「47」退行する人生

 ミチナガ先生は、理科を担当している。

 最もオカルトな内容とは程遠い科目に思えたが、そうした不思議と言われる事象を科学的に証明するのも役目なのだと、ミチナガ先生は研究手段としてその科目を選んだらしい。

 教科担当として管理する理科準備室に俺は休み時間の間に、ミチナガ先生に招かれた。

「何もないところだが、ゆっくりしていっておくれ。茶菓子なども用意していないのだが……」

「いえ。お構い無く」

 ミチナガ先生は簡素なパイプ椅子を二つ広げ、一方に腰を下ろした。

──そこに座れ、ということなのだろう。


 しかし、理科準備室というのはどうにも不気味なところである。棚にはホルマリン漬けにされたカエルやトリなどの解剖遺体が──あるわけも無く、液体の入った容器が陳列されているだけであった。

 不気味なものといえば、人体模型や骨格標本くらいか──。

 生徒たちは、まるでミチナガ先生を魔法使いのように不気味な噂を立てていたが、噂されていたような儀式で扱うような道具などなく、理科授業の実験で扱う教材が並んでいるだけであった。

 どこにでもあるような普通の理科準備室と言えるだろう。噂なんて、所詮はそんなものだ。誰かが色を付けて話しただけだろう。


 まぁ、そんな噂が立つのも分からなくない。

 俺はミチナガ先生の顔を見た。

 ミチナガ先生は前髪が長く、顔の半分近くが隠れてしまっている。雰囲気が暗く見えることが、噂に尾ひれがついた一要因を担っているのだろう。


 わざわざ職員室にまで行って、湯呑みに緑茶を入れて来てくれたが──つい変な薬品でも混入されていないかと疑ってしまう。

 勿論、俺にそんなことをする意味もないのだが──。


 差し出された湯呑みを受け取り、俺は遠慮せずにお茶を啜った。


「走馬灯っていうのはね。多くは、死の直前に見るものなんだ……」

 唐突にミチナガ先生が始めた。子どもの俺にも分かりやすいように、言葉を選んで話してくれている。

「死に直面した時に、これまでの思い出や記憶が頭の中にフラッシュバックする現象のことさ。例えば、交通事故で車が衝突する前からの僅か数秒──その間に、十八歳なら十八年の思い出が一気に呼び起こされるんだ。見ている人間は、まるで時がスローモーションにでもなったかのようにゆっくりと感じられる」

「それが、走馬灯ですか……」

 ミチナガ先生が、何故そんな話しを急にし出したのか、俺には分からなかった。こちらから何か言ったわけではない。

 世間話として──会話の糸口としてたまたまミチナガ先生が選んだ話題が、それであっただけだろう。


 偶然の話題──。

──思い返すと、なんだか俺の身にこれまで起こった事象と重なる部分もあるように思えた。

 人生を逆行し、主要な部分だけをダイジェストに──掻い摘んで見ているようなものである。


『走馬灯』──。


 ミチナガ先生が口にしたその言葉が、どうにも引っ掛かってしまう。


「君は、走馬灯でも見えているのかい?」

「……えっ?」

 ミチナガ先生から不意打ちに質問され、俺は驚いてしまう。まるで、内心を見透かされたみたいだ。


 ミチナガ先生は湯呑みに口をつけて茶を啜ると、パチンと指を鳴らした。

「いやねぇっ、随分と興味をお持ちだと思ってさ。他の幽霊や未確認飛行物体の話には全然食い付かないのに、それだけはやけに神妙な顔付きで聞いていたじゃないか」

 単純に、他の話題は耳に入っていなかっただけである。どうやら、その後もミチナガ先生はオカルティックな話しを続けていたらしい。

 余りにも考え事に集中し過ぎて、聞き流してしまっていたようだ。


 俺は図星をつかれて動揺してしまった。そんな俺の反応を見て、ミチナガ先生は確信したらしい。

「やっぱりか! そうだったんだね! いやぁ……どうも、君は他の子たちと雰囲気が違うとは思ったよ。何処か大人びているというか……まるで、死地をくぐり抜けてきたような……そんな感じじゃあないか!」

