キミの恋人オーディション 台本にないけどキスしていい?【増量試し読み】

あさのハジメ/MF文庫J編集部

序幕 情華

「世界で一番嘘つきな職業って、なんだと思う?」

 歌うような軽やかさで、彼女はそうたずねてきた。

 劇場。

 数年前に閉鎖され、未来永劫日の目どころか観客の目にもさらされることのない、舞台の上。

 そこは幼い俺たちの稽古場だった。

「詐欺師」

 俺がそう答えると、彼女は笑顔のままで首を振ってから、

「正解は役者だよ。役者は舞台の上ならなんにでもなれる」

「なんにでも?」

「そう。自らの演技で観客を欺けば、人殺しにも、救世主にも、神様にもなれる」

「………」

「幕が下りるまでの間、観客に現実を忘れさせ、虚構の世界へと招き入れ、心酔させる。それが役者だよ」

「心酔……ねえ。それこそ──」


「「詐欺師みたいな言い草だな」」


 ゾクリと背筋が震える。

 彼女は俺とまったく同じセリフを口にしていた。

 コンマ数秒も違わぬタイミングで、ユニゾンさせた。

 しかも、それだけじゃない。

 驚く俺と同じように、彼女も驚きの表情を浮かべていたのだ。

 試しに右手を上げると彼女もそれに合わせて左手を上げ、後ろに一歩進むと彼女もそれに合わせて後退。

 

「「いつもの即興劇エチユードか?」」

 二度目のユニゾン。

 まるで合わせ鏡だ。恐ろしいくらいに、俺の思考を読み切っている。

 その超人的な演技力にほれぼれするのと同時に──好奇心がわいた。

 

 もし彼女の芝居を壊すとしたら、どうすればいい?

 

 彼女は俺という名の仮面を被っている。

 この仮面を崩すには──。

「………」

 答えは簡単に見つかった。 


 この劇場には奈落がある。


 奈落とは舞台の下にある空間のことで、通路として使用したり、床をエレベーターのように上下させる『迫り上がり』を利用して、役者や大道具を舞台に上げることもある。

 その迫り上がりが下がっていた。

 つまり今この舞台には穴が開いている。

 深さは5メートルほど。

 そして、その穴は彼女の真後ろにあった。

 つまり俺があと数歩後ろに下がれば──。

「………」

 そこまで考えて、俺は首を振った。もちろん奈落があることは彼女も知っている。

 だから落ちる寸前で演技をやめる。

 そう思ったが──思い直すことにした。

「優しいね、きみは」

 不意に彼女は芝居をやめ、少女らしい笑顔を浮かべた。

「おかげで落ちないで済んだ」

「……そこまで俺の思考を読んでたのかよ」

「ふふっ、落ちこまないで? むしろ冴えてる」

「俺が?」

「ボクの演技をやめさせるために奈落に落とすなんて発想は、フツーの子供じゃ考えつきもしないさ」

「さっきまでフツーじゃない行動をしてたヤツにほめられてもな」

「うれしくない? だったら、こういうのはどう?」

 イタズラっぽい表情で、彼女は俺との距離を詰めてから、


「大好きだよ、えいすけ


「……は? また演技か? もしくはシャレか?」

「シャレ?」

「『きみがボクを奈落に落とさなかったおかげで、ボクは恋に落ちた』的な」

「あはは! ボクはホントに英輔のことが好きだよ? きっときみは将来、ボク以上の役者になれる」

「俺はおまえの思考を読んだだけだぞ?」

「そこが重要さ」

 情華はうれしそうに微笑む。

「ボクが英輔の思考を読んできみを演じたのと同じで、きみもボクの思考を瞬時に読んだ」

「………」

「きみはセンスがあるし、頭も口も回る。だからこそ、気づけたんでしょ?」

「……まぁな。おまえ、?」

 おかげで落ちないで済んだ。

 彼女はさっきそう言った。こっちの読み通り奈落に落ちる寸前で演技をやめるつもりなんてなかったわけだ。

 彼女はその程度じゃ演技をやめない。

 出会って数週間。

 何度も即興劇エチユードをしたおかげか、そのことは痛いくらいにわかった。

 彼女はたとえ舞台から足を踏み外したとしても、仮面を被ったままだっただろう。

 焦燥も、恐怖も、絶望も、すべて封じこめて。

 奈落に落ちていた。

 彼女──情華はそんな女の子だ。

 けど、だからこそ──。


 俺は、情華に初恋をしたんだと思う。

 

 芝居に……自分の好きなことのためならどこまでも夢中になれる彼女に魅力を感じ、惹かれ、気づけば夢中になっていた。

 その結果──。 

 それは恋愛という名の奈落だったのだ……なんてシャレのきいたナレーションでもかかればよかったんだが、残念ながらそうはいかない。


 そう、俺ことひいらえいすけが落とされたのは──。

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