第3話
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村木が和人の自宅を訪れた翌日。この日、和人の担当する科目の授業はなかったため、和人はデスクで事務作業をしていた。
授業がない日だからといって、塾に来なくて良いわけではない。都市部の大きな塾と違って地方支店には専門の事務員はいないため、備品の補充や建物関連の手続きも講師の業務範囲だ。週次、月次の報告書類の作成もあるし、担当講師の病欠など、緊急時の待機要員も兼ねている。そして何より、出勤しないとタイムカードが押せない。ただでさえ少ない給料が減ってしまうのは、死活問題なのだ。
とはいえ、授業で生徒たちの相手をするのに比べれば緊張感のない仕事だ。和人はあくびを噛み殺しながらノートパソコンに向かっていた。
授業の時間が終わり生徒たちが各々帰宅し始めた頃、一真と陽平はデスクで仕事をしている和人の姿を見つけて、近付いてきた。
「先生!」
「一真か……なんだ?」
一真に声を掛けられ、和人は返事をした。キーボードを叩く手を止めてから、一真のほうを向き直す。一真の隣に陽平の姿を認めた和人は、意外そうな顔をした。
「どうした、二人揃って」
「なんかさ、村木さんって人が、先生によろしく、って」
「え? なんだって?」
意外な言葉に、和人は思わず聞き返していた。村木といえば、つい昨日、和人の家まで押しかけてきた老人だ。
「おまえら、村木さんと知り合いなのか?」
「いや、よく知らないけど、学校行く途中に住んでるみたいで……」
「通学路の途中に、村木さんの家があるんです」
一真の言葉を遮って、陽平が言い直す。さらにその言葉を引き継いで、一真が続けた。
「今日、塾に来る途中ですれ違って、声掛けられた」
「……声掛け事案、ってやつだな」
和人は冗談めかしてそう言った。
「先生は知り合いなの?」
「いや、俺もよく知らないんだけどな。他に何か言ってたか?」
「なんか先生が超能力みたいの使うの見たか? って聞かれた」
「ほ、ほぉ……」
和人は動揺していた。わざわざ生徒にその話をするとは、どういうつもりなのか。
「それで、一真はなんて答えたんだ?」
「いや、なんかそんな気はするけど見間違いだろうって」
「先生から、見間違いだと言われたということを伝えました」
またしても、陽平が一真の補足をする。おそらく村木と話した時も、こうやって陽平がフォローしたのだろうなと和人は思った。
「そしたらなんか納得したみたいで、先生によろしくー、って」
あっけらかんと言う一真だったが、陽平は何か言いたげな顔をしていた。それを見て、和人が質問をする。
「どうした、陽平?」
「先生は、村木さんとは知り合いじゃないんですか?」
陽平は、先ほど一真が言った質問を繰り返した。
「だから、俺もよく知らないんだって」
「今日、声を掛けられた時、変な感じがしました」
「変な感じ、というと?」
「たまたま会ったっていうより、俺たちが通るのを待っていたような気がしたんです」
「え、そうなの?」
驚いた声で口を挟んだ一真を無視して、陽平が続けた。
「先生によろしくっていうのも、何か含みがある気がします。そもそも、なんで俺たちが先生と知り合いだってこと知ってるんですかね?」
「あぁ、そういえば! なんでだろ?」
陽平の疑問に一真が同調する。和人は答えに窮した。陽平や一真が疑問に思うのはもっともだった。だが、和人にしても明確な答えを持ち合わせていない。小さな街だから、和人が塾の講師だということくらいは知られていても不思議はないが、通っている生徒たちのことまで細かに知っているとは考えづらい。
「……とにかく、話はわかった。ま、別にたいしたことじゃないから気にするな」
「大丈夫なんですか?」
陽平の声音には、不安というよりも懐疑的な色が含まれていた。だが、和人はこれ以上話す気にもなれず、とにかくこの場をやり過ごすことにした。
「村木さんに会ったら、俺からいろいろ聞いておくよ。でも、あんまりこの話はしないようにな」
「えー、でもさ……」
「わかりました」
和人に対して何か言おうとした一真だったが、陽平が横からそれを制した。察しが良くて助かる、と和人は思った。
「すまんな」
思わず、和人はそう口にした。それは、陽平の気遣いに対する謝罪でもあったが、先日から一真に対して、はぐらかすようなことばかり言っていることに対する謝罪でもあった。
「いえ。あとで説明してくださいね」
「くださいね!」
陽平の言葉尻だけを一真が繰り返した。
「考えとくよ」
和人は、そう返すのがやっとだった。
「それじゃ失礼します」
「失礼しまーす」
「おう、気をつけて帰れよ」
