第3話 秘密と許可
真弦の新人戦が始まった。中学生として初めてレギュラーで試合に出る日だった。
鈴子は息子の勇姿を見るために仕事を休んで、試合会場の体育館まで出向いた。夫の賢も仕事を半休にして観戦に来ると言っていたので、会場の場所と試合開始時間をわざわざラインで伝えておいた。
真弦は小学生の頃から少年団でバスケットをやっていた。小柄だったために中々レギュラーを勝ち取れなかった小学生時代、随分悔しい思いをしたことだろう。中学に入りめきめきと成長して身長が伸びた彼は、スタメンとして出場する。
鈴子は早めに会場へ入り、息子をより近くで見たいがために客席の最前列に陣取った。他の保護者の人たちと談笑しながら、彼の背番号を確認する。
試合開始のブザーが鳴り、真弦のデビュー戦が始まった。
真弦たちのチームは二回戦目で負けてしまったが、やっとの思いでスタメンとして試合に出たことが大きな自信となったようで、彼は、負けてもとても晴れ晴れとした表情だった。
「お疲れ様。最後の追い上げ、凄く良かったわよ。惜しかったわね。」
「うん。父さんは来たの?」
「・・・結局来なかったみたい。半休取ってくるって言ってたんだけどね。」
「そっか。・・・まあ、いいよ。これ弁当箱。うまかったよ。」
そう言ってくれて、弁当箱を鈴子に手渡すと顧問の先生のところへ行ってしまった。まだ解散になったわけではないので帰れない。他の生徒たちも、親のところへきて色々言われながら、再び顧問の先生のところへ集合する。
保護者の中には両親から祖父母まで応援にくる人たちもいる。逆に、試合があっても一切応援に来ない人たちもいる。
保護者がこない子達はそもそも保護者席の方へ来ないのだ。それぞれの家庭にはそれぞれに事情が有る。とやかく言うべきではない。
小学校を卒業してから20センチも伸びた息子の後ろ姿を見て、鈴子は小さく息をついた。
試合終了した旨をラインで夫に報告する。やがて数分後に、どうしても仕事を抜けられなかった、という言葉の後に、レッサーパンダが謝罪するスタンプが送られてきた。
「わたしに謝っても仕方がないじゃない。」
今日の勇姿を見てほしかったのは、きっと父親だっただろうに。
でなければ、真弦が父親が来ていたかどうかなど確認しない。そう思うと、切なくて悲しくなった。
二年ほど前、長女が高校受験を控えていた冬頃のことだったと思う。
ある日曜日の昼過ぎ、鈴子は昼食の片付けをしていた。テーブルを拭いていた時、偶然目にした、彼の携帯の画面に、見知らぬ女とのやり取りが載っていた。
けれども、わたしはそこから目をそらした。
「ちょっとあなた、そんなところに携帯置いておかないで。ちゃんとロックもかけないと、子供に見られちゃうわよ。」
リビングのローテーブルの上に無造作に置かれた携帯端末は、何かのアプリの着信を知らせて光が点滅している。
「あ、ごめん、気をつけるよ。」
電動髭剃りを片手にリビングへ戻ってきた
「お父さん、私も携帯欲しい〜。」
「俺も買って。」
「高校生になったらな。」
並んでテレビを見ていた二人の子供がおねだりする。賢はそれに適当に答えていた。
わたしは、何も言わなかった。
見て見ぬふりをしたことで、わたしは警告したのだ。
絶対に知られないようにして。
もはや、不倫も浮気も仕方がない。自分が女と見られていないのは、なんとなくわかっていたし、それでもいいと思っていた。
だって、子育てと家事と仕事でいっぱいいっぱいで、女を磨く暇なんて無い。
他人に知られなければ、家族にばれないようにやってくれれば。
迷惑をかけない範囲でやるのなら、見逃してやる、と。
夫を軽く睨みつけて、心の中でそう呟いた。
夫は、どうして睨まれるのかわからないのか、困った顔をしている。
「ほら、さっさとロックしてしまって。」
そう、これは警告だ。
父親としての役割を果たして、家族の大黒柱としての役目を果たしていてくれるのならば、何も言わない。
この家庭を壊さないのならば、目を瞑ろうと。
墓場までこの秘密を持っていってくれるのならば、わたしは何も言わずに貴方も、貴方のお相手のことも黙って許す。そう思っていた。
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