第344話.クロカミセージョの正体

 ダイニオージが最後に放った魔法は、“アクヤクレージョー”ではなく“タテガミロール”で、感じられる魔力は遥かに小さく歪みの中にいる俺達には届かない。

 アクヤクレージョーは身体への負荷が大きく、ダイニオージが連続して行使するには限界があるのかもしれない。ただアクヤクレージョーを完全に使いこなせていれば、歪みの中にまで魔法が届いていたような気がする。


「必ず、俺様のものにしてやるからな!待ってろよ、クロカミセージョ」


 魔法は届かないが、ダイニオージの言葉だけはハッキリと歪みの中の空間まで届くと、クロカミセージョの呼吸は荒くなり苦悶の表情を浮かべる。


『あら、クロカミセージョが気になるの?』


「折角助けたんだから、無事に越したことはないだろ」


『心配しなくても大丈夫よ』


 空間の歪みが増し、ダイニオージの姿も声も分からなくなると、徐々にクロカミセージョは穏やかな表情を取り戻す。


『ずっと抱きかかえている必要はないと思うわよ』


「ああ、そうなのか···。でも、転移中だし下に置くわけにもいかないだろ?」


 するとナルキの蔦が伸びて、俺からクロカミセージョを奪ってゆく。改めてクロカミセージョの寝顔を見ると少し罪悪感を覚えるが、ここで変な事を考えればムーアに思考を読み取られてしまう。

 心を無にして、転移が終わるのを待つ。次の転移先に誰も居ないという保証はないし、今必要なのは不測の事態に備える事。


 再び歪みが収まり始め、外の光景が徐々に見えてくる。今度の転移にかかる時間は短いだけに、まだ近くにダイニオージや他の仲間がいるのではないかと警戒してしまうが、まだ外からは音も感情の声も聞こえない。


 そして、転移が完全に終わる。


「誰も居ない?」


 俺だけの探知スキルだけでなく、他の精霊達の意見を待つ。臭いもしなければ、変わった音も聞こえず、不自然な魔力の動きもない。


『一先ずは、安心出来そうね。次の問題に移りましょう!』


 そう言うと、ムーアはクロカミセージョを指差す。


 改めてクロカミセージョの状態を確認すると、呼吸は問題ないし、脈拍もしっかししている。しかし、鼓動の音が聞こえない···。思わず胸に顔を近付けるが、鼓動の音はしない。しかし胸は、呼吸にあわせて上下に動いている。


「生きているのか?」


『いつまで見てるの?』


「そっ、そんなんじゃない。だって、おかしいだろ。心臓が動いていないんだぞ」


『そうね、ヒトならおかしいことよね』


「ヒトなら···」


 そして、改めてここがダンジョンだということを思い出す。しかし、クロカミセージョの瞳は、俺と同じ黒い瞳をしている。


「でも魔物なら、瞳は赤いはずだろ。それに例外はないはずだって!」


『それは、クロカミセージョに聞いてみるしかないわね』


 ムーアが、クロカミセージョに気付けの酒を飲ませると、微かに体が震え意識が覚醒してゆく。少しずつ閉じた目が開くと、こっちを食い入るように見つめてくる。


「ああ、やっぱり私のリンゴクオージ様ですわ」


 体には大きなダメージがあるはずなのに、軽やかに飛び起きると、俺に飛び付いてくる。


「ちょっと待て、俺はリンゴクオージじゃない。ただの迷い人のヒト族だ!」


 その言葉でクロカミセージョは、俺の身体から少し離れると、まじまじと顔を見つめてくる。


「“マヨイビトノヒトゾク”って、何ですの?私のリンゴクオージ様じゃありませんの?」


「俺の名は、カショウ。リンゴクオージじゃない!」


『クックックックッ、カショウと一緒にいると飽きないわね♪』


 ムーアは困惑する俺の顔を見て、楽しげに笑っている。そして少なくとも、クロカミセージョのことを危険視していない。


『ねえ、あなたは魔物なの?それとも精霊なの?』


「“マモノ”、“セイレイ”って、何のことか分かりませんわ」


『カショウが貴女を抱きかかえた時、赤い光が見えたけど、あれは砕けた魔石じゃないの?』


「違いますわ。あれは私のハートですの。砕けたハートを吸収出来るのは、リンゴクオージと決まっていますわ」


 ムーアはクロカミセージョを魔物と考えているようだが、クロカミセージョから返ってきた言葉は意味不明でしかない。


 その言葉を聞いた全員の動きが止まり、ムーアの笑い声だけがダンジョンの中に響き渡る。

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