第3話 ミーンワールドシンドローム
「くはぁ! オンライン飲み会も遠くの友達とかとはよかったりするけど、やっぱリアルだよ! これはもう捨てられない良さがあるよなぁ! 帰ってこい俺の日常!」
男性は、乾杯を忘れてビールを飲み干している。
「店員さん、とりあえずビールもう1杯! あれ、お嬢ちゃんもいってるねー、同じものでいいかな?」
見ると確かにリコも飲み干している。
なんだろう。コロナ禍って乾杯しないのがもはやニューノーマルなのだろうか。この人たちがアブノーマルなのだろうか。
この人たちのペースに合わせていくと、僕はマーライオンになってしまう。僕はちびちびマイペースにいこう。
「俺はミカノっていうんだ。サービス業をしててな。結婚してちょうど1年くらい。子供がきっかけでな。今うちのチビは寝返りや離乳食始めたあたりなんだ、かわいいぞ」
「僕はアルト。彼女はリコです。彼女とは昨日知り合って、今日は一緒に色々と回ってたんですよ」
「はぁー、若いなぁ……なんだそりゃ。こんな時代でも出会いはきちんとあるんだな。マッチングアプリかなんかか」
僕らは、しばらく飲みながら、自己紹介も兼ねたたわいない話を繰り広げていく。
ミカノさんのペースははやい。リコも負けず劣らずのペースでぐびぐびいっている。笑い上戸にでもなってくれれば楽なのに……
「ワクチンはお前たちも打ったんか? 俺はちょうどこの前2回目終わって。ちょっと腕が痛いくらいでそんなには気になることはなかったんだけど」
「私はだるさがけっこうあった」
「僕は副反応何もなかったですね。接種証明書アプリも割と簡単なんでやったんですけど、使う機会1回もないのが悲しいんですよね」
「街に出れば、みんなマスクしてるし。どこ行っても体温測るし。異様な世界が広がってるよなぁ。本当早く帰ってきてほしい、俺の日常」
確かに新型コロナウイルスで街は、社会は、世界までもが一変した。
頑なに変化を拒み続けてきた古き良きかな、日本社会は、リモートワークが推進され、タッチレスが増え、DXというバズワードと共に、本質を捉えた、本質からちょっとずれた変化も含め急速に進んでいる。
人々は、マスクをし、何かと消毒し、手洗いうがいを徹底し、なんとなく周りの人と距離を置き、遊び方・出かけ方にも周囲の空気感を警戒しながら嗜んでいる。
無知のものにはみんな過剰に恐れるものなんだろう。
『新型』というレッテルを貼られたウイルスは、出現直後は人々の目には恐怖そのものだったのかもしれない。
でもあれから約2年、無知から既知になってきたウイルスに対して、日本の社会の様相は再び頑なになっているように感じる。『新型』はギリシア文字を使いこなし、多少形態を変えたりはしているが、社会はそれに連動せずに同じ対策を続けていく。
人々の目から『新型』は、未だ既知にならずに新型なのか、既知になるのを嫌がり現実から目を背けようとしているのか、『新型』は新型であり続けている。
「テレビつければ、新型コロナウイルス関連のことばかりですからね。感染者数、重症者数、ワクチン関連のこと。少しでも先週や前日を上回れば、まるで株価のように毎日教えてくれる」
「いつまで、こんな生活が続くのか。有名人も陽性になればその都度テレビで親切に教えてくれる。年末年始の自粛は常識人なら当たり前だと言わんばかりのように連休のたびにお偉い方々が伝えてくれる。今楽しいことはみんな何かしらの縛りの上に成り立ってる。触れ合えないマスコットたち、声援禁止のライブ、楽しむなって言われているようなもんだ」
「私はテレビを見ないから……そうなのね。私は知りたいことしか知ろうとしないから」
ミカノさんは、ビールをグイッと飲み干し、その横でリコも気付けばグラスを空にしている。
特に意識もなく、とりあえずつけているテレビをぼーっと見ていれば、スマホを片手に時間を垂れ流しSNSを延々とスクロールしていれば、知らず知らずのうちに、知ろうとしていない情報も自分の中に刷り込まれていくのかもしれない。
それは、ステルスマーケティングのように、新興宗教のように、プロパガンダのように、僕らは自分の意見だと思ってるものもいろんなものに侵食されていっているのだろう。
