第1幕 スクール・オブ・アクト(3)

   ♡♣♢♠


「今日はお疲れさまでした、兄さん」

 時刻は16時23分。昼間の快晴はどこへやら。

 30分ほど前から急に降り出した雨の下。

 俺はと学園からほど近い大通りを歩いていた。

 あの後、俺を案内してたのが変装した雪村つるぎだとわかってから、ネタバラシに現れたのは来愛だった。

「昼間はなんであんなことした? 筋書きを書いたのはおまえだろ?」

「ちょっとしたイタズラですよ。二見さんから兄さんにドッキリを仕掛けたいと聞いたとき、ひらめいたんです」

「俺が本物の妹か見分けられるかどうかって?」

「顔を忘れられてたらヤダなぁと思いまして。それに……」

「俺が衰えてないか確かめたかったんだろ?」

「さすが兄さん、察しがいい。私は脚本家ですが色々と番組やドラマの企画もしています。兄さんにもぜひ出演して欲しくて」

「じゃあ今日のはオーディションもかねてたわけか」

「まあ、推しの活躍を撮影したかっただけでもあるのですが」

 来愛はうれしそうにはにかんだ。

「一番活躍したのは雪村つるぎだぞ」

「雪村さんに私役を依頼したのは私です。急な頼みだったせいかミスもしていましたが、なかなかお上手でした」

「《雪の女王》のあだ名は伊達じゃないってことか」

 ネタバラシの後で、雪村は自分の仕事は終わったとばかりに不愛想な態度のままどこかへ消えた。

 二見の方も「動画の編集しなきゃ!」とさっさと帰ったっけ。

「二見さんは大喜びでしょうね。雪村さんのおかげで再生数が爆発的に伸びます」

「あいつが出ただけで?」

「雪村さんはプライドが高い方で、そういう動画に出たことはなかったので」

「同じ女優でも心菜とは性格がかなり違うな」

 心菜は二人が帰った後も「今日会ったのも何かの縁でしょ♪」とついさっきまで一緒に校内案内をしてくれた。

 ここにゃん、マジ優しい。

「ただ……ちょっと信じられませんね」

「? 何が?」

「兄さんは最初から変装を見破っていたんでしょう?」

「まあな」

「他のみなさんは見破れませんでした」

「ドッキリに集中してたからな。仕掛け人の中に仕掛け人がいるとは思わないさ」

「でも、私の方が雪村さんより背が低くて……」

「疑われたら『厚底の靴を履いてます』とでも言えばいい」

 バストの方もサラシでも巻けば来愛のサイズに偽装できる。

 それに……。


「雪村は上手く自分の特徴を潰してた」


「………? 特徴、ですか?」

 首をかしげる来愛に答える。

「銀髪と碧眼。それが雪村つるぎのトレードマークだ。だからこそ──」

「あっ! そうか、その特徴を潰せば印象がガラリと変わる……!」

「来愛にも特徴はある。ボブカットと白い帽子だ」

 来愛はこの帽子がお気に入りで昔から被ってた。 

 日ごろからそばにいると、頭にソイツの特徴がインプットされる。

 そこさえ模倣すれば成りすましやすい。

「け、けど! 私と雪村さんじゃ声も顔も違います! メガネをかけただけで誤魔化せるわけが……!」

「!?」

 傘を持った来愛の足がストップ。

 驚いた様子でパチクリまばたきしている姿が可愛かったので、今は演技を続けよう。

はテレビで見たことねえか? 一人で何人もの芸能人を次々と真似するモノマネタレント」

「え、ええ。昔母さんが言っていましたね。たしか……」

「『あの人たちは必ずしも演じる芸能人と顔が似てるわけじゃない。人間が持っているちょっとしたクセを真似するのがうまいのよ』だな!」

「そ、その通りです」

「人は誰しも自分じゃわからないレベルの細かいクセをいくつも持ってんのさ。それは仕草、表情、果てはしゃべり方にまで現れる」

「……なるほど。そのクセを的確にとらえて表現アウトプツトできれば、別人を演じられる。たった今、兄さんが二見さんを演じてるみたいに」

「さっすが柊木ちゃん! 理解早えぜ!」

 二見の口調をトレースしつつ、グッと親指を立てた。

 もちろん俺と二見じゃ顔も声も体格も違う。

 けど、もし今の俺たちを誰かが見たらビックリするくらいそっくりに見えるはずだ。

 

