2-08_期待と努力

■中野詩織視点―――

私はずっとお姉ちゃんに隠れてきた。

埋(うず)もれてきた。


中学に合格した時も、お姉ちゃんが既に入っていたから『受かって当然』という空気が家族内にもあった。

入学後、1年1学期の中間で学年トップになったのに、これも既にお姉ちゃんが獲得していた称号だった。


2番ではダメだ。

お姉ちゃんは3年間トップを守ったから。

私はトップであり続けて『当たり前』。

しかも、それ以上にはなれない。




学校では、月に2~3回は告白されるけれど、話を聞いていると『会長の妹』とか『あの中野さんの妹』とか言われる。


みんな、目の前の私のことは通り越して、その向こうにいるお姉ちゃんを見ている。

ずっと透明な私……。


頑張って当たり前。

うまく行って当たり前。


そのプレッシャーにいつも追い立てられる。




お姉ちゃんは中学時代、生徒会にいたらしい。

だからか知らないけれど、私も誘われた。

でも、生徒会には入らなかった。


その頃、ちょうど街でスカウトされたので、生徒会に入る代わりに芸能事務所に所属した。

お姉ちゃんが絶対に進まない道。

私が私として評価される道。


仕事は、ちょっとした雑誌のモデルとエキストラ程度。

テレビになんて、とても出られない。

つまり、私はまた誰にも知られない。


それは悲しすぎるので、事務所の人とも相談して動画配信を始めた。

芸能活動の紹介と趣味のお料理の動画。

運よく2年間で登録者が100万人に達した。


それでも、まだ私は『中野詩織』ではなく、『中野ウルハ』の妹と呼ばれることが多い。

まだ足りない。






お兄ちゃんは、ずっと一番お姉ちゃんの近くにいた人。

だからこそ、私とお姉ちゃんを比べなかった。


比べるまでもなかったのかもしれない。

私のことを女とも見ていないかもしれない。


でも、それが良かった。


お兄ちゃんは、絶対に『妹さん』とか言わなかった。

私を私として見てくれていた。


中学に受かったときも褒めてくれた。

学年トップに驚いてくれた。

勉強が大変だろうって労ってくれた。


お姉ちゃんのすぐ近くで忙しく動き回っているからこそ、分かってくれていた。



そのお兄ちゃんは絶対に手に入らない存在だった。

お姉ちゃんの一番のお気に入り。


それが、ここに来てなにをとち狂ったのか、お姉ちゃんは、お兄ちゃんを捨てた。

あんなに良くしてくれていたお兄ちゃんを。



私は、ここで動くしかない。

恥ずかしいくらいズルいことは百も承知だ。

別れたから、その後釜を狙っているだけのズルい女。


だけど、今のチャンスを見過ごすと、絶対すぐに他の女(ひと)に取られてしまう。

それをただ指をくわえて見ていることは私にはできなかった。


こっちで分かれたから、はい、次……

そんな簡単じゃないのもすごく分かる。


でも、動かなくて後悔するのは絶対に嫌!

私は、私を見てくれる人と一緒にいたい。

私を私として見てくれる世界で生きていきたい。


それには、お姉ちゃん以上に魅力的じゃないと振り向いてもらえない。

絶対にお姉ちゃんに勝たなければ……




そして、お姉ちゃんがもらうことができなかった、あの指輪をお兄ちゃんにもらう!

