訳あり令嬢の妖精学レポート
石田空
妖精学者と呪われし青年
オズワルド魔法学院
その一室には、日焼けした黄ばんだ紙の匂い、インクの匂いが充満していた。
分厚い本が積まれたその中で、ひとりの少女が懸命に羊皮紙にペンを走らせていた。
栗色の髪は伸ばしっぱなしで、ところどころ癖がついてピンピンと跳ね返っている。森の賢者を思わせる翠の瞳には叡智が宿っている。真剣に羊皮紙と向き合っていたのだ。
そんな彼女の周りには、金粉が降り注いでいる。本来、金粉を集めて換金しようと躍起になる人間もいるだろうが、彼女は無視していた。その金粉を浴びても、彼女のペンの動きは止まらない……やがて、彼女の顔にも金粉は降りかかる。だが、彼女が浴びたはずの金粉は、次の瞬間には消えていた。
彼女の周りを、蝶のような大きな羽を生やし、金色に発光した存在が飛び回っていたのだ。その存在が飛ぶたびに、降りかかると消える金粉が降る。
ことオズワルド魔法学院ではよくある光景であった。
妖精を使い魔として連れ歩いていることは、なにも珍しくはないのだから。
彼女はペンを走らせながら、自分の使い魔をちらりと見る。ようやく羊皮紙はインクで埋まった。
「レーシー、さっきから金粉が散って鬱陶しいのだけれど。なにかあった?」
【ソト、ヒト】
レーシーの言葉はたどたどしい。
もっとも、レーシーと契約している彼女以外、言葉を聞き取ることは難しいだろう。いくら魔法学院の生徒と言えども、妖精言語を学んでいる人間はそう多くはないのだから。
「外? 廊下には誰もいないようだけれど」
【マド、ヒト】
「窓の外ね。はいはい……あら?」
彼女が窓から外を眺めると、ちょうど視線の先には中庭が広がっているのがわかる。彼女と同じオズワルド魔法学院の黒いローブを着た生徒たちが歩いている姿が見えた。
いくらここが魔法を学ぶのが主だった場所とはいえど、全員が将来魔法使いになる訳ではないのだから、彼女ほど個室をあてがわれるほどに熱心に勉強している訳ではない。
生徒たちが楽しげに笑っているそれは、ここ以外の学院でも見られる光景ではないだろうか。
「なあに? なにもおかしなことはないけれど……」
【ケハイ、ヘン】
「なにがそんなに変なの……ああ」
そこでようやく彼女は、レーシーがなにを伝えたいのかがわかった。
中庭には、烏の濡れ羽のような真っ黒な髪の青年が、困った顔をして立っているのが見えた。黒いローブを着てもちっとも魔法使い特有の風格が見えず、着られているようにしか見えない。おまけにローブ自体もまだ洗濯をしつづけてくたびれてはおらず、着ているカタも付いてはいない。おそらくは普通科の生徒だろうと当たりを付けた。
その彼が困り果てた顔で立っている中、女の子たちが彼を取り囲んでいた。どれもこれもローブが真新しく、全員普通科の新入生だろうと思われた。
「……もてもてね」
【ヘン、オカシイ】
「そうね。おかしいわね」
彼ははっきり言って、どこかの貴族のように存在感がある訳でもなければ、偉大な魔法使いとしての風格も醸し出していない。眉目秀麗でも、文武両道でもない、ローブを脱いでしまったらもうオズワルド魔法学院の生徒か市中の一般人かの区別が付かない程度には、普通の青年が、女の子に取り囲まれているのだ。
あからさまに不自然なそれは、もうなにかしらの魔法が働いていると考えるべきだろう。
「そうは言ってもね……私。普通科となんの接点もないのよ? いきなり声をかけたら困ってしまうんじゃないかしら」
【アルマ、ハクジョウ、アルマ、ハクジョウ】
「なんとでも言ってちょうだい。でも、ねえ……」
アルマと呼ばれた少女は、じっと困り顔の青年を見下ろしていた。
人のよさそうな顔をしている。
容姿端麗には遠く及ばないとは言えども、人好きのする顔だ。真っ黒な髪に碧い瞳。この国では大して珍しくもなければ美しいともされない、ごくごく一般的な顔のパーツだ。
困り顔で女の子たちを抑えている。そんな中、ひとりの女の子が飛び込んできて、残りの女の子たちを蹴散らしていくのが見えた。
困り顔の青年は、あからさまにその女の子の出現にほっとしたように胸を撫で下ろしていた。それをアルマは黙って眺めている。
「……もしかしたら、縁があるのかもね」
【エン? エン?】
