第32話 呪い

 割れるような頭の痛みが、徐々に引いていった。


 それから、未来に起こった記憶の数々が、この身体に馴染んでいった。


 大きく、息を吐く。




 結局、この力は何なんだ?


 本人の意思も常識も無視して、何度も何度も何度も、現実じごくを見せつけてくるこの力は――。




 まるで、呪いだ。


 繰り返しても、自分の愚かさと無力さをただ思い知るだけだ。




 もう嫌だ。


 もう俺に後悔なんてない、ただ、死にたいだけだ。お願いだから死なせてくれ――。




 頭を抱えて現実から目を逸らし、呻き声を上げても――当然、俺が死ぬことはない。


 嘲笑が零れる。


 ……分かっている。




 卒業式の前日、那月を救えなかったこと。


 今宵が手に入れるはずだった幸せを、俺がこの手で奪ってしまったこと。




 気づかないふりをしていただけで、心の奥底では……後悔していたのだ。


 周りを不幸にし続けた、どうしようもないクズだと自覚しているのに。


 皮肉にも、俺には彼女たちへ罪悪感を抱く程度の人間性が……ほんの僅かに、残っている。




 ……そういえば、今はいつだ?


 10年分の記憶が同期した今、現在の記憶は曖昧になっている部分が多い。


 俺は周囲を見て、実家のベッドで目覚めたことを確認した。




 それからスマホを……いや、枕元にあったのは、携帯電話だ。


 画面を見て、日付を確認して……思い出した。




 今日は卒業式の前日。


 つまり――那月未来が学校の屋上から飛び降りる日だ。




 ――タイムリープの度に、戻る時間が進んでいる。


 最初は、梅雨の時期。


 2度目は、那月と花火を見た夏休み。


 3度目は秋、文化祭の初日。


 そして今回は、卒業式の前日。




 繰り返す度、那月の自殺の日が近づいてきている。


 考えたくないことだが、もしも今回も、これまで通り那月を救えなかったら――。


 一体、どうなってしまうのだろうか?




 那月を救えなかったことを悔やみ、苦しんで死んだとする。


 そうなった場合、次に戻るのはいつなんだ?




 今回と同じ、卒業式前日ならまだ那月を救うことが出来る可能性がある。


 だけどもし、那月を救えずに後悔したのに、巻き戻った先が那月の死後であったとすれば――。




 俺は、終点のない繰り返しを生き続けることになるのか?




「……じゃあ、今回で終わらせるしかないよな」




 失敗をした時のことを考えても、どうにもならない。


 俺はただ淡々と、今回確実に那月の命を救えば良いのだ。




 これまでの失敗の原因は、明らかだ。


 分不相応にも、那月の命だけでなく、心まで救おうとしたことだ。




 そんな必要は――ないのに。




 少し頭を使えば、彼女を生かすのは簡単だ。


 屋上にいる那月を地面に落ちないように手摺りにでもしばりつけてから、ぶん殴って言うことを聞かせれば良い。


 抵抗が激しければ、自分で身動き取れないように全身の骨を折るのも手だ。




 そうしてから救急車でも呼べば、自殺なんてできっこない。


 俺はそれを確認してから、自ら命を絶つ。




 那月が生きてさえいれば、それで俺の役目はお終い。


 その後どうなるか、知ったことではない。


 それで那月の命は救われ、俺も心残りなく死ねる。


 そうすれば、ようやく全てを終わらせることが出来るだろう。




 ……だけど、その前に一つだけ。


 俺にはやらないといけないことがあった。







 那月と伊織と一緒に来たこともある、町を一望できる展望台のある公園。


 俺はそこに、今宵と一緒に来ていた。




「久しぶりに来たけど、こんなに大変だったっけ?」




 展望台に到着した今宵は、膝に手をついて息を乱していた。




「確かに、久しぶりだと大変だな」




「暁は、どのくらいぶりに来たの?」




「俺は……10年ぶりだ」




 俺の言葉を冗談と受け取った今宵は、呆れたように笑って言う。




「中学生の時に一緒に来たことあったし、そんなわけないじゃん」




 俺は彼女の言葉に、無言で応じる。


 俺の雰囲気がいつもと違うことに、彼女はすぐに気づいたのだろう。




「今日、呼び出してくれたのは……約束のこと、だよね?」




 神妙な顔をしている俺に、今宵は問いかけてきた。




「うん」と応じて、口を開く。




「でも、その前に謝らせてくれ。文化祭の日、酷いことをたくさん言って、ごめん」




 そう言って、俺は今宵に頭を下げる。




「良いの、暁は、間違ったこと言ってないし。……あたし、多分おかしくなってた。暁のこと好きなのに、考えが分からなくなる時が多くなって、不安になるときも増えて……嫉妬心を抑えきれなくって。あの時、暁が止めてくれなかったら。きっとあの子に、あたしは滅茶苦茶酷いことを言ってたと思う」