そう言って和人は二人を見送った。なぜ村木がわざわざ生徒経由で和人にメッセージを送ってきたのか。和人の仕事のことを知っているというアピールだけであれば良い。いや、それだけであってほしい。
「あーあ、やる気なくなっちったな」
報告資料を作っている途中だったパソコンの画面に向き直り、思わず和人は独り言を口にした。
パーティション越しに、向かいの席からわざとらしい咳払いが聞こえてきて、和人は肩をすくめた。
*****
「菅原先生は、何かを隠している」
学校での授業と清掃時間が終わった放課後。帰りがけに一真と沙織里、汐梨を近所の公園へ連れてきた陽平は、唐突に話を切り出した。中央公園と呼ばれるこの公園は、付近の学校と同じ程度の敷地面積があり、様々な遊具が設置されている。小高い丘や東屋もあって、祭りの際には数十の露店が立ち並ぶ、この付近の人々にとっては馴染みのある公園だ。
「いきなりなに言ってんの?」
汐梨が返した。学校帰りに陽平が声を掛けたのは、正確には一真と沙織里だけだったのだが、沙織里を呼ぶことでほぼ自動的に汐梨もついてきていた。
「菅原先生って、カズおじさん?」
沙織里が確認した。
「そう、カズおじさん」
陽平は軽く頷き、それと同時に一真が肯定を口にした。
「隠してるって、何を?」
「陽平が言うなら、冗談じゃないんだろうけど」
沙織里に続けて言った汐梨の言葉に、一真は心外そうな表情をした。
「え、それは俺が言うと冗談に聞こえるってこと?」
「それを聞きたくて沙織里を呼んだんだけどな」
一真の抗議を無視しながら、陽平が誰にともなく言葉を発した。沙織里と汐梨の頭の上には、まるで目に見えるかのように疑問符がたくさん浮かんでいる。
要領を得ていない二人の様子を見て、陽平はここ最近立て続けにあった、塾での一真と和人との会話のことや、村木から話し掛けられた件についてを説明した。話の途中、一真はしきりに頷いたり、合いの手を入れたりしていた。
「……それで、沙織里なら何か知ってるかと思って」
「うーん、わからないなぁ」
「そうか……」
陽平としては、親族なら何か知っているのではないか、という程度の考えだった。だから、それほど期待していたわけではない。それでも、何も成果が得られないというのは多少の落胆を伴った。
「てゆーか、さおりんだって、菅原先生と一緒に暮らしてるわけじゃないんでしょ?」
「うん。4年前くらいかなー、カズおじさんが出てったの」
フォローするような汐梨の質問に沙織里が答えたが、その答えに驚いたように、一真が声を上げた。
「え、4年前は一緒に暮らしてたんだ? 逆にそっちがビックリだよ」
「一真に同意するのは癪だけど、俺も同感」
一真にしても陽平にしても、沙織里が和人と同じ家に住んでいるとは思っていなかった。親戚ということは聞いていたが、そもそも沙織里は大野、和人は菅原で姓が違う。当然の如く、別々の家で住んでいるものと思い込んでいた。
「でもさおりん、前はよくカズおじさんのこと話してなかった? 一緒に遊びに行ったこととかさ」
「いやいやいや! 何年も前の話だよ! パパとかママも一緒だよ?!」
汐梨の言葉に、沙織里の声が大きくなった。両手で握りこぶしを作り、上下に振りながら釈明を続けている。
「ほら、携帯の番号とかも知らないよ? 塾の先生やってること以外はよく知らないしさ」
あからさまに慌てた様子の沙織里を見ながら、陽平は視界の端で一真が硬直していることに気付いていた。
そういえば一真は沙織里のことが好きだと言っていたことがある。
沙織里の慌てる様子を見て、なんとなくだが、和人への恋心でもあるのかと勘繰ってしまうのも無理のない話だ。ましてや想像力豊かな一真のことだから、頭の中では幼い沙織里が和人と一緒に風呂に入っている光景でも見えているかもしれない。
「しーちゃんだって、カズおじさんのこと渋いとか言ってたじゃん!」
「え、え?! ちがっ……」
「優しくていいよねってさー!」
「違う違う! そういう意味じゃなくてね!」
いまだに腕を小さく振り回している沙織里から伝染したのか、汐梨まで胸の前で手を左右に振りながら慌て始めた。
「じゃあどういう意味さ?!」
「い、いやー、その……し、渋いってのはさ、なんていうか……あ、渋柿って甘くはないよねー」
「ちょっと、それどういう意味?!」
「ひー、勘弁してよぉ」
すっかり沙織里に気圧された汐梨は、頭の上で腕を交差させながら体を小さく丸めた。
「ま、まぁ二人とも……」
沙織里の慌てた様子を見てショックを受けていた一真はようやく立ち直ると、仲裁に入ろうとした。だが、弱々しい一真の声は二人の耳には届かないようだった。