「そうね。さあ、レポートを出しに行きましょう。今日を逃したら、また教授がフィールドワークに出てしまうから」
【キョウジュ、ユクエフメイ、キョウジュ、ユクエフメイ】
「あの人はそういう性分なのよ」
そう言いながら、アルマは小瓶のコルクの蓋を開けると、その中にレーシーを収めて、きっちりと蓋をした。
こうして彼女は個室を出て行く。
いつもの日常、いつもの光景。
──そして、これが彼女の最後の日常だった。
****
オズワルド魔法学院。
元々は全国の魔法使いたちが、より魔法を極めるための学び舎だったのだが、この数年は門徒が大きく開かれていた。
「魔法を使える素養のある人間を、もっと集めるべきではないか?」
その声が上がったのだ。
学院関係者たちは難色を示した。なにぶん、魔法というのは金がかかるのである。
錬金術であれば、定期的に金属を持ち歩かなければならない。召喚術であれば、使い魔を召喚するための術式や材料を準備しなければならない。
一番一般的な魔女学ですら、薬草をこれでもかと用意しなければならないため、魔法使いは基本的に金のある者たち……それこそ貴族や豪商の類いでなければ学ぶのが難しいとされていた。
いくら素養があるとはいえども、魔法を使える環境を維持できない一般人に教えたところで、大した意味がないのでは。
それが学院関係者たちの過半数の意見だったのだが。
そうも言ってられなくなったのは、この国の魔法に関する法案が可決されたからである。
【黒魔法に関連する研究使用の禁止法案】……通称:禁術法。
国により禁術に指定された魔法は全て黒魔法と見なされてしまったために、これらを研究使用していた魔法使いたちが一斉に姿をくらませてしまったのである。
これらは実に危険なために、各魔法学院により管理されていたのだが、それらを使用どころか研究まで禁止されてしまったがために、研究者たちが一斉に雲隠れしたのだ。
全国の魔法使いたちは慌てた。危険だから管理していたものが、研究者たちの雲隠れにより、使用者や使用魔法を追跡することができなくなってしまったのである。それらを回収しなければ魔法の使えない者たちにどんな被害が及ぶかがわからない。
これにより、禁術を追うために魔法使いたちが駆り出されるようになったため、この国で慢性的に魔法使いが不足してしまったのである。
なにも魔法使いたちは、魔法の研究だけをしているのではない。
魔法の使えない人間たちを守るために、魔法を行使している。
妖精は気に入った人間を連れ去ってしまうし、魔獣は定期的に狩らなかったら畑の作物が育たない。これらに対抗するためにも、魔法使いの数は必要なのだ。
よって、各地の魔法学院は一斉に一般人で魔法の素養のある者たちを、各学院の普通科に招くことにしたのである。
一般人は各魔法使いの家系の者たちと違い、魔法に対する基礎知識すら持ち合わせていないのがほとんどだ。だから彼らに正しい魔法の知識を与えることが、各魔法学院の普通科の存在意義である。
たとえ魔法使い家系の者たちのように、一人前に魔法を行使することができなくとも、魔法に対する基礎知識があるのとないのとでは大違いなのだから。
「はあ……」
そんなオズワルドの中庭を、ルーサーはとぼとぼと歩いていた。
真っ黒な髪に碧い瞳。この国ではありふれた外見の彼は、背だけはひょろりと高いものの、スタイルがいい訳ではないし、運動が得意な訳でもない。オズワルドに召喚されるまでの成績だって、悪くないだけでよかったこともなかった。
だというのに。彼にはよく女の子たちが寄ってきた。
「もう、ルーサー。そんな顔をして。駄目よ? まだ入学したばかりだっていうのに」
そんな彼に明るく笑いかける少女がいた。
星空を思わせる銀髪は肩まで伸び、紫の瞳はアメジストを嵌め込んだように輝いている。どうしてこんな妖精のように美しい少女が幼馴染なのか、ルーサーにとってもよくわからなかった。
そんな幼馴染のラナに向かって、ルーサーは力なく笑いかけた。
「そりゃね、ラナ。僕だって入学早々、女の子たちに取り囲まれることになるなんて思ってもみなかったんだよ。地元にいたらもっと悲惨なことになると思ったから、逃げるつもりでここまでやってきたのになあ……」
