第27話 いいわよ♡

 ユイトは目を開けた。


 結跏趺坐の姿勢のまま寝台の上で一時間ほどの瞑想。

 修道者か仏僧のような姿勢だが、内功を深く学んだ今となっては、全身に氣血を巡らせるにはこの姿勢が一番効率が良い。

 体内に取り込んだ雷霆神功……大自然の暴威を吸収する一大武功。

 目を閉じ、経脈を氣が駆け巡る爽快な快感を感じながらもゆっくりと立ち上がった。


 体調万全、気力充溢。

 風車村よりユイトはこれから旅立つつもりだった。




『先日回収したデバステーターの残骸から高品質の鉄と電子部品を回収できました。

 これらを利用し、私は船体内で生産施設の生産を開始できますが……マスター。あなたにも希望を聞いておこうと思いまして。

 まず第一にマスターの体を保護する防具。それ以降は何を生産しましょうか』

「そうだな」


 ユイトは携帯端末の画面に表示される生産可能施設の一覧を見て考えこむ。


「わからん」

『了解しました。当座は保留しておきます』

「なんでも作れるとは思うんだが……」

『それはもちろん』

「……他の企業がなぁ」


 ああ……とサンも彼の懸念を理解して頷く。

《破局》以前のロストテクノロジーを有する空中都市艦『ブルー』とその統合制御体であるサン。

 これに匹敵するのは兄レイジの住まう『ノア』と、今どこにあるのかわからない、失われたと噂される『スター』の二つしか存在しない。

 もし高度なテクノロジーの商品を安定して供給できると知られれば、他の企業に目を付けられて潰されるか奪われるかの二つしかない。

 競合する企業が存在しない分野はあるかもしれないが、すぐに思いつくものではなかった。


『ですが、金は欲しいですし』

「金の悩みはいつも尽きない……」


 サンの困り顔にユイトも頷く。

 この人工知能の目的は自分が統括する『ブルー』の完成。それに必要な資材の量はユイトが寝る間も惜しんでモンスターをぶった斬り続けたところで限界がある。ユイトがいくら優れた達人(マスター)であってもしょせんは一人だ。

 組織を立ち上げる必要がある。


 ユイトとしても金は欲しい。

 遊興費云々の話ではなく……雷霆神功をさらに強化するためだ。


 雷霆神功はいかずちを肉体の経脈に取り込む絶技。

 その電力は実はコンセントからでも取り込める……もちろん得られる効果などあって無きに等しい。

 モンスターをぶった切ってその生体エンジンから電力を拝借してもいいが、今より高みを目指すなら膨大な電力がいる。

 金で強さが買えるのだ。

 一番いいのは落雷さえ伴う豪雨の日だが。


「……いい天気だなー」


 あいにくと雨雲の気配などない絶好の旅立ちの日。

 落雷など望むべくもない。

 自分の視覚にしか映らない二頭身サンが雨ごいの儀式をしたり、ふれふれ坊主を作って祈っている姿を見ながらユイトはため息を吐いた。



 駐輪所に止めていたトライクに充電を済ませる。携帯端末をセットして目的地であるカタクラ都へのナビゲーションを開始。

 そろそろ出かけようとしたあたりで……ユイトはカレン=イスルギが割と大きい尻をトライクの荷台に乗せる姿に首を傾げた。


「なんだよ、カレンさん」

「載せてって。ここでの仕事は……もう終わったわ」

「ああ。それはそうか」


 この風車村の防衛を受けていたブラッドワークス社は一時的に蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたが、現在ではカタクラ都から来た補充人員が改めて警護に当たっている。

 カレンがブラッドワークス社からかなりの額の賠償金をせしめてほくほく顔をしていたから、すでに和解したのだろう。

 だが……一度自分を裏切った会社の人間と仕事をしたくないのは当然だ。


「ねぇユイト」

「うん?」

「あんたがあたしにしてくれた処置で、すごく快適なんだけど。もっとすごいのある?」


 ユイトはちょっと黙り込んだ。

 あることは、ある。

『伐毛洗髄』と呼ばれる処理で、己の内氣を患者の脊椎から全身の五臓六腑へといきわたらせ、経脈の乱れを直し体調を整え、内功を底上げする生体強化学の奥義のひとつだ。やろうと思えばできる。