 ミチナガ先生は両手を広げ、大袈裟に言った。


 俺は、なんと返事をするべきかと悩んだものだ。

 普通の人に打ち明けたところで、冗談だろうと笑い飛ばされるような内容である。

 これまで、どんなに親しい人間にも打ち明けて来なかった。──というか、打ち明けるという選択肢すら頭には浮かんで来なかった。

 このミチナガ先生は常軌を逸している。

 オカルティックな事象に巻き込まれている俺に、もしかしたら有用なアドバイスをくれるかもしれない。

 そう、俺は思った。


──それに、この時間に戻されたということは、ここで何かしらのイベントが起きるということだろう。

 このミチナガ先生が、それと全くの無関係であるとは思えない。

 むしろ、ミチナガ先生と出会うことこそが俺にとって大きな出来事であったのではないだろうか。

 そう思えてならなかった。


「ただ時間を逆行しているんです。危篤状態の老人からはじまり、大人時代、学生時代……そして、今。順々に人生を逆戻りして歩んでいるんです。それが、先生の言う走馬灯と関係があるかどうかは分かりませんが……」

 俺が打ち明けるとミチナガ先生は瞳を輝かせ、自身の顎に手を置いた。

「ほほぅ……それは興味深い……。なら、ここは老齢期に……臨終間際に見ている走馬灯の一場面ということでしょうかね……」

「いえ。先生の言うそれとは違うかもしれません」

 俺が首を左右に振るって見せると、ミチナガ先生は首を傾けた。

「どういうことですか?」

「だって、走馬灯っていうのは一度歩んだ人生を、死の間際に振り返ることでしょう? 俺には子どもから大人まで……きちんと成長していった記憶がないんですから。いきなり、目が覚めたら老人になって死んだし、それから強制的に切り抜かれた場面を戻されているんです。それって、走馬灯とは言えませんよね?」

「ふぅむ……」

 ミチナガ先生は唸った。

 何やら考え事を始めたらしく、腕組みをして一人でブツブツと呟き始めた。

 俺はミチナガ先生が次の言葉を発するまで黙って待っていた。考え事の邪魔をするのは良くない。だから、言いたいこともあったが、そこで口を噤んだ。


「ええっと……『戻されている』と先程、言っていましたが、誰にです?」

「えっ?」

 ようやくミチナガ先生が口を開いたかと思えば、返ってきたのは質問だった。

「『された』ということは、つまりそれをやっている人間が他に居る……というわけですよね? 心当たりはありますか?」

「いえ、ありませんけど……」

──そんなもの、あるわけがない。誰かが意図して引き起こせる事象なわけがないだろう。


 俺は首を横に振るって、ミチナガ先生に答えた。


「ならば……それは君自身が引き起こしていることではないのですか?」

「え……? 俺が……?」

 俺が望んで逆行の人生を歩んできたというのか──?

 ミチナガ先生の言葉に驚かさせられてしまう。

 いや、そんな訳はない。

 だって、俺は正直、いつこの退行を辞めたって構わないのだ。


 実際にらそういったタイミングはいくつかあった。

──もっと先を見たい。

──時を戻してくれ。

 そんな俺の願いはちっとも叶わずに此処まで来たんだ。俺の意思に反して──。


 気付いた時にはそこに居て、あるところまでは泳がされる。どこで退行が始まるのか──そのタイミングだって、別に俺が操作したわけではない。

 俺じゃない──。


「君がこれまで歩んで来た人生……それは、君にとって大事なものでしたか?」

 ミチナガ先生に問われ、思い返す。

──臨終。

──隠居生活。

──孫の名前。

──娘との思い出。

──妻との愛。

──親友との別れ。

 様々な場面が頭を過ぎった。


「どれも……俺にとって、大きなものでした……」

「肝心な人生の分岐場面に立たされる……その『大事』とは……『重要度』とは、他の誰にも決められるわけがありませんよ。それが本当に大切な場面であると知っているのは、君自身以外にはあり得ません」

 要するに、ミチナガ先生は何が言いたいのか──。

「どういう意味でしょうか?」

「他人では、君の人生の中で何を君が必要としているか判断がつかないというわけですよ」

 簡単に説明をしてくれているようだが、ちっとも何が言いたいのか理解が出来なかった。


 キョトンと不思議そうな顔をしている俺に、ミチナガ先生は自身の人差し指を突き付けてきた。

「つまり……君の人生を逆行させている犯人は、君自身ということなのです。これは走馬灯……本当は未来まで生きた君が居て、望んでこれを見させているんですよ!」


──え?


 ミチナガ先生の言葉で、世界の全てが静止したように感じられた。

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