「そうね。ここって魔法学院なんだから、皆魔法についてはなんらかの耐性があるはずなんでしょう? なのにルーサーのこれ、全然快方に向かわないのね?」
「うん……そうなんだよなあ……」
元々ルーサーは、魔法には縁もゆかりもない、ごくごく普通の一般人だった。
しかし、ある日を境に、突然周りに人が寄ってくるようになったのである。
「君、すっごく格好いいね!」
ある日突然女の子にそう言われたのだ。学校に通っていたら名前は知らずとも見かける程度の関係の子だった。
しかし声をかけられたものの、ルーサーは格好いいことをした覚えがなかった。
ただ学校の登下校が、たまたま一緒になっただけである。
「あなたを見ていると、胸がドキドキするの」
校内掃除中に突然そう告白されて、ルーサーは唖然とした。
彼女とはたまたま同じ廊下を掃除することになっただけで、まともにしゃべったこともなければ、住んでいる地区すら違った。接点がほとんどなかったため、そんなことを言われても嬉しい以前に困惑しかできなかった。
そんな具合に、ルーサーの周りの子たちが、ひとり、ふたりとおかしくなったのである。
それが女の子たちだけだったらまだよかった……いや、よくはない。何度必死に抱き着いたりキスしようとしたりしてきた子たちを押し留めて逃げてきたのだから……。とうとう男友達の様子もおかしくなってきたのだ。
「ルーサー、俺のことが好きか?」
「はいぃぃぃぃ?」
親友だと思っていた友達が、ひとりまたひとりと頬を蒸気させ、潤んだ瞳で見てきたときには、ルーサーは這々の体で逃げ出すしかなかった。
ルーサーがなにもしていなくても、勝手に周りがいいように取ってくる。
ただ掃除をしただけ。
ただ授業を受けただけ。
ただ生きているだけで、びっくりするほどに褒めそやして歓声を上げてくる。
そしてその異常な光景を、誰も突っ込むことなく見守っているのだ。
(いやいやいや、おかしいだろう、さすがに!?)
それで調子に乗れれば、彼もそれなりにいい人生が送れただろうが、残念ながらルーサーは、調子に乗るには倫理観がまとも過ぎた。
しゃべったことのある子や、友達だったら、顔見知りだったら、百歩譲ってまだぎりぎりわかったが、とうとう通りすがりの今初めて会ったばかりの女の子に、「わ、私! あなたのことを好きになっちゃいました!」と言われたときには悲鳴を上げた。
彼女の告白と同時に、その場にギュンッと視線が集中する。
町の女の子たちが一斉に、彼女を敵認識したのである。
皆、めいめい家に帰ると、得物を持って女の子を取り囲んだ。
フライパン、鍋、ほうき、モップ……。ひとつひとつだったら少しだけ面白いが、全部揃うと、どう考えてもそれは家事をはじめる準備ではなくて、女の子に暴行を加えるための武器だとわかる。
「ルーサーから離れろ」
「私たち、彼を取られる訳にはいかないんだから」
「ルーサーは私たちの物よ」
彼女たちは一斉に、通りすがりの女の子を、武器を携え追いかけ回し出したのだ。
置いてけぼりのルーサーはたまらない。
「止めてくれ! 彼女はただここを通り過ぎただけだろう!?」
「本当に優しいのねルーサー。素敵だわ。でも待っててね、その女を始末してくるから」
「駄目だ、彼女を帰らせてやってくれ……!!」
ひとつふたつだったら笑い話だったが、三つ四つと続き、雪だるま式に増えていった違和感で、とうとうルーサーは思い至った。
(どう考えても、自分は呪われているんじゃないか? これだけおかしいことが続いているのに、誰もそれをおかしいって思わないことこそおかしいだろう!?)
本来ならば、魔法使いに相談する案件だったのだが、残念ながらルーサーの町には魔法使いはいなかった。魔法使いを探して隣町に出かけたくても、いろんなところから視線を感じるため、町を出ることすら難しく、彼はどうしたもんかと考え込んだ。
そんなときだった。オズワルド魔法学院の召喚状が届いたのは。
彼はすぐさま荷物をまとめ、町を離れた。
──魔法学院にだったら、大勢の魔法使いがいるはずだから。誰かひとりくらい自分の呪いを解いてくれる人がいるはずだと。
彼は藁にもすがる思いで、かの学院へと向かったのである。
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