 そう見えるように、表情を作っている。


 もっとも、これを俺に初めて見せたのは情華なのだが。

「す、すごいっ!」

 歓喜の声を上げる来愛。

「やっぱり兄さんは天才です! あの短時間で二見さんのクセをつかむなんて! 声まで二見さんにそっくりで……!」

「──単なる声帯模写だよ」

 訓練すればある程度は誰でもできる。雪村も似たことをやってたしな。

「だとしても今のは賞賛ものでした! 脚本家としてたくさん役者を見てきましたがやはり私の推しは兄さんだけです!」

「サインでもしようか?」

「ぜひ! あっ、大変、色紙がない……そうだ! 代わりにこの紙に!」

「これって……」

「ドラマの出演契約書です! サインすれば私が脚本したドラマの主演俳優ですよ!」

「それじゃ推しって言うよりゴリ押しだ」

 来愛の場合本気っぽいのが怖いよな……。

「それに俺は主演になるつもりはないよ」

「えっ!? ……なぜ? 兄さんにふさわしいのは脇役より主役で──」

「それ、本気で言ってるのか?」

「うっ……」

 来愛は「……相変わらず、嘘を見破るのが上手すぎます」とすねていた。

 まあ、今のは俺を推し扱いするファンとしての意見。

 プロの脚本家としての意見は違うはず。

 妹は、俺がが何か知っている。

 だから主演なんかにしないさ。

「いきなりドラマは無理だ。今日だって緊張してたんだぜ?」

「えっ、とてもそうは見えませんでしたが」

「それこそ演技だよ。言っちまえば人間関係なんて全部芝居さ」

「『芝居は嘘』が信条の兄さんらしいですね。芸能界を渡る上では正しい処世術です」

「相手は芸能学校の陽キャ軍団だしな」

 

 色々と事情があったせいで、小学校も中学校も前の高校もほとんど登校してない。

 当然、友だちなんてゼロに近かった。

 妹以外の同年代のヤツと学校で話すのも久しぶりで……ああ、そうだ。

「緊張のせいで大事な話を忘れてたよ。──例の件、調べてくれたか?」

「あっ、はい。この学園には『情華』という名前の生徒はいませんでした。過去にそういう芸名を使っていた生徒もいません」

「そうか……」

「ただ、情華という名前は生徒全員が知っています」

「………」

「『』。数年前からそんな都市伝説めいたゴシップが芸能界に広まっていますから」

「どんな役でも演じられる……か」

 子供のころに本人から聞いたことがある、懐かしいセリフだった。


 情華と再会する。


 それが俺がこの学園に来た理由。

(来愛は否定したけど、情華はこの学園にいる可能性がある)

 名前を、素性を、正体を隠して。

 それこそ別人を演じながら、

 もしそうだとしたら、必ず見つけてみせる。


『また舞台で再会しよう、英輔』


 遠い昔、俺たちの関係が文字通り終わった日。

 別れ際に情華はそんなセリフを言った。

 情華は俺にとっての初恋。

 だが、決して初恋の相手に告白するために学園に来たわけじゃない。


 あの日、幼い俺は情華に裏切られ──色々なものを失った。

 

 そう、俺が情華を見つけ出したい理由は──。 

「さあ、到着しましたよ」

 考え事をしていると、「ここが兄さんたちが住む場所です」と来愛はボブカットを揺らして微笑んだ。

 本日の最終目的地は華杜学園の学生寮。

 今日から柊木英輔の我が家となる場所だった。

 

