第279話 過ちだったと証明しよう



「ねぇ……アルイー。ひとつ聞いていいかしら」

『なんじゃ?』


 カレンはなんと言葉を切り出すべきか迷った。

 数か月前、師の一人であるマギー教官から伝え聞いたこと。『シスターズ』の創始者である『ナイトオーナー』は武功を極め、不老に至った達人中の達人。

 その生体強化学に対する知識は、恐らくユイトとサンが持っていたものと比べても劣らないだろう。


「なんであたしたち、『シスターズ』を捨てたの?」

『うむ。いずれ尋ねられることとは思うておった』


 アルイーもカレンからその質問を受けるだろうと覚悟はしていたのだろう。

 声には、とうとう来るべくものが来た、と緊張の気配が感じられた。

 カレンは言葉を続ける。


「あんたに、あたしのような小娘の立場じゃ想像もつかない重責があったのは分かったわ。

 それでも……それでもどうして? と責めなじる言葉が出そうになるのを我慢してる」

『うむ』

「あんたが……生体強化学を『シスターズ』に伝授さえしてくれれば。

 あたしたちヴァルキリーの第四世代は……もっと生きやすかったはずよ」


 ……しばしの沈黙が流れる。実際にその身に宿した燃費の悪い体という特性と、導かれなければ氣の力に目覚められない肉体にとって彼女たちはずっと生まれながらのハンデを背負って生きてきた。

 だが、アルイーがその知識を『シスターズ』に残してくれれば……とどうしても喉奥を突いて恨み言がでそうになる。

 

『……そうじゃな。確かにそうすればヴァルキリーは生きやすかったじゃろう』

「なら……!」

『焦るでない、カレンちゃん。は生きやすい、と言ったんじゃ』


 カレンも、この老婆めいた童女が見かけより遥かに思慮深い人物であると理解している。その彼女が制したのだ。

 理由があるに違いない。

 あるいは自分たちの苦しみにも理由があると、信じたいだけかもしれない。


『……ユイト、おぬしブロッサムと接触したな? 彼女……あるいは彼女を通して見る今の『シスターズ』をどう思う?』

「……選民思想と排他主義の申し子。自分たち以外の人間を敵視して回っている。危なっかしい」


 はぁ……とアルイーは大きくため息を吐いた。


『……わしが《破局》直後に助けた、オリジンから出生した第二世代は、まぁ生き残るのに必死で……わしも手が足らず色々と手ほどきをした子もおった。

 じゃが、第三世代……カレンちゃんの母親の世代は、状況が安定し、普通の人間よりも優れた戦闘力を持つ娘が生まれてきた。

 それ自体は歓迎すべきじゃが、同時にある種の選民思想を持つようになったんじゃ。

 我々は虐げられてきたのだから、今度は我々が普通の人間を虐げていいのだ……と。心あたりはないかの』

「……あるわ」


 カレンは小さく頷いた。


『……当時のわしは悩みに悩んだ。

 ヴァルキリーの生来のハンデを解消するには生体強化学の知識を教えてあげねばならぬ。しかし……その知識は燎原に広がる野火のごとく普通人への差別となり、今度は……ヴァルキリーたちが普通の人間を差別する立場に移り変わるやもしれぬ。

 それでは……意味がない。彼女たちを助けるために新しい差別の芽を作ることは正しいのか? と』

「だから?!」


 理性で抑え込んでいた感情の堰が決壊し、カレンは知らず知らずのうちに叫んでいた。


「だから、あたしたちの生まれ持ったハンデをそのまま放置して! ただ生きるだけでも苦労するような人生を送れって?!

 あたしは……あたしは生まれながらの体質のせいで友達の顔を焼いたのよ?! あんたの知識があったら、この走火入魔の症例だってもっと早く直せたかもしれなかったのに……!」


 それはユイトにさえ伝えていない……カレンがシスターズから出ていく原因となった事件だった。

 その言葉を受け、アルイーは胸を刺されたような苦悶を浮かべ……小さな声で答えた。


『……当時のわしは思考錯誤の末、それが正しいと判断した。

 しかし……決断をした後でも未だに悩む。あれは本当に正しかったのか……生まれながらに苦しむ彼女らに手を差し伸べるべきではなかったのか? 

 その答えは……未だに出ていない。恐らくは、わしが……一生をかけて向き合わねばならぬ悩みなのじゃろう。

 カレンちゃん、わしは正しいことをしたつもりではあった。

 ……が、お主が憎むのも至極当然』


 アルイーが長年抱え込んでいた悩みを聞き、ユイトはその悩みにふとした懐かしさを覚えた。

 かつてユーヒとマイゴに生体強化学を教えるか否か、懊悩したあの日。自分の決断が世の中を決定的に変えてしまうことへの恐れ。それでも決断し、行動しなければ何も変えることができないと腹を括ったあの時。

 アルイーは、かつての自分の似姿のようだった。

 何かを、世界を変えてしまう大それたことへの不安と恐怖。それはユイトにも覚えがあった。


『肉体は若けれども、わしの魂はやはり老いていたんじゃろう。

 ……そして……だからこそ、おぬしら二人には期待している。

 あの日一番マシだと判断し、『シスターズ』を離れたわしと違う道を見せてくれると信じてさせてくれ。若者よ』


 カレンは……大きく息を吐く。 

 未だに胸中で暴れる狂暴な熱が冷めた訳ではないが、アルイーが悪意や怠慢ゆえに生体強化学を残さなかったのは分かった。納得はできないが、理解はする。

 隣にいるユイトを見て穏やかにほほ笑んだ。


「なら、見せつけてやるわ、アルイーお婆ちゃん。

 あんたが心配したような新しい差別も生まず、誰も彼も幸せに生きる新しい道をね」


 うむ……と深々頷くアルイーを、カレンは見る。

 そして聞くべき事はもう一つ。


「もう一つ聞かせて。

 ……以前、アズマミヤ都での戦いの最後で血魔卿はあたしを見てこう言ったわ。

 ――10か20年ほど昔に、シスターズの連中に頼まれて氣脈を壊し、いずれ走火入魔に陥り死ぬように計らった、……――って。心当たり、ない?」

『んじゃと……?』


 本当に心あたりがないのだろう。アルイーは大きく目を見開き、うめいた。 


『それに関しては……知らぬ。本当じゃ。

 その時点ではわしはすでに『シスターズ』の運営にかかわっておらんかったが……くそっ、いつの間にやら血魔卿に組織が汚染されておったというのか……』

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