第73話 新規エリア

 クレアシオン一の問題児には、意外と妹想いな一面があった――という事実を知って。照れ隠しなのか何なのか、いつも以上にやかましい彼を追い返して。仕事に備えてベッドに潜り込むと、シャルはすぐさま意識を手放した。手紙の内容に頭を捻り過ぎたせいか、それともアズの相手で消耗したせいか。恐らく両方だろう。


 そうして次に目が覚めた時には、辺りは真っ暗だった。ダンジョン内の時間を表す時計と暦を確認したところ、当初の予想通り夜勤との交代時間が近い。

 シャルは早々に身支度を済ませると、「次元移動」を使ってクレアシオンのダンジョン入口まで飛んだ。徒歩でのんびり出勤するのも良いが、今は余計な事に頭を悩ませる時間を減らしたい。さっさと職場へ向かい、工事現場の様子でも見ていた方がストレスなく過ごせるはずだ。


「――あ、エド先輩! おはようございます、今日も早いですね」


 入口へ飛べば、やはり既に優等生トリスの姿があった。シャルは普段よりも数拍考えた後、ようやく「おはよう、トリス」と返す。昨日『双子詐欺』の被害に遭いかけたせいで、慎重になっているのだろう。

 トリスは特に気に掛けた様子がなく、ニコニコと愛想のいい笑みを浮かべている。シャルからすれば彼女と女装アズのの違いなどハッキリ分からないが、髪の長さや毛先の流れる僅かな癖などは見慣れたものだ。声の質からしても、彼女は間違いなくトリスである。


「今発動中の「時間停止」は、いつ頃始まったものだ?」

「およそ五分前です。私達の出勤時間までもう少しかかりそうですね」

「そうか。まだ余裕があるなら、僕は一度地下の様子を見に行って来る」

「――あっ、でもその、今は」


 トリスは思わずと言った様子で声を発すると、すぐさま自身の手で口元を押さえた。その不自然な反応を受けて、シャルがほんの僅かに眉根を寄せる。

 あらぬ方向へ泳ぐ目線に深く問いただす事はせず、彼は足早にダンジョンの入口を迂回した。目指すは工事現場の出入口の一つ、申し訳程度のバリケードが施された縦穴である。


 しかし、前回出勤した時には確かにあったはずのバリケードは見当たらない。それどころか、アズが「次元移動」でごっそり掘り抜いた縦穴の形跡すら見当たらなかった。まるでダンジョン内のエリアのように原状回復された地面を指先でなぞり、シャルは細いため息を吐き出した。


「……どいつもこいつも、揃いも揃って工事スピードが速すぎるな」


 アズただ一人だけでもとんでもない施工スピードだった。限られた魔法を駆使して、作業者の安全を完全に無視した突貫工事をしていたからだ。

 ただ彼の場合、仕方ないという部分が大きい。ハーフにエルフの常識を当てはめようとしても無駄である。生まれつきそういう特性をもつのだから、こちらの常識ばかり強制するのはおかしな話というものだ。

 しかし、夜勤のナルギと専門職汚し屋のアティに至っては――。


 シャルは記憶を頼りに座標を計算すると、ダンジョンの地下に新たに造られた空間へ繋がる次元を開いた。その裂け目から見える新規エリアの景色に数度瞬きをした後、サッと青ざめて中へ飛び込む。


「――アティ!」

「あ、リーダー。おはようございます」

「挨拶の前に、色々と話すべき事がある」

「話すべき事……もしや私達の将来、でしょうか?」

あたらずといえども遠からずかも知れない。僕は今、君に戦慄している」


 キリリと大真面目な顔をして小首を傾げていたダブルお団子頭の女エルフは、シャルに両肩をガシリと掴まれるなり「しゅきしゅき」と呟いた。表情が全く変わらないから余計に恐ろしい。


 今は仮眠休憩終わりの夜勤組が労働しているはずの時間帯なのに、何故まだアティが職場に居るのか。原状回復仕事と違って一つもポイントの足しにならない工事に、何故サービス残業してまで熱中してしまうのか。

 それだけでも労基法的にツッコミどころ満載なのに、この隠しエリアの様相はおかしいとしか言いようがなかった。


 天井も壁も床も、全てが特殊なコンクリート製の無機質なエリア。複数人から成る冒険者パーティの乱戦にも耐えられるよう広めに造られたその部屋は、いつの間にか天井に仕込まれたらしい電灯の光で鈍く照らされている。

 余計な汚れも苔もなく、いかにも原状回復し易そうな空間。シャルが外でほんの一日二日過ごしている内にこれらが完成しまっている事については――最早もう、何も言うまい。恐らく工事作業者が張り切り過ぎてしまうのも、ダンジョンの責任者たるシャルのハーレム体質が原因だからだ。


 しかし、まだ製作段階のこのエリアに――「時間停止」の効果を受けてフリーズした状態とは言え――大量のモンスターと冒険者三人が対峙する形でセッティングされているのは、どう考えても大問題であった。

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