ガールズビーチ

 本田資立翔紅学園第一自動二輪部の合宿は、たっぷり3週間を費やして行われる。

 その間この合宿地である「菅島」から出る事は出来ず、世俗を離れてバイクの事だけに没頭出来る……いや、するのである。

 もっとも、ここでその様に長期間過ごす彼女達に、何ら不自由な事は無い。

 島には女子高校生や女子大学生、更にはアマチュアのチームが長期滞在しても何ら不便のない施設が全て揃っているのだ。それどころかリゾート施設も充実しており、息抜きをするのに何も不都合な事など無かった。


「うわぁ―――っ! 紅音ちゃん、すごく可愛い水着だねぇ!」


 そして第一自動二輪倶楽部の面々は、ここに到着して翌日にはこの島にある海岸で海水浴を行っていたのだった。


 本来であれば、合宿最終日に自由時間を設けていてもおかしくない話なのだが、ここで3週間の時を費やせば夏休みも8月の中旬を過ぎてしまう。

 お盆を過ぎれば、海水浴を行うにも色々と不都合が生じるという事で、第一自動二輪倶楽部では例年初日とその1週間後に自由行動を設定していたのだった。


「去年の水着が入らなかったから、新しいのを新調したのよ」


 目を輝かせて紅音の姿に見入る千迅に対して、紅音はどこか素っ気ない物言いで返していた。

 紅音にしてみれば、今どきの女子高校生とは思えないほど水着には興味が無かった。もっともそうは言っても、それなりに自分に似合う物をチョイスしている訳だが。

 紅音の身に付けている水着は、薄いピンクにフリルの施されたビキニであった。そして腰にはパラオを巻き、どこか大人びた雰囲気を醸し出している。

 今の彼女を見れば、昨年まで女子中学生であったとは思えないだろう。


「それにしても、千迅。あなたの水着は、去年と同じよね?」


 如何に紅音とて、自分の着ている水着を褒められれば悪い気はしない。

 返礼として彼女も千迅の姿を見て、ある事に気付き口にしていた。記憶力の良い紅音は、千迅の着ている水着が依然見たものと同じだと察したのだ。


「うん、そうだよ? 新しいのを買おうって思ったんだけど、問題なく着れたから持ってきちゃった」


 千迅は余り気にしている様子はなかったのだが、紅音はマジマジと千迅の姿を観察していた。

 薄い青を基調としたワンピースは、紅音の言った通り去年と同じである。同じ衣類が着れるという事は、千迅の身体にはサイズ的に殆ど変化が無いという事だ。

 だが紅音には、それにも疑念が生じていた。

 確かに千迅は成長していないかも知れない。それは、紅音の記憶にも一致する事だ。

 それでも彼女は、いや彼女たちは、中学時代よりも更に厳しい練習を重ねてきた。その中には、筋力や体力を向上させるトレーニングも含まれていたのだ。

 女性らしいふくよかさに縁が無くとも、体格が1回り大きくなってもおかしくない筈である。もっとも、筋力や体力をつけても、それが筋肉に反映しないという体質の者も居るのだが。

 成長期でもある千迅たちが1年前と殆ど同じ体型である方がおかしいと考えるのもまた当然なのだが、当の千迅にその事を気にしている様子はない。

 それも当然で、今の千迅には自身の身体的成長よりも興味のある事が他にあり、彼女はそれにのめり込んでいるのだ。それこそ……他の何を措いても。

 だから千迅は、紅音が自分に向ける訝しむ視線にも気付かないでいたのだった。


「なぁにぃ、千迅ぁ? 相変わらずのおこちゃま体系なのぉ?」


 そんな2人に、聞き知った声が投げかけられた。それは同級生である貴峰と沙苗だった。

 2人は、どうにもにやけた笑いを浮かべて千迅に歩み寄って来る。


「もう私たちも高校生なんだしぃ? 少しぐらいお洒落しないとぉ」


 そう切り出した貴峰の身に付ける水着は、黒のクロスホルターとなったワンピース。ここ最近で急激に胸が大きくなった貴峰がこれを着ると、何ともセクシーと言って良かった。


「そうよぉ。でないと、目当ての男の子が出来た時に振り向いて貰えないよぉ?」


 そして貴峰の言葉を継いだ沙苗もまた、千迅に比べればなんとも大人びた格好をしていた。胸は貴峰に大きく及ばず、どちらかと言えば千迅と甲乙……いや、丙丁付け難いのだが、身に付けている水着は圧倒的に沙苗の方がお洒落だった。

 白地に花柄のレイヤードビキニを選んだ彼女は、その細く引き締まった身体も相まってまるでファッションモデルの様なスタイルをしていたのだ。


「ぐぬぬ……」


 これまで別に気にしていた訳では無い千迅だが、そこまで馬鹿にされれば悔しいと言うものだ。彼女は2人に向けて、歯噛みして唸り声を上げていた……のだが。


 、ある人物の出現で一蹴される事となった。


 その人物とは。


「あら、千迅に紅音。それに、貴峰と沙苗も。楽しんでる?」


 第一自動二輪倶楽部長、本田千晶だった。その後方には、彼女の親友でもある菊池美里も付き従っていた。

 非の打ち所のない美しさとスタイルを持つ千晶が水着になれば、ただそれだけで周囲の目を引き付けてしまうだろう。事実、彼女がこの浜辺に現れた瞬間、その周囲の動きは止まってしまっていたのだから。