   ♡♣♢♠


「……我が家っていうのは、あくまで比喩だったんだけどな」

 案内役の来愛と別れた後で。

 降りしきる雨の音を聞きながら、俺は目の前の建物を眺める。

 

 真新しく大きな一軒家。  

 

 ホームコメディドラマにでも出てきそうな綺麗な建物だった。

 おじいちゃんおばあちゃん父母子供の五人家族なら余裕で暮らせるサイズの豪邸。

 どう考えても寮じゃなくて『家』だ。

「なんで寮に案内するのに学園の外に行くんだとは思ったけど、こんなサプライズを用意してたとは」

 例のIDカードを玄関のドアにかざすと、ピッと音を立ててロックが解除。

 学園がこういう建物を所有してることは知っていた。

 外部からの出入りが多く、映画からバラエティまで幅広い撮影を行うせいか、生徒数はそこまで多くないのに学園の敷地はやたら広い。

 そして、

「色々なセットがあるんだったか」

 ここは敷地内じゃないが、この家も学園が所有するセットの一つ。

 最近とあるドラマの撮影に使われたとか。

 もちろん、普通の生徒ならセットには住めないが、

(来愛はSランクだしな)

 華杜学園にたった五人しかいない特権階級。

 その権力を使えば身内に住居を提供するくらい簡単か。

「とりあえずシャワーかな」

 そんなことを思いながらガチャリとドアを開ける。 

 傘は差してきたが、雨が強かったせいで肩が濡れてしまった。

 バスタブにお湯をたっぷりためて入浴といこう。

 ──今日は長い一日だった。

 用意周到な来愛のことだ、冷蔵庫に夕食くらいは用意してくれてるはず。

 食後はデザートでもつまみながら、オンラインポーカーでリフレッシュ。

 そして就寝。

 新生活初日くらい、平和に終わらせて──。


「あっ! 逃げないで、つーちゃん!」


 が。

 ささやかな俺のプランは粉々にぶち壊された。

「追いかけてこないで」

「ダメ! ちゃんと髪を乾かさないと風邪引いちゃう!」

「あなたには関係ないわ。というか私をあだ名で呼ぶの、やめて」

「え~、いいじゃん。一緒にお風呂に入った仲なんだしさ!」

「あなたが強引に入れと言ったのよ」

「あはは、ごめんごめん。ただ、雨でずぶ濡れになっちゃったし、約束の時間まではまだあるから大丈夫のはずで……って、あれ?」

「コ、コンニチワ……」

 なんて、ぎこちないあいさつをしてみた。

 玄関に立つ俺の目の前にいるのは、鏡心菜と雪村つるぎ。

 会話の内容からもおわかりのように二人とも入浴していたんだろう。

 役者にとって健康管理は生命線。

 風邪を引いてCM撮影にでも穴を空けたらマネージャーの胃にストレスで穴が空きかねないし、体を温めるのもわかるが……。

「え、英輔……?」

 驚愕する心菜。さすがに雪村も言葉を失っていた。


 問題は、二人とも何を服を着てないこと。

 

 心菜はバスタオルを几帳面に体に巻き付けてた。

 それでも健康的な肌色とグラビアモデルなみに(というかこの子の場合実際にグラビアをやっててもおかしくない)凹凸がはっきりしたボディラインがあらわに。

 雪村の方もバスタオルは身につけている。

 だが体の前に当ててるだけなので、さっきはサラシで隠してた形のいい胸がさらされて……。

「………」

 気マズい沈黙が場を支配する。

 さすがにこの状況まで来愛のドッキリってことはないだろう。

 ただ、来愛は別れ際にこう言った。


『ここが兄さんたちが住む場所です』


「兄さんが」ではなく「兄さんたちが」である。

 一人暮らしには広すぎる家だし、俺たちの実家と同じように使用人メイドでもいるのかと思ったが、違ったらしい。

「あっ──」

 そこでようやく、俺はこの家がセットとして使われたドラマの内容を思い出していた。

 ジャンルはラブコメ。

 高校生の男女が一軒家に暮らすことになる、いかにもクラシカルな学園ものだった。

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