「ってゆーか、あの時もさおりんが、先生のことどう思う? って聞くから言ったんじゃん!」
「や、えっと、そうだっけ?」
「そうだよ! そんな風に聞かれたら悪く言えるわけないじゃん!」
「あーっ、じゃあ悪く思ってたってこと?!」
立ち直りかけていた一真の心は、汐梨の口から出た言葉によって再び折られた。「あの人のことどう思う?」など、明らかに好意を抱いていなければ出てこないような問いかけだし、一真にもその程度の察しはついた。
「いや別に、あんなおじさん特に興味ないし当たり障りの無い……」
「はいはい、ストップストップ!」
汐梨がかなり失礼なことを言いかけたのを見て、たまりかねた陽平が手を叩きながら制止した。
「二人とも、つまらないことでケンカすんな」
「別に、つまらないことじゃ……」
陽平の言葉に、沙織里の矛先が向きを変えようとしたが、陽平は沙織里の言葉が終わるのを待たずに汐梨へ向き直った。
「汐梨も、言い方に気をつけろ」
「う……ごめん……」
陽平に言われて、汐梨が素直に謝った。
「話が逸れたけど」
しゅんとして口を閉じた汐梨と、まだ興奮が冷め切らない様子の沙織里を尻目に、陽平は話を再開した。
「最初にも言ったけど、先生は何か隠していると思う。でも、誰も心当たりはない」
「うん」
陽平の言葉に、三人は頷いた。
「でも先生は、あまり気にするなって言ってたんでしょ?」
汐梨の言葉に、今度は陽平が頷いた。
「先生も自分から村木さんと話してみるって言ってたし、このことは忘れても良いとは思う」
「でもさ、もし先生が何か困ってるなら力になれないかなぁ」
「一真……」
中空を見つめながらつぶやいた一真を見ながら、汐梨が続けた。
「変なものでも食べたの?」
「しおりん、それはひどい」
沙織里は苦笑交じりに、汐梨に言った。一真は相変わらず何かを考えているようだったが、思いついたかのように表情を変えると陽平へ顔を向けた。
「俺いいこと考えた」
「いや、言わなくていいぞ」
「村木さんに直接聞いてみればいいじゃん。話しに行ってみようぜ!」
「言わなくていいって言ったよな」
一真は、名案だと言わんばかりに瞳を輝かせながら、陽平の制止を無視して言った。
「そっか、たしか活動センターの人なんだよね?」
「それなら活動センター行けば会えるかも」
沙織里と汐梨も、一真の提案に同調した。だが、陽平だけは表情も変えずに静かに言った。
「そこまでする義理はないだろ。先生は、あんまり気にすんな、って言ってたわけだし」
「でも、昨日先生と話した時、なんか困ってそうな顔してたよ」
一真は、村木からの伝言を聞いた直後の和人の顔を思い出しながら言った。
「もし困ってるなら、なんか力になりたいなーって」
「まぁ、そこまで言うなら別に止める理由もないよ。お前らだけで行けばいい」
「えー?!」
すぐさま上がった女子二人のブーイングに、陽平は顔をしかめた。
「そもそも言い出しっぺは陽平じゃん!」
「いや、俺は別に……」
「先生がどうなってもいいの?」
「いやいや、そういう問題じゃ……」
「なんか冷たいよー?」
「そういう問題でもなくて……」
「冷血漢!」
「なんで咄嗟にそんな言葉が出てくるんだよ……」
立て続けに言葉を浴びせながら詰め寄る沙織里と汐梨に、反論する気力も失った陽平はため息混じりに呟いた。その様子を見ながら、一真は一人笑っていた。
「なに笑ってんだよ、一真は」
「はは、いやぁ、陽平もそんな顔する時があるんだな」
女子とは目を合わせないようにしながら睨む陽平に、一真は笑いながら返した。
「でも、陽平も一緒に行こうよ。村木さんと話しにさ」
「だから、理由がないんだって」
むすっとしながら言う陽平に、一真は申し訳無さそうな表情になった。
「大人とちゃんと話ができそうなの、陽平しかいないからさ。助けてくれよ」
両手の手の平を合わせて拝むように腰をかがめながら、一真は言った。
「そうそう!」
「おねがいっ!」
一真の真似をするように手を合わせながら、沙織里と汐梨も続いた。
同じような格好と表情で見つめてくる三人を見ながら、陽平は大きく息を吸った。そのまま思い切り大きなため息をつきそうになったことに気付き、陽平は一瞬息を止めてから口を真横に結び、大きく鼻息を出した。
「……まぁ、そういうことなら」
「さっすが!」
渋々といった感じで了承した陽平に、一真は拝むように合わせていた手を離し、左右対称に両手の親指を立てた。横では沙織里と汐梨がお互いの手を合わせながら、きゃあきゃあと声を上げている。
陽平は三人の顔を見渡し、結局、大きなため息をついた。
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