恐らく、形のあるものでは、他にないかもしれない。

初めてお姉ちゃんに勝てること。

私が私であるということ。



本来の目的が手段になり、手段が目的になり……

なにがなんだかよく分からない。


でも、お兄ちゃんと付き合って、あの指輪をもらえたら、きっと私はもう死んでもいいやって感じるんだろうなぁ。






■葛西ユージ視点―――

それにしても、詩織ちゃんの意外な一面を知ってしまった。

学校で成績がいいことは知っていたけど、よくモテて、芸能活動までしているとは……


明らかに、ウルハを意識している。

なんとか姉を超えようとしている。


その先に何があるのかは本人しか分からないけれど、僕は応援したいと思っていた。




雰囲気はまるで違うのに、目や鼻や口……パーツパーツはウルハに似ている。

好きな顔だから心が惹かれるのは避けられない。


詩織ちゃんは詩織ちゃんだと思いつつも、目が離せない。

しかも、雰囲気は全然違うから、全くの別人だと脳が理解している。


それなのに、見るたび、話すたび、彼女に惹かれていく。

幼馴染の妹だというのに。

3歳も年下で、まだ中学生だというのに……




昔から兄の様に慕ってくれているのは感じている。

僕はそこに付け込んで、デートまがいなことをしたり、一緒にご飯を食べたりして、楽しいと感じている。


これはダメだ。

彼女に失礼だ。

なんとか自分をしっかり持とうと改めて思った。





■迷子

本屋が見えるところまで来たら、道ですれ違った子が泣いていた。

5歳くらいの小さい子だ。

迷子だろう。


道行く人たちも気にはしているようだけど、誰も声をかけない。

あれだけ泣いていたら、お母さんも気づくだろう。

わざわざ自分がいかなくても、誰かが何とかするだろう。


そんな他力本願な気持ちから迷子は迷子のまま。

人の流れに飲まれて、やみくもに歩いていた。


僕がその子に気づいたとき、詩織ちゃんは既に子供に話しかけていた。

ちゃんと座って、子供と同じ目線までおろして。



「お母さんいなくなったの?」


「わーん!わーん!ぎゃー!!」



子供は泣くばかり。

自分を助けてくれる存在がいたことで、子供は余計に泣いてしまった。


全然、論理的じゃない。

だけど、子供ってそんなもの。


大人たちは無意識にこういうのを嫌っていたのかもしれない。

めんどくさい。

どうしたら解決できるか分からない。


そんな答えのないことが嫌いなのかもしれない。



突然、詩織ちゃんが歌い始めた。

ミュージカルみたいに腹の底から声を出す発声法。


目の前の詩織ちゃんの声に、僕は首から上の血が逆流して、毛が全て逆立つのを感じた。




子供はきょとーん。

ただ、詩織ちゃんが歌い始めたのは、子供ならだれでも知っているようなアニメの曲。

泣くのを忘れて、目の前の歌う少女に注目する子供。




次第に足を止める周囲の大人たち。

1曲を歌う頃には、迷子の子供は詩織ちゃんを見て目が輝いている。


周囲の大人たちも歌に合わせて手拍子をしたり、動画を撮ったり。

歌が終わると拍手が起きた。


詩織ちゃんはテレながらも、周囲の歓声に応え更に周囲を沸かせた。



そうかと思うと、くるりと振り返り、再びしゃがみ、迷子に向かっていった。


「お名前なーに?私は詩織お姉ちゃんだよ?」


詩織ちゃんは、次にこっちを向いて僕に言った。


「あ、お兄ちゃん、ごめんなさい。本屋さんには先に行ってください。私は迷子ちゃんのお母さんを探してから追いかけます」


そんなの放っておける訳がない。


「なに言ってんの。付き合うよ」





子供は歩いている途中でお母さんがいなくなったということを言っていた。

小さい時って、前を見ないで歩くから、気付いたら親とはぐれていることなんてよくある話。


交番に預ければそれはそれで、『親切な人』になることはできるのに、詩織ちゃんは周囲を歩いて一緒にお母さんを探していた。


僕も何かできることがないかと、迷子を肩車して歩いた。

この方が、お母さんも遠くから自分の子供が見つけやすいはずだ。


10分くらい歩いただろうか。

前方から明らかに慌てた若い女性が走ってきた。


「しおりー!しおりー!」


詩織ちゃんが反応した。

僕も、詩織ちゃんと、その若い女性を交互に見たけど、詩織ちゃんはその人のことを知らない風だった。


僕の頭の上から「おかあさーん!」と声が聞こえ、迷子がジタバタし始めた。


肩車から降ろすと、迷子は女性の方に走っていった。


「おかあさーん!」


「しおりー!どこにいたの!」


どうも、迷子のお母さんだったらしい。

再会できたみたいでよかった。


「すいません!ちょっと目を離したすきにはぐれてしまって……」


女性がお礼を言っていた。

詩織ちゃんは『いいえ、見つかって良かったです』なんて言っていた。



親子が去った後、自然と詩織ちゃんと目が合った。




「「しおりちゃんだって!!」」




そう、迷子の子供の名前は偶然にも『しおりちゃん』だったらしい。


すごい偶然に、大きい方の『しおりちゃん』と笑い合ってしまった。


「こんな偶然あるんですね!」


「ほんとだ!」


僕らは涙が出るほど笑った。




「あ、ごめんなさい。本、見に行きましょうか!」


「そうだね。でも、詩織ちゃん優しいね!」


「え?なんでですか!?」


詩織ちゃんが、耳の辺りの髪の毛を整えながら聞き返した。


「迷子を交番に預けるんじゃなくて、一緒に探してあげるなんて、さ」


「あの感じだと、お母さんは比較的近くにいると思いましたし、こんなにたくさん人がいるのに、誰も見てないみたいで悲しかったんで……」


心から優しい子だな。



そんなやり取りをしていると、ふと通りかかった店の前で見慣れた顔に気が付いた。


それはウルハだった。




バッチリ目が合ってしまった。

ウルハは知らない男子と一緒に歩いていた。

これが噂の光山先輩か。


自分以外の男に肩を抱かれているのを見るだけで胸が締め付けられた。

もう、僕のものじゃないんだった……。


僕は固まった。

話しかけていいものか、逃げていいものか、どうしていいか分からなくなってしまったのだ。


「お兄ちゃん……」


詩織ちゃんが心配して、僕の袖を掴む。


その姿にウルハが怒鳴った。


「詩織!あんたなにしてんの!」


ビクッとする詩織ちゃん。

飛び上がるように驚いていた。


光山先輩から離れてズカズカと詩織ちゃんのところに歩み寄るウルハ。

詩織ちゃんの手首を掴み、僕から引きはがす。


詩織ちゃんは走って逃げた。

ウルハもそれを追いかけた。


僕と光山先輩は取り残される形になった。


いなくなってしまったウルハにどうしようもなかったのか、『ちっ』と言い残して、光山先輩が街に消えた。


僕もどうしていいか分からなかったけど、詩織ちゃんが心配だったので、中野家に向かった。

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