っていた。それは違うということだろうか。
「ほんとはね、助けてほしい人がいるの」
「助けて欲しい人って……特定の人ってことか? それって、誰のことだ?」
「あたし」
一度言葉を区切ると、ヒナは真剣そのものの表情で公太に言った。
「コウちゃん、あたしのことを助けてほしい」
***
「助けるって、俺が、ヒナを?」
「うん」
それは公太にとって予想外の言葉だった。本当は公太に、ヒナのことを助けてほしかった。それも洋二と同じく、公太がそばにいるのに見抜けなかった本心なのだろうか。
「なんでまたそんな、回りくどいことを……」
「うーん、なんか言い出しづらかったっていうかさ」
「もしかして、それが未練とか?」
公太は、墓参りに行ってもヒナに何の変化もなかったことを思い出した。そもそも、ヒナがなぜ公太についてきたのかもよくわかっていなかったのだ。未練があって成仏できないのなら、それさえ解消できれば成仏できるのかもしれない。
「それはどうだろう、わからない。でも、成仏できそうな気もする」
「……それって、怖くないか?」
「なんで?」
「だって、完全に存在が消えるってことだろ? 今は、死んだ後でもこの世に意識が残ってる。でも、それさえ消えるって……」
「完全に消えるかは、わからないよ」
ヒナは公太の言葉を遮った。
「コウちゃん、死んだ人間の意識があたしみたいに残って、話ができるってこと、知ってた?」
「いや、知らなかったけど……」
「じゃあ、こんなことが有り得るって、思ってた?」
「……思ってなかった」
たしかに、一緒に生活していてすっかり慣れてしまっていたが、本来なら幽霊と一緒に暮らすなど不自然だ。一度死んだらそれまでなのだ、と公太は思っていた。
「じゃあ、成仏してみないとわからないじゃない」
「死後の世界があるかもしれない?」
「それか、生まれ変わりとか」
「輪廻転生ってやつ?」
「そうそう」
死後の世界も輪廻転生も、どちらもとても信じる気にはなれなかったが、ヒナの言うことを否定できないのもまた事実だった。死後のことなど、死んでみなければわからない。
「まあいいや。それで、俺に何をしてほしいんだ?」
「あれ、意外とあっさりだ。えっと、ある人に伝えてほしいことがあるんだ」
「伝言?」
「そう、伝言」
ずいぶん簡単な依頼だ、と公太は思った。それくらいならお安い御用だろう。
「えっとね、これからあたしが言うことをメモしてもらってもいい?」
「はいよ」
公太は鞄からルーズリーフと筆入れを取り出し、テーブルの上に広げた。ヒナの喋る通りに、文字に起こしていく。
数分程度でメモを書き終わると、公太は言った。
「これってさ」
「うん?」
「これを伝えたい相手ってのは誰だ? 電話とかで伝えれば良いのか?」
「直接家に行って、言葉で伝えてほしいな」
「いや、それは……」
公太は、急にハードルが上がったと感じた。いきなり知らない人間が訪ねてきたら、家の扉を開けるものだろうか? ヒナが言うのをためらったのは、これが理由なのだろうか。
「とりあえずその人の住所も伝えるから、別の紙にメモして」
「うーん……わかった」
ヒナが言う住所をメモに書き記した公太は、テーブルの上の二枚のメモを目の前にして、顎に手を当てて考え込んだ。
本当にいきなり訪ねて、応じてもらえるものだろうか。もし出てこなかったり、留守だったりしたらどうしよう。留守なら出直せば良いだけかもしれないが、拒絶されたらどうするか。その時は、諦めて電話なり手紙なりで伝えることにするか。住所がわかっているのだから、手紙で送るというのは、アリかもしれない。
「コウちゃん、地図は持ってる? その人の家、前にあたしのお墓に行った時のあたりなんだけど」
「ん? ああ」
ヒナに言われて、公太は我に返った。地図なら、バイクに乗っていた名残で何種類か持っている。公太は、本棚から県内の詳細な地図を選んで引っ張り出した。
数十ページあるうち、前に行ったヒナの墓があるあたりの地図を開く。テーブルの上に広げると、ヒナはある一点を指差した。
「このあたりだよ」
「あー、たしかに墓の近くだな」
前に墓参りに行った時は、行きは徒歩で一時間くらいかかった。帰りはバスに乗ったから、バスの路線は覚えている。今度は行きもバスで行こう、と公太は考えた。
土曜日なら家にいるだろう、と言うヒナの言葉に従い、家には次の土曜日に行くことにした。メモさえ持っていれば大丈夫だろうと思ったが、ヒナに念のためと言われ、メモを書類ケースに入れて、カバンごと持っていくことにした。
「この、伝言の相手って……ダイスケさんってのか?」
公太は、先ほど書いたメモを見ながら言った。
「うん、
「高木さん、か。ヒナの知り合いなのか?」
「そうだね、親しい知り合いだった人かな」
知り合いだった、と過去形なのは、生前の知り合いだからということだろうか。
「それとさ、この高木さんって人だけど……いきなり俺が行っても、話を聞いてくれそうな人?」
「うーん、どうだろう。でも、えっとね……『水木日奈子からの伝言がある』って言えば、出てくれると思う」
言うか言うまいか少し迷ったようだったが、ヒナは聞き慣れない名前を言った。
「ミズキ……なんて?」
「水木日奈子」
それは公太が初めて聞く名前だったが、名前の響きにピンと公太は言った。
「ヒナコって、もしかして……?」
「そう、あたしの名前。
知り合ってから十日以上。初めて聞いた、ヒナの本当の名前だった。
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