第28話 やさしさ
「お邪魔します」
「先生はやく!」
慌てた様子で腕を引っ張られて、僕はいつもの部屋に入った。
「どこが分からないんですか?」
「あの、分数関数の所なんですけど……」
明里さんの理解が追いついていないところを把握して一つひとつ解きほぐして丁寧に説明をした。
「なるほど。わかりました! さすが先生ですね! すごく分かりやすかったです!」
明里さんのはじけた笑顔に「うん」と力なく短い返事をする。
「どうしたんですか? 元気ないですね?」
明里さんは、すごく心配した様子で僕の顔を覗き込む。
「ごめん。なんか今日は調子出ないな……。こんなんじゃ明里さんに悪いし、今日はもう失礼しようかな」
ゆっくり立ち上がって部屋から出ようとすると、
「じゃあ家庭教師はここまでにしましょう」
明里さんは落ち着いたトーンでそう言った。
「勉強はここまでにして、外の空気を吸いませんか? その方が気持ちがすっきりします」
明里さんにそう言われ、僕も納得して明里さん宅を後にした。そして、近くにあるという小さな公園に向かった。
本当に近くにあったその公園にはブランコと小さな滑り台、ベンチが二、三個ほどしかなくて、とても簡素なつくりをしていて、公園の敷地を囲うように桜の木が生えている。春はすごいきれいな光景が見れるんだろうなぁと想像して、僕は公園に足を踏み入れた。
公園に入ってすぐ、明里さんは足早に小さなブランコの座面に腰を下ろした。するとこちらをしっかり見て、ニコッと柔らかく笑った。その優しい笑顔を見て、僕はもう一つ空いた方に座って、足をつけたままブランコを前後に動かした。
「何があったんですか? お話、聞きますよ」
「生徒さんに、個人的な相談は出来ないな……」
変なプライドが邪魔をして、明里さんの優しい声が聞こえる方が見れない。
「ダメですよ、溜め込んじゃ。話してください」
「どっちが先生かわからないね」
ものすごく頼もしい明里さんを見てしまい、己の小ささを改めて実感した。
「何があったんですか?」
明里さんの優しい声に
「じゃあ、こんな大学生もいるんだなぁと思って聞いてください」
と軽い前置きをして、昨日あった出来事を隠すことなく明里さんに話した。
「そんなことがあったのに……。私、家庭教師なんかお願いしちゃって、ごめんなさい……」
話を聞き終えた明里さんは、目を伏せて申し訳なさそうにそう言った。
「全然。気にしないで大丈夫ですよ……」
この声にも力が入らない。本当に、情けない……。
「先生? 年上だからって強がらないでいいんですよ?」
明里さんの声がすぐ近くで聞こえてくる。明里さんの部屋の匂いが、すぐ側に感じられる。
気づくと僕は、明里さんの腕の中にいた。
「泣きたいときには泣けばいいんです。たまには泣いたっていいじゃないですか」
明里さんの声はすごく優しくて、温かくて、綿毛みたいに柔らかい。その明里さんのやさしさに触れて、今まで胸の奥に溜まっていた僕の“何か”が外に溢れ出た。
「そうです。全部ぜんぶ、涙にして流しちゃいましょう」
僕は、明里さんの暖かい腕の中で小さく嗚咽を漏らしながら泣いた。
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