第14話 メモリーダイアログ
「ほら、ここに4ってかいてあるでしょ。ママはずっとかいてて、4しゃいだから、4なの。4からボクもいっしょにかいてるんだよ!」
マンタは、今日飛び降りようとしてたとは思えないほど、満面の無邪気な笑顔で日記を持って、駆け寄ってくる。
その日記の表紙には、マンタの写真がいくつも付いている。とても楽しそうな手作り感のあるノートだ。
「私、こんなの書いてたんだ。しっかりお母さんしてたんだな……」
「ママがしっかりしてたから、今のマンタが……家族があるんだ。いろんな壁があった、マンタを授かる前から君はママの準備をずっとしてたよ。それが私は寂しく思う時もあったけど、それがマドカさんなんだ」
お父さんは、お母さんの背中をさすりながら喋りかけている。
家族の重み……その変遷を懐かしむように。
お母さんは、マンタから日記を受け取り、表紙をしばらく見つめている。
少しして、何かを覚悟したように静かに4歳の日記の最初のページを開き読み始めた。
『今日で、マー君は4歳。マー君を授かってからは、大きな病気もなく、本当元気に育ってくれてママは嬉しいよ。いつも変わらない笑顔にママはメロメロだよ。ただ、いろんなことに一生懸命で今まであんまりきちんと言葉で伝えられてないかなって、今日からは毎日ギューって抱きしめて大好きって言わなきゃ。大人になっても忘れないように、何度も何度も、意識的にしていきたいな』
文章と共に、人間らしき絵とスライムのようなものも書いてある。
僕の知らないマンタのお母さんがそこにはいる、いるはずだ。ただ何か親しみが湧いてくる、違和感をあまり感じないのは不思議な感じだ。
「なんか……自分の日記だと思うと恥ずかしい気持ちもあるけど……確かにこれは私。忘れてるものだけど、確かに私だなって思う、感じるものがあるなって思う……」
「これはね、カミがながいからママなんだよ! それとこれはプレゼントのブロック!」
スライムだと思ってたものはブロックだったらしい。あの凹凸はそういう風に表現するためだったのか。
僕の感じる違和感のなさも、きっと真実だからなのかもしれない。
マンタから少し聞いた話と、この日記に書いてあることに相違などない。だからスルッと脳内に入り込んでくる。
「プレゼントは、ブロックだったんだ。そういえば、棚の上にも、怪獣かな? すごいの飾ってあるし、あれもパパと一緒に作ったの? ママにも教えてくれる?」
「ちがうよ! あれはボクだけでつくったんだよ! マンタウロスだよ!」
「……パパが一緒に遊んでる時に、パパザウルスだーって、ティラノザウルスみたいなの作ってたら、マンタも真似て作ったんだよな」
「そうだよ! マンタウロスで、パパザウルスやっちゅけたんだよ!」
「あぁ、パパザウルスは、原形もわからなくなるほど、完膚なきまでに粉砕されたな……」
マンタウロスは、青を基調としていながら、細部に色とりどりのブロックが散りばめられている。
立っているのがやっとに見えるその図体は、四肢と尻尾が絶妙なバランスを発揮して体勢を維持しているように見える。
パパザウルスは忖度したのだろうか。パパザウルスとの激闘の末に立つのがやっとになっているのか。そこにお父さんが伝えたいこと、笑顔にしたいことがあったんだろう。
お母さんは、嬉しそうにしながら次のページをめくっている。
『4歳になったし、夜のオムツも少しずつ卒業が見えてきてるかも! 今日も、「ママ見て、濡れてなーい!」って、ドヤ顔で見せてくれたね。昨日は、まだずっしりとおもたそうにして歩いてたのに。気付いたらどんどん成長していってる。でも、まだまだ子供っぽいところもたくさん。口寂しいのか、ソファとか机とか、色々噛み付くのはなかなか治らないの。今日もママは、ソファに寝転んでたら、太ももを食べられてしまった。やめてー! っていうけど、可愛くて食べられるのが癖になってるママもいるの。大好きだよ、マー君』
お母さんは、本当、マンタにメロメロだったみたいだ。
今日見てきたマンタ、日記から伝わるマンタを見ていると、なんとなく将来女ったらしにならないかだけ少し不安にもなってくる。
しかし、一緒に書いてある絵は、なんだろう。難解だ。海かなんかだろうか。青色が好きなのか。