 この島は、今では女性だけが入島を許されており、当然このビーチに男性は存在していない。

 それでも、同性から見ても尚、千晶の美しい容姿とそれを際立たせる水着が周辺にどよめきさえ起こしていたのだった。

 と言っても、彼女が身に付けているのは至ってシンプル。特に飾られた訳でもない白のビキニだった。

 水着の大きさも標準的で、特に他者の目を引くデザインはされていない。

 それにも拘らず、千晶は衆目の視線を一身に集めていた。

 細く長く美しい手足と、絶妙のバランスで引き締まった身体。そのスタイルは、眉目秀麗な顔立ちと絶妙の調和を見せており、彼女がそこにいるだけでまるで一枚の絵画である様だった。


「くくく……」


 そんな千晶に声を掛けられたのだ。同性である千迅たちが動きを奪われてしまう事も致し方ない話であった。

 もっとも、そんな周りの時間さえ止めてしまう千晶の美貌にも、免疫を持つ者が数名いる。それは言うまでも無く、彼女と同じ時間を長く過ごした同級生であり、それは今笑いを零した美里も同様であった。

 そしてそんな彼女が漏らした笑い声のお陰で、千迅たちも漸く正気に戻る事が出来ていた。


「は……はい、部長」


 真っ先に我を取り戻した紅音が、顔を真っ赤にして返答する。それと同時に千迅や貴峰、沙苗も激しく首を縦に振って同意を示した。

 普段でも千晶の前に立つと緊張してしまう1年生たちなのだ。如何に先ほどの衝撃から回復したとはいえ、それでもその緊張感がほぐれるまでには至らなかった。


「そう。明日からは、本当に厳しい練習が待ってるんだから、今日くらいはゆっくりしなさいね?」


 にこやかにそれだけを告げると、千晶は美里と共にその場を去って行ったのだった。

 快晴の海岸に、まるで嵐でも過ぎ去ったかのような脱力感を千迅たちは覚えていたのだった。




 に掛からない……耐性があるのは、何も同じ学校の同級生だけではない。


「ちぃあきぃ! 久しぶりねぇ!」


 千晶が巻き起こした騒動に釣られてきたのか、一直線に彼女の元へとやって来た女性が如何にも親し気に声を掛けた。その女性の声に覚えのない千迅たちは、訝し気に千晶の方へと視線を向けていた。

 そんな彼女たちの前で、近付いて来た女性は話し方通りに馴れ馴れしく千晶の手を取る。


「久しぶりってあなた……。つい先週にも顔を合わしたでしょう?」


 その女性に向けて、千晶は嘆息気味にそんな返答をしていた。

 呆れた様な声音ではあったが、その態度や表情に忌避感は伺えず、2人が知人である事が伺える一幕であった。


「あっれぇ? そうだっけぇ?」


 何が楽しいのか、そんな非難じみた千晶の台詞にもその女性は気分を害した様子がうかがえない。


「それよりも、雅。あなた達はここで海水浴なんてしていて良いの?」


 一向に離れようとしない雅を引き離しながら、千晶がもっともな疑問を口にしていた。

 この島に居る女性という事を思えば、彼女がただの観光客であるとは考えにくい。間違いなく彼女もいずれかの高校の生徒であり、バイクレースを嗜んでいる事に疑いは無かったのだった。


「ああ、良いの良いの。あんた達だって、ここでこうして羽を伸ばしてるんでしょ? まぁ、明日からの猛練習を前にしての準備って処かしらね? 何せ私たちって、夏休みを謳歌する事も出来ないんだからねぇ」


 ケラケラと笑い掌をヒラヒラと振りながら、雅は千晶の疑問に答えたのだった。

 彼女の言い様は、翔紅学園が今ここで遊んでいる理由と同じであった。


 ヤナハ資立第一宗麟高等学校モーターサイクルクラブ第一部3年、佐々木原雅。

 彼女は、事ある毎に翔紅学園と対立する、いわばライバル校である第一宗麟高校の自動二輪部部長であった。

 これまた言うまでも無い事なのだが、世間のレースと言うレースではホンダとヤナハは鎬を削り合う仲であった。特に双方ともメーカーである以上、単純にその勝ち負けは自社のバイクの売り上げに直結する。

 そしてその100%出資学校である翔紅学園と宗麟高校の試合結果と言うのも、同様に自社の大きな宣伝となり、これまた売れ行きを少なからず左右していたのだった。

 ただしそれは、あくまでも企業側の話しであるという事。

 実際に戦い合っている少女たちにとっては良きライバルではあっても、仇敵と対面するといったギスギスした関係にはならなかったのだ。

 故にこの2人の中が良好だったとしても、一向に問題は無いのだった。

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