 震える声で、今宵は続けて言う。




「だから、暁の言った性根の悪いクソ女って言うのは、間違いじゃないんだよ」




 今宵は、ギュッと拳を握りしめていた。


 辛い気持ちを思い出させてしまった。


 今宵が抱いた不安も嫉妬も、全ての原因は俺にあるのに。




「それで……こうして謝ってくれたってことはさ。大学、お互いに合格をしたら恋人になってくれるって、ことだよね?」




「違う」




「……え?」




 不安そうな、今宵の声。


 俺は顔を上げて……ここに至るまでまともに見られなかった彼女の顔を、まっすぐに見る。




 那月を追い込んだことに対する憎しみと。


 彼女の幸せを奪ってしまったことに対する悔恨の念と。


 何より、今宵を想う愛情が混じり合い……。




 俺は告げるべき言葉を、一度飲み込んでしまった。




「どういうことなの、暁? ……あたし、また何か悪いことした? それなら、教えてよ。あたし悪いところあったら、すぐに直すから! だから、そんなこと……言わないで」




 目じりに涙を溜めながら、今宵は俺に縋りながら言った。




「違う! 悪いのは……全部、俺だ」




 困惑を浮かべる今宵に、俺は続けて言う。




「俺と一緒にいたら、今宵は絶対に……幸せになれない。でも俺は、今宵には幸せになってほしい。だから――俺は。もう今宵とは、一緒にいられない」




 ついさっき、躊躇ってしまったその言葉を。


 俺は、はっきりと口にした。




「もう二度と、俺に関わらないでくれ」 




 俺の言葉を聞いた今宵は、呆然とした表情で乾いた笑いをを浮かべる。




「何それ……意味わかんないよ」




 そう言ってから、「冗談だよね?」と彼女は問いかけた。




「本気だ」




 俺がそう答えた瞬間、左頬に痛みが走った。




「……最低っ。そんなにあたしのことが嫌いなら、はっきりそう言えばいいじゃん」




 今宵が、俺に平手打ちをしていた。


 それから、彼女はもう一度俺の頬を思い切りぶった。


 俺の頬を打つたびに、今宵は辛そうに表情を歪ませる。




 2度、3度、4度と繰り返し平手打ちをされても、俺は無言のまま彼女を見つめる。




「……っ! なんか言えよ!」




 そう言ってからもう一度、今宵は俺に平手打ちをした。




「気の済むまで、いくらでも殴ってくれていいから」




 俺が答えると、今宵は両手をだらりとおろした。


 それから、怒りに満ちた瞳を俺に向ける。


 力いっぱい拳を握り、彼女は俺を殴ってきた。




 何度も何度も、固めた拳を打ち付け、そのうちの一発の拳が、俺の顎を偶然にも的確にとらえた。


 俺の視界は揺れ、尻餅をついて倒れる。




 今宵は蹲る俺を押し倒し、馬乗りになった。


 マウントポジションを取って、息を荒げながら、何度も何度も俺を殴り続ける。




 痛みはあった。それが嬉しかった。


 今宵自らが愚かな俺に、罰を与えてくれていると思えたからだ。




 少しづつ、痛みがマヒして、意識がかすれ始めた。


 もしかしたら、俺はここで今宵に殴り殺されるのかもしれない。


 まだ俺は、那月のことを助けていないのに。




 ……それも良いか、と思えた。




「死ね、死ね、死ね……死ねっ! このろくでなし! 浮気男! 言いたいことだけ言って、ろくな説明もなしで、二度と会えないとか、ふざけんな! 何なの……なんなんだよ!」




 泣き叫びながら、今宵は俺に拳を振り下ろし続ける。




「……殺してくれ」




 俺の呟きは、今宵の耳に届いたようだ。


 彼女は俺を殴る手を止め、逡巡し……。


 それから、俺の胸元を強く握りしめた。




「……やっぱり、死ぬのはダメ」




 今宵は呟いた。




「死ぬなら、あたしが幸せになったのをその目でちゃんと確かめて、心底後悔してから死んで」




 俺の胸元を握りしめる拳に、ギュッと力がこめられる。




「あたしはこれから、暁みたいな酷い男のことなんか忘れる。それで、綺麗になって、素敵な男の人と沢山出会って。その中で、暁よりも優しくて、かっこよくて、身長も高くて、ついでにお金持ちで、何よりあたしのことを大切にしてくれる人のことを……」




 今宵は俺をまっすぐに見る。


 目じりに溜まった涙が頬を伝う。




「暁のことと、おんなじくらいに好きになる」




 その涙が零れ落ち、俺の頬を濡らした。




「あたしはその人と結婚して、可愛い子供も産んで、家族みんなで暮らして、誰よりも幸せになる。暁は、あたしが幸せになるのを確認して、死ぬほど後悔しないと、許さないから……だから、そんな風に自暴自棄にならないで……ちゃんと生きて」




 今宵は立ち上がって、俺に背を向けてから言う。




「バイバイ暁、大好きだったよ」




 俺のことを振り返ることなく、今宵は展望台から立ち去っていった。




 彼女の背中を、止めることが出来なかった。


 仰向けになったまま、俺は声を上げて泣き叫ぶ。




 もう、死にたいのに。


 どうせ生きていても、俺は自分も、周りも不幸にするだけなのに。




 今宵のせいで、どうしても死ねない理由が出来てしまったから――。


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