第8話 過ぎ去りし日は戻らない The days gone by will not come back

「本当… なんですか? 身に覚えのない事ばかりです」

「ふむ、疑問を持つことは大人への一歩だな」

 

 おもむろに離席した彼は書棚から、書類と銅製のカードを手にして戻って来た。


 無造作に渡された書類の裏、大衆酒場の元所有者が “リズベル・グラヴィスに係る権利を放棄する” と記載されている。


 他方の金属板は私の名前が刻まれた市民証で… つまり、身柄を2000ポンドで買い取った後、所有者オーナーの権限で一等市民の登録をしたようだ。


「でも、どうして?」

「気にするな、として当然だろう」


 飄々ひょうひょうとした態度で突拍子もない台詞せりふを言われて、またしても驚かされる。


 家族、暖かい自分の居場所、掌から零れ落ちてしまったもの。一度、失ってしまえば、その記憶が幸せなほど前へと進む


 要らないと思える反面、渇望している自覚もあるけど、軽々しく受け入れる事はできない。


「私は貴方の血縁ではありませんし、身に余る厚意は怖いです」


「そうか… ならば貸しにしておこう。雨風を凌げる場所があるなら別だが、暫くは此処ここで暮らすといい」


 先程と同様、好きにしろと――


 突き放すような物言いなのに微笑を浮かべた彼が段々と腹立たしく思えて… 幼い頃、両親からとがめられた釣り目になってしまった。


「えぇ、分かりました。勝手にします、しますとも!」

「良いことだ、頑張れよ」


 まだかたわらに立っていた彼が無遠慮に伸ばした掌で頭を撫ぜてくる。

 

 何故か、そう、家族と過ごしていた頃のように素の性格が出ていた事もあって、子供扱いしてくる相手の腕を少し強めに払い除けた。


「髪、触らないでください、触るな」

「褒めたつもりなのだが、難しいな」


 あくまでも態度を改めない彼に反駁はんばくして喧々諤々けんけんがくがくな議論を四半刻ほど、会話の中で誘導された感は否めないものの、家政婦ハウスメイドの職を頂いて移り住むことが決まる。


 独立都市の正当な市民権を得たとは言え、行く当てが無かった私は密かに安堵の溜息を吐いた。

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