12 本当は
最先端なんてどうでもいい
私が知りたいのは
この世界の
バランスの中央地点
人類は何者か
動物か
動物としての人間
機械的知能を持つ人間のバランス
破壊と創造
評価的視点と自然的視点
その狭間で人間はどう生きるのか
孔子的な社会、老子的な社会、
個人主義社会、全体主義社会
法律は正しいのか
教育の目的
要するに目指す場所はどこにあるのか
そういうところである
金持ちは幸せだろう
構造的に見ると私たち労働者は金で飼われている奴隷だ
世界は進歩している
科学によって解明されていることも増していく
僕の疑問は
言語によって成り立つ人間社会がどうあるべきか
その一点に尽きる
法律も言語
金だって数字という言語
誰も知らない人間は存在するのか
要は私たち生物、自然、あらゆるものは
記憶という
”データ”によって成り立っている
死は怖い
殴られれば痛い
女の万個は臭い
あいつを殺したい
薬をやりたい
このような悪い表現も
木の根っ子を辿れば
言語というプラットフォーム
の共有認識
常識
によって成り立っている
A,
B
C
彼らが赤くて甘い果実を林檎だと共有するのなら
それは常識であるように
この3社が
人殺しを正義だと認識するなら
狂っていようが正義だ
これは今の日本でも起こっている
例えば
お客様は絶対という常識だ
お客様の悪態を見過ごすことは当然のように起きている
その常識によって労働者は苦しんでいる
それも常識である
労働意識も同じである
会社とは何か
あなたならどう考えるだろう
私が常々思うのは
会社の根本は
チームで豊かになることを目的とした仲間だと思う
それは正しいかと問われればわからないのが現状だが
それがどうだろう
こうしなきゃならない
こうするべきだ
組織が大きくなるにつれて制約が増え
私は会社と、懲役の構造的比較ができないと考える
要するに言いたい私の主張は
私たち人類が目指すべきことは
幸せに暮らせる社会の常識ではないか
法律よりも常識の方が重要ではないか
この疑問の根拠は
法律はプロの道具のように思える
法律は規制する側が飯を食うための道具のように思える
法律を守るには
知識のない
一般市民には容易ではないのではないか
その一般市民も守れるルールこそが常識に思える
しかしどうだろう
常識を守ることは幸せだろうか
古きスパルタ的な文化の常識
人それぞれだが
常識の方針は
”幸せになること”であるべきだと思う
で、、、、
幸せとはなんだろう?
このヒントは動物にあるのではないか?
動物的な愛
昭和時代この文化は動物の文化だと思う
動物の愛情は程度はあるものの
殴って子供に危険なことから当ざけたり
戯れたり
みなさんにもよく観察してほしい動物を
愛とはこういうことなんだと
さて、人間にとってテクノロジーとはどんな意味を持つのか
私の主張は
常識や文化の方針
言語がプラットフォームであり
私たち人間の存在はデータだと認識し
人類の根本は生態系の一部に過ぎないと認識し
根元に帰った人類の社会の文化の常識の
あるべき姿を探す旅を私と共にしませんか
テクノロジーを信じる社会より神を信じる社会の方が豊かであるという視点
を私は否定できない
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