目を見てから物を言え

 肺が凍りそうな湖畔を、アルマとルーサーは歩いて行く。

 星明かりがきらめいて美しく、これで寒くなければ星空の散歩として悪くないのだが、あまりに寒過ぎて命がけであった。


「どこかで休憩して、バター紅茶を飲みましょうか。教授が言っていたわ、寒い中で飲むバター紅茶は格別だと」

「あはは……それは嬉しいけど、こんな寒い中で用意できるの?」

「ランタンで火種はあるし、あとはちょいちょいとしていればね。私も水筒に暖かい紅茶を仕込んできたし」

「本当に用意周到だね……でも、先に妖精を見つけないと」

「まあ、そうね」


 普段であったら、アルマは妖精には殺意しか向けないというのに、今回の一連の事件について全くもって興味のなさそうな言動を取るのを、ルーサーは不思議がった。


「珍しいね、アルマがそんな態度なのは」

「あら? どういう意味かしら」

「アルマは妖精はすべからく殺したいのかと思っていた」

「……私だって、殺していいものとよくないものの区別はあります。基本的に妖精郷の妖精は皆殺したいけれど」

「うん」

「……ここの妖精は、別に妖精郷に全くもって関与してないもの。わざわざ殺したいとは思わないのよ」

「そっか。でもアルマ、燃やされたって言っていたけれど……」


 あの全身火傷に覆われた青年たちを思う。彼らは痛そうだったが、魔法医は全くもって同情的じゃなかった。

 そして今回の関与を断ったアイヴィーとジョシュア。元々魔法使いは一般人を守るための活動もしているというのに、魔法使いとしての気質が高いふたりが断るのは珍しいにも程がある。

 おひとよしなアルマすら、頼まれなかったら関与したくなかったと言わしめ、彼らに「妖精についてもっと学べ」と怒鳴っていた。ここまで来たら、どう考えても学生が悪かったのだとは思うが。

 そうこうしている中。


「あ、あれ……?」


 アルマとルーサーはローブの下にセーターを着て暖かくし、ローブの上からマフラーをグルグル巻いているというのに。

 季節外れに腕を剥き出しにしたドレスを着た少女が、湖畔に佇んでいるのが見えた。気のせいか、透き通っているし、白くて今にも消え入りそうだ。


「あ、あれは危ないんじゃ……寒いし」

「馬鹿ねえルーサー。人間がこんな冷えたら死ぬような時間に歩いている訳ないじゃない」

「ああ……そっか」


 あれが問題の妖精なんだろうか。

 そう思いながら彼女を観察していたら、こちらに振り返った。

 妖精はどの顔も人間からかけ離れて美しいという印象だが、彼女もまた例外なく美しく、発光している様も、人間だったら怪しい上に怖いと思って逃げ出すところだが、彼女の場合は発光してこそ美しいと思わせるなにかがあった。

 ルーサーが思わず見とれる中、アルマが小さく言い添えた。


「彼女に話しかけて」

「……僕が話しかけてもいいの? 妖精としゃべって大丈夫?」

「彼女は妖精郷に人間を引きずり込む性質じゃないから平気のはず。適当でいいから」

「……わかった」


 ルーサーは少しだけ喉を鳴らした。

 妖精は自分が大切だと思ったものを奪っていく。好きだと思っていた初恋の思い出も、長いこと一緒にいたはずの幼馴染も、少し話して仲良くなれた友達も。

 ルーサーは己の中にも、思っている以上に妖精嫌悪があったことを実感しつつも、事態解決のために口を開いた。


「こんにちは。いい夜だね」

「……星が綺麗ね?」

「星? チカチカ瞬いてるね」

「綺麗」

「氷もツルツルしているね」


 妖精の言葉は身勝手に契約をつくるため、契約にならないような言葉を考えては紡がないといけないし、相槌なのかそうじゃないのかわからない言葉で捲し立てないといけなかった。そのためルーサーも脳裏にジリジリと焼き付くような痛みを覚えながら、なんとか帳尻を合わせていた。

 その会話が終わったところで、彼女はいきなり湖の中に入ってしまった。


「あっ……!」


 妖精が湖で溺れるのかどうかは知らないが、あの寒々としたドレスで沈んでしまったのに、ルーサーは口をあんぐりと開ける。

 アルマは冷静に言葉を足した。


「大丈夫よ。これで合ってるから」

「……寒くないのかな」

「妖精は触覚がないから平気のはず。本番はここからだから」


 アルマはルーサーに耳打ちをした。その内容に、ルーサーは目を瞬かせる。


「それでいいの?」

「ええ。それで終わりだから。本番よ。頑張って」

「う、うん……」


 少女が消えた湖から、コポリ。と泡が出た。

 コポリ、コポリ、コポリ。

 そこから現れたのはちょうど少女が大人になったらこうなっていただろうと思わせるような、腕が剥き出しのドレスを着て、温度のない表情を浮かべた女性であった。


「あなたの名前は?」


 ルーサーに唐突に話しかけるので、ルーサーは息を飲んだ。

 そしてすぐに切り返す。


「エインセル」


 大昔の言葉で、【誰でもないもの】と答えると、女性は「そう」とだけ言って、湖にトプンと落ちてしまった。

 先程まで泡がコポコポ湧いていたというのに、それは彼女が沈んだのと同時に、もう出てこなかった。

 ルーサーは呆気に取られて湖を眺めている。


「……真相、聞いても大丈夫かな?」

「ええ。全て終わったから、もういいでしょう。彼らは、エインセルを怒らせたから燃やされたのよ」

「……エインセルって、結局どういう意味?」

「さっきの妖精のことよ。エインセル……誰でもないもの……は、本来はふたりひと組の妖精なの。子供が問題定義をし、親が回答を求めるという、そういう妖精」


 そう言いながら、アルマは心底面白くなさそうに吐き出した。


「……あの学生集団、私たちがしゃべっている中でも嘘が多過ぎて嫌になったわ。彼ら、大方エインセルの子供に無体な真似を働こうとしたんでしょ」

「ええ……」

「いくらエインセルが温厚な妖精だからって、手を出されたら親が黙っている訳ないでしょ子供が手を出されそうになった瞬間、親が出てきてこう尋ねたんでしょう……【あなたの名前は】と」

「ああ……」

「妖精に名前を教えたらいけないって、おとぎ話でさんざんやっているはずでしょうが。妖精に名前を教えたがために、呪われて燃やされたのよ。これが真相。質問は?」

「……これって、解呪できるものなの?」


 妖精を襲ったところで、人間の法律には関係ない。

 禁術法でも、妖精を襲う襲わないの項目は存在しておらず、妖精に襲われた人間のことばかり気にして、妖精を襲った人間の問題について着目している問題がない。

 だが。妖精を魔そのものだと判断している魔法使いからしてみれば、下半身優先して妖精を襲う行動を取る学生たちを一気に嫌悪し、馬鹿にするのは仕方がない。


「彼らはしばらくエインセルの怒りが解けるまで、呪い除けの小屋から出られないでしょうね。自業自得過ぎて口にするのも嫌になるわ」


 妖精を襲う。妖精に名前を教える。助けを求めた魔法使いたちにすら嘘をつく。

 魔法使いたちが見放す要素が詰まり過ぎていて、お人好しなアルマすらうんざりしているのを、ルーサーは感じ取っていた。

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