「先日君に施した処理でも、これ以上は悪化しないだろ」

「あたしが聞きたいのは、あるの? ないの? のどっちか一つよ」

「……ある。あることは、ある」


 女性に詰め寄られて目をそらし、どぎまぎしながらも答える。

『伐毛洗髄』は確かに患者の体を健康にする。生体兵器として生み出されたヴァルキリーならば常人に施すよりずっと効果があるだろう。

 ただし氣を他者に譲渡するため、ユイトは一時的に弱くなる。具体的にはまる一日か二日ほど相応に調息を行わねばならない。

 カレンは真剣な眼差しで言う。


「いくら?」

「え?」

「いくらだって聞いてるでしょっ」


 突然の値段提示を要求され、ユイトは目を白黒させた。

 10年間の間、剣術を稽古し落雷から生き延びて得た雷霆神功。その力の一端を他者に譲渡するならいくらが適正価格なのか……。

 確かに血と汗を流し、綱渡りのような天運を味方につけて力を得たのだから、相応の対価を求めてもいいだろう。

 だがお金に換算すると……いくらなのか? 一銭もかかっていないから判断する基準がない。

 そう考えるユイトの前にサンがふわふわと浮きながら口を挟んだ。


『500万円と提示してください、マスター』

「ご。500万だ」


 ユイトとしては『ちょっと高すぎない?』みたいな気持ちだったが、拒絶の理由としては十分だろう。

 そう思っているユイトの前で、彼女は携帯端末を操作し始める。え、まさか、と思っていたら振り込み完了の音が響いた。


『マスター、250万円の入金を確認しました』

「残りは施術後よ、いいわね」


 そういうとカレンは大きい尻をトライクの荷台に乗せたまま『もううごきませんよ』と背中で語るように携帯端末を操作し始めた。ニュースでもチェックしてるのだろうか。

 ユイトは視界の中でふわふわ浮くサンに尋ねる。


(なぁ。500万の値段はどうやって決めた? 取りすぎじゃないのか?)

『マスターの伐毛洗髄を受ければ身体能力の劇的な向上が見込めるため、暴利とは思いません。

 彼女もあなたの力にうすうすと勘づいたのですから、胸を張ればいいんです』

(だとしても500万だぞ、誰が受けると思う)

『仕返しされましたね』


 ユイトは困ったように頬を掻きながら答える。


「カレン、わかった。やる。……ただし先に言っておくが。

 伐毛洗髄の施術は一日かかる。そのうえ外部から邪魔が入ったりするとそれまでの苦労が水の泡になるから……」

「なるから?」

「……誰も入ってこない密室で一日同じ時を過ごすことになるぞ……」


 断るなら今のうちですよ、という気持ちを込めたつもりだった。

 ユイトとしてはここで『話が違う』と怒られるならばお金を全額返金してなかったことにしたかった。

 けれどもにんまりと笑顔を浮かべたカレンは、まるで相手の弱みを握ったぞ、と言わんばかりの面白そうな顔。


「いいわよ」

「は」

「百万ぐらい値引きしてもらうけどね♡」


 ドッドッドッドッ……! と一気に心拍数が跳ね上がる。こちらをからかうような笑みでありながら、彼女が己の唇をなぞるしぐさはやけに蠱惑的で……求めれば応じてくれるのではないかと思わせる、相手に道を踏み外させる妖美の魅力を漂わせていた。

 

『マスター』

(なっなっなんだよびっくりしたなぁもう!!)


 ユイトはサンとの通信で大いにうろたえた声をあげた。


『値引き交渉に応じてはいけません。一回手を出してしまったら100万円です。

 それならば10万円支払って専門のお店ですごくエッチなサービスを受けたほうが10回もできます』

(そういう問題じゃねぇだろ!!!!!!?????)


 冷静に手を出すことの危険性を訴えるサンに、ユイトは叫んだ。しょせん情動に流されない電子生命には、肉あるものの悩みは理解できないのだと自身に言い聞かせ、己を律するべく深呼吸をくりかえした。



 カレンは自分の携帯端末を見た。

 ブラッドワークス社から送られた口止め料込みの詫び金を使って、長年自分を苦しめた借金を清算し、残っていた手持ちの金は450万円――そして今250万を送金し……50万円ほど足りないでいる。

 

「……ふふっ♪」


 滑稽なまで狼狽えて、深呼吸をして興奮を鎮めようとする様が愉快でかわいらしい。

 相手との関係で50万円ほど足りないから、その分は彼との借金にするつもりだった。

 おかしなものだ。

 50万円は一流の武装と装備を整えたカレンにとっては一度の仕事で楽に稼げる金額でしかない。けれども、不思議なもので……少なくとも50万円は彼との縁と思うと妙に深い意味に感じてくる。


 もし50万円の不足分をどうやって埋めるのか、と尋ねられればからかうネタになりそうだ。

 カレンはくすくすと含み笑いをこぼした。

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