「うちも、休憩中の黙食やら、店内の定期的な換気やら、ディスタンスをこれでもかってくらい目印つけたり、やった方が良さそうなことは大体やってる。けど、100%大丈夫なもんなんてない。かかる時はかかるし、かかるやつはかかるんだ。罹患しないようにする社会よりも、罹患しても大丈夫な社会になってほしいもんだ。いろんなことを優しく見守ることのできる社会であってほしいよ」
ミカノさんは、またビールをグイッと飲み干す。
どの対策が功を奏すのか、それはその時その場所、環境によって大分左右されるんだろう。
ただその判断は素人としては難しい。だからこそ様々な対策を組み合わせていくことで、抜け穴を小さくしておく必要がある。スイスチーズモデルのように、無数の穴を幾重にも連なるチーズ同士で埋め合わせていくように。
習慣化していくことはいいことだろうが、思考停止に惰性的にただ行っていればいいものばかりでもない。乳幼児のマスク、安心のための検査など、とりあえずしておけばいいものでもなく、パフォーマンスにすべきものでもない。
費用対効果、リスクベネフィットを踏まえて、倫理的に道義的に、社会のサイクルをどう維持していくべきか、専門的な視点と多角的な視点が必要になる。
いつまでも『新型』のままの旧型になれないウイルス、1年のほとんどが緊急事態だった緊急の陳腐化した社会、ニューノーマルでもアブノーマルでも新しい扉を開けていく必要があるように思う。
「うちは、サービス業みたいなもんだけど、このご時世でも関係なしに需要はあり続けるんだ。病気で休みやすい社会になったのはいいけど、それに会社はまだ対応しきれてないのが現状だ。だからこそ、余裕をもっともてる体制にしときたい。けど上からの指示で生産性重視で人員を見直そうとしてるときにこの事態になって、もう身動きが取れなくなっちまった」
「病気って、休めない社会だったの……? 学校は休んでいるのに、社会に出るとダメになる……不思議ね」
「そうなんだよ、リコちゃん。ちょっと前は風邪は出勤だった。今は、コロナ含めて体調悪けりゃ来ないでくれ、だ。ありがたいんだけど、ただ、発熱があるとコロナ関係なしに、しばらくお店に来れなくなる。でもお客さんは変わらずそんなのお構いなしだ。現場はどんどん疲弊していく。そして、遊ぶのも控えろ、なもんだ。俺らは会社も含めて社会の社畜だな」
接客業、とりわけインフラや医療関係なんてのはまさにそうなんだろう。
現場の疲弊……現場では、終わりの見えない戦いを強いられているのかもしれない。『新型』が新型であり続ける限り、ギリシア文字を付け替えていく限り。社会の社畜……か。
「そこは業界や業種によって差が出てしまいそうですよね。どうしても在宅ワークできるできないはありますし」
「こういう職業に限ってみんな真面目なんだよ。目の前の人のために頑張っちゃうんだ。みんなマスクから覗く肌は荒れてて、無意識にため息はでてきてて、疲れ果てた笑顔で、みんな大丈夫って言うんだ」
本来、まわるはずのないシステムや仕組みも、困っているお客さんのため、周りで頑張っている仲間のためと、必要以上に頑張るり、まわしていってくれているのだろう。
外から見ると分からず、そこに関心を示さない人たちは、新型コロナウイルスが猛威を振るおうが、現場の疲弊した声がたまにニュースで取り上げられていようが、結局変わらず社会はまわっていると思い込む。自分達のみたい、都合の良い数字や情報を信じて。
疲弊してる人たちにとっても、自分たちが頑張れば頑張るほど、社会の循環にメスを入れにくくなることに気づきにくくなるのかもしれない。
「俺にはみんなのためにお菓子買っとくくらいしかできないんだ、上に言っても聞いちゃくれねぇ、なさけねぇもんだよ」
ミカノさんは、酔ってきたのか、元々そうなのか、少しずつ声を荒げて、感情もむき出しになってきているように見える。
ミカノさんは、また、ビールをグイッと飲み干そうとする――
「ん! なんだ、どうした、危ねぇぞ」
リコが飲み干そうとするジョッキに手をかけて、ミカノさんのぐい呑みを妨げ、勢い余ったビールが少し散乱する。
「そろそろ、結婚指輪を投げてた理由が知りたいの」
リコも酔ってきているのか、もう片方の手には空になったジョッキを携えている。
知りたいことを知りたい、そう言っているように僕は聞こえた。
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