(4)

「見てくれ」


 そんな言葉と共にジョンはおもむろに懐からスマートフォンを取り出した。軽く操作をして画面をガブリエルに見えるようにする。


 そこに映し出されたものは――


「今日もヴェラは美しいだろう?」

「……ソウデスネ」


 ひとりの、年若い女のフォトだった。


 そしてそれは明らかに盗撮したものだった。女の目線は明後日の方向に向けられており、撮影されているなど露ほどにも思っていないような、朗らかな表情であった。


 ガブリエルはその盗撮フォトを見て心がしなびて行くのを感じる。


 この哀れな盗撮対象がガブリエルとはまったく面識のない存在であれば、単にジョンの性根を気持ち悪く思うだけで済むだろうが、彼女はガブリエルのかつての先輩なのであった。それも、結構お世話になった。


 ガブリエルの先輩であり、哀れにもジョンから屈折した恋情を寄せられているヴェラは、今は駅前の花屋で働いている。


 ヴェラは純粋なカタギとは言い切れないガブリエルとは違って、裏社会とはかかわりのない真っ当な人間だ。


 ではなぜガブリエルと接点があるかと言えば、先に述べた通りに学生時代の先輩後輩の間柄なのであった。



 遥か昔、お世辞にも良好とは言えない家庭環境で育ったガブリエルは、地元から少し離れた底辺女子高に通っていた。まともに受験勉強をしていなくても受かるような私立校だ。


 そこになぜかヴェラも通っていた。底辺女子高では一番の成績で、品行方正な優等生。その高校の空気にはまったく合っていなかったヴェラ。


 なんでも母子家庭を支えていた母親が急逝したショックで受験どころではなく、かろうじて受かったのがこの底辺女子高――ヴェラは底辺なんて言葉は用いなかったが――だったというわけであるらしい。


 ヴェラには社会人の姉がいたが、彼女にだけ家庭を支えさせるのはしのびないと、ガブリエルと知り合ったときにはすでにアルバイトを始めていた。


 そもそも、ガブリエルとヴェラが親しくするきっかけが、彼女のアルバイト先で出くわしたことに端を発する。


 ヴェラのアルバイト先に幽霊らしきものが出るとかどうとかでガブリエルは呼ばれたのだ。霊能力者としてはまだ駆け出しの、ひよっこだったときの話だ。


 幸いにもこの幽霊騒動はガブリエルの尽力によって解決し、なんだかんだとガブリエルはひとつ上の先輩であるヴェラと、なんとなく会話を交わすようになったのだ。


「ガブリエルはすごい!」


 ヴェラは優しい人間だ。しかし優柔不断ではなく一本芯の通った人間で、明るく素直な根っからの善人だ。


 ヴェラはガブリエルの能力は、困っている人を助けられる素晴らしいギフトだと語った。


 ヴェラと違って性根が曲がっている自覚のあるガブリエルは、当初はヴェラのその言葉を正面から受け取りはしなかった。けれどもしばらく付き合ってみて、あれは本心からの言葉なのだと思えた。


 ヴェラはよく他人を褒める。おべっかではなく、ヴェラはただ心のまま、素直に他人を褒める。そこにそのまばゆいばかりの性格と、整った顔立ちが加われば、男たちがこぞってヴェラに気を持ってしまうのは致し方ない。


 今のところ同性愛に興味のないガブリエルですら、ヴェラに対してプラトニックな恋愛感情を抱いてしまいそうになるほど、ヴェラという女は人たらしなのであった。


 とは言え、同じ高校という接点がなくなればガブリエルとヴェラは自然と疎遠になってしまった。高卒フリーターのガブリエルと、大卒で花屋の店員をしているヴェラとでは、「先輩後輩だった」以上の接点は生まれなかったのである。


 そうやってヴェラの存在は「ああ、あんな先輩もいたなあ」と思い出の中で埋没して行くだけのはずだった……のだが。


 のだが、なんの因果かガブリエルは週に一回はその先輩の動向をギャングのボスの口から聞かされるハメに陥っていた。


「ガブリエル、お前はヴェラの後輩だそうだな」

「はい?」


 きっかけはジョンからだ。


 急にギャングの事務所へ呼び出され、そのボスと部屋にふたりきりで取り残されたガブリエルは、生きた心地がしないまま突拍子もない言葉を聞かされることになった。


「しかも、結構親しくしていたとか」


 ガブリエルの脳裏をクエスチョンマークが埋め尽くす。「ヴェラ」「後輩」という少ないワードでガブリエルはどうにか高校時代の先輩であったヴェラのことを思い出せたが、ジョンの意図はまったく読めなかった。


 ガブリエルを脅しつけるにしても、ヴェラとは今ではそう親しくはしていない。ということはガブリエルを脅迫する道具としてヴェラは適切ではない。その結論へは早々に至ったが、やはりジョンの意図は読めずガブリエルは知らず冷や汗をかく。


「教えてくれないか」

「……なにを、ですか?」

「高校時代のヴェラのことだ。親しくしていたのなら色々とエピソードを知っているだろう」

「そう……言われましても。もう七年以上前の話ですよ……?」

「……俺が、教えて欲しいと、『お願い』しているのに、教えられないか?」


 ――それは「お願い」ではなく「脅迫」だ。


 ガブリエルは背中に冷や汗をかきながら口元を引きつらせた。


 当初のガブリエルはヴェラがなにかやらかしたか、そうでなくてもなにか厄介ごとに巻き込まれたのだろうと思った。


 結論から言うと、違った。しかし厄介ごとにヴェラが巻き込まれていることだけは、たしかだった。


 ジョンがヴェラに惚れたのだ。

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