「04」名付けの親

 話しが一段落したところで病室のベッドの上の娘が、手に抱いた赤ん坊を差し出してきた。

「仕事馬鹿一徹のパパも、自分の孫くらい抱いてあげてよ。わざわざ来てくれたんだからさ」

 俺は反射的に腕を伸ばして、娘から赤ん坊を受け取った。


 俺の手の中で、赤ん坊は静かに寝息を立てていた。あんな言い合いをしている最中に眠ってしまったらしい。生まれたばかりの皺くちゃな顔だが、寝顔は屈託もなく可愛らしかった。


 俺はそんな無邪気な赤ん坊の顔を見詰めた。

 だが、悲しいかな──。

 俺は何の感情も抱かなかった。


 勿論、この赤ん坊自体は可愛らしいと思うし、娘に子どもが生まれたのも喜ばしいことであると思う。

 だが、俺には娘との記憶や思い出がないのだ。実の娘に子どもが出来た──そんな感動的な状況にありながらも、過程を体験してきていない俺には何処か冷めている部分があった。他人事というか、あくまでも第三者的な立場の人間としてその赤ん坊を抱き、感想を口にすることしか出来なかった。


──まぁ、そんな俺の心中が誰に分かるわけでもない。

 戸惑いながら不器用に赤ん坊を抱いた俺を見て、妻と娘はクスクスと笑った。

「落とさないで下さいよ」

「あぁ……」

 妻に釘を刺され、俺は赤ん坊を抱いた手に力を入れた。抱き方はこれで合っているのだろうか──特に指摘も受けなかったので間違ってはいないようだ。

 ただ、いつまでも抱いているのも怖かった。

 俺は娘の手に赤ん坊を返した。


「ねえ、お父さん……」

 赤ん坊を受け取りながら、娘が改まって口を開いた。

「この子に名前を付けてよ」


 唐突に、娘からそんなお願い事をされて、俺ばかりか妻も驚いた様子だった。

「あら? それなら幸太郎さんと相談して決めた方がいいんじゃないかしら……」

「……したわよ」

 娘が不貞腐れたように口を尖らせ、プイッとそっぽを向いてしまう。


「あの人ったら『助成布衣主(ジョセフィーヌ)』だの『鉄拳羽羽亜(エッケンバウアー)』だの、真面目に考えてくれないのよ」

「あらまぁ……」

 娘の愚痴に、妻も返す言葉がないようだ。

「散々叱って、搾り出して来たのが自分の好きな漫画やアニメのキャラクターよ? 挙句の果てに不貞腐れちゃって、『お前の方で勝手に決めてくれていいよ』ですって! 酷い話よね。父親になったっていう自覚がないんですもの!」

「幸太郎さんらしいわね……」

 幸太郎君の人と成りを知っている妻は、彼のことを思い浮かべて苦笑いしていた。端からそんな片鱗があったようである。


 俺は二人の会話についていかれず、真顔でその場に立ち尽くしていた。そんな俺に気付いたらしく、娘は幸太郎君への愚痴へと脱線し掛けた話を軌道に戻してくれた。

「……だからね。私が名前を決めていいって言うなら、是非ともお父さんに付けてもらいたいのよ。……まぁ、お父さんのセンス次第のところもあるけどね。良ければ、そのまま採用させてもらうわ。……だから、ちょっと考えてもらえない?」


 娘に手を合わせてせがまれてしまったので、俺はうーんと唸ったものである。

 いくら何でも、子どもの名前を決めるというのは責任が重い。その子の生涯に関わることであるから適当な名前は付けられないし──何より、俺なんかが決めて良いものだろうか。


 そんな俺の心中の迷いが、どうやら娘にも届いてしまったらしい。

「いいのよ、お父さん。そんなに気負わなくても」

 娘が微笑んだ。

「お父さんには、本当に感謝しているんだからね。小さい時、怖い人に連れて行かれた私を遊園地まで来て助け出してくれたじゃない。この子の生命も、お父さんが私の命を救ってくれたからこそあるようなものなんだから」

 何度も娘の口から聞かされる出来事──。

 病床でもこの話は聞かされたものだ。余程、娘の心に残っているのだろう。


『怖い人に連れて行かれた』

『私の生命を救ってくれた』


──穏やかではなさそうだ。

 過去に誘拐事件にでも巻き込まれたということか。詳細までは聞かされていないので想像になってしまうが、随分と物騒な話である。


 誘拐された娘を、俺が助け出した──。


 我ながら、良くやったものだ。

 一人の人間の命を救ったというのであるから。


 それはさておき、いきなり名付け親になって欲しいと言われても困ってしまう。

「ね? だから、お願いできるかしら?」

「あぁ……うむ……」

 しかし、断りづらくもあり、俺はそれを了承した。

 すると娘は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「本当!? ありがとう!」

 ニッコリと笑顔を浮かべる娘と不安そうに横から視線を送ってくる妻の前で、俺は名付けの親になるため頭を悩ませたのであった。

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