「あ! これは、ボクがすきなハンバーグだね。青く塗ってるんだ、イヒヒー!」
「これ……ハンバーグなんだ! 誕生日だし、前の日の夕ご飯だったのかな。オムツももうこれくらいの時から卒業できそうだったんだね」
子供はすごい。自分が昔描いたものとはいえ、あの絵を瞬時に想起することができるなんて。
あれがおいしいハンバーグなら、フードロスも代替肉問題も安泰だろう。
「うん、でも、そのひオムツ、そのままセンタクキにいれちゃって、ママにすごいおこられちゃったの……」
「……そ、そうなんだ。ごめんね、オムツ入れちゃうこともあるよね……」
「ママ……オムツは……鬼畜なんだ……何回かあったんだけど、パパも後始末したことあるけど、ゼラチンみたいなのが、一緒に入っている衣類にこびりついて取れなくなって、それを全部払い落として洗い直したり、洗濯機自体も掃除したり、あれは確かに怒っちゃうと思う……」
「ごめんなさい……」
「でもだから、今はもうオムツほとんどしてないし、最後の方も捨てる時は、マンタは宣言してから捨てるようにしてたもんな」
マンタはシュンとしてる。
オムツにそんな一面があるなんて……
吸水力の高い便利なオムツも、そういう想定外の状況で、ベクトルの違う威力を発揮してしまうんだろう。これは、リアルな世界で使っていかないと分からない弊害でもある。
今回、書き始めた理由はもはやわからないが、コミュニケーションとして、備忘録として、始めたであろう日記は、想定外のコミュニケーション、想起するきっかけとして用いられようとしている。
日記を書いてた時、まさか自分が記憶をなくした時のために読まれていくとは思わなかっただろう。
でも、そこに記されている飾られていない言葉たち、その時の温度感のまま紡がれていく言霊たち。だからこそ伝わってくる。僕で伝わってきてるものがあるんだから、当事者はそれ以上のものがあるんだろう。
「23日までイッチョにかいてたんだよ? ボクはサンタさんのえをかいたんだ」
マンタは嬉しそうに、ノートをパラパラめくり、赤と白と黒の創造性豊かなグラフィティを見せてくれる。
お母さんも自称サンタさんに指をそわせながら、記憶の奥底にしまわれたであろう数日前の自分の筆記物を読み始めている。
『今日も、自粛期間で保育園は念のためお休み。自分の時間もちょっと欲しいけど、マー君のためにも私だけでもできること色々させてあげないとと奮闘中! 今日は一緒に公園に行ったね。だんだんとできる遊びが増えてきてるのに驚き! もう立派に男の子になったんだなぁって。この日記も1人でやってた時は続くか心配だったけど、マー君と一緒に日記書くようになってから楽しくできてる。頑張ってるぞ私! 今日のサンタさんの絵もとても上手♪ 最後はいつものように……』
お母さんは途中で読むのをやめる。日記を持つ手は震えている。
「私、頑張ってたんだな……読んでて、ママはママでよかったなぁって思う。正直これを読むのは不安も大きかった。でも、私の夢とここに書いてあること、マンタ君が話してくれることになんの違和感もギャップもなかった」
お母さんは、過去の自分と、忘れてしまった自分と対話しながら、自分が自分でなくなってないか、夢を理想を貫けていたのか、色々なことを確認し安堵しているんだろう。
お母さんとマンタも、日記の文章を、絵をテーマにして対話していく。そこから徐々に映し出される、鮮明化されていく思い出が、忘れてしまったものを、抜けてしまったピースを補完してくれる。
そんな淡い期待を抱いてしまう。
「ボクもね、この日はじめて、ロープのやつのぼれたんだよ、2かい! 2かいだよ!」
「ふふふ、そっか……かっこいいね! 今度またママにも見せてね」
当然のように、マンタは、お母さんの膝の上に移動し、ママのお胸に頬を擦り寄せながら話している。
家族の中の問題は、狭いコミュニティ内の問題、逃げ場がないことも多いだろう。
だからこそ、対話していく必要がある。見えなかったものも、忘れてしまっているものも、きっと浮かび上がってくる。
井ノ瀬家を見ているとそう思えてくるんだ。
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