EV

 第五自動二輪倶楽部を後にした千迅と紅音は、やや遅めの昼食を学食で取っていた。

 因みにこの学園では、学食は全て無料となっており朝9時から午後3時まで開いていたのだった。

 これは偏にクラブ活動に注力した結果であり、育ち盛りの生徒に合わせたものだとも言える。例え花も恥じらう女子学生だとは言え、腹が減っては戦が出来ぬ……なのだ。


「んぐ……んぐ……。この後……第三のやってるサーキットに……。パクパクモグモグ……むごうもぅ?」


「ちょっと、千迅……。ちゃんと呑み込んでから話してよ。何言ってるか分からないから」


 そして、恥じらう事を忘れたかの如く勢いよく食べている千迅は、同時に話をしようとして見事に紅音に注意を受けていたのだった。

 その後しばらくの間、2人は黙々と食事を摂っていた。それからおよそ10分後。


「ねぇ、紅音ちゃん。この後は第三のやってるサーキットに向かうんだよね?」


 先程の質問を、千迅は紅音に向けて話した。

 彼女達がまだ見学していない自動二輪倶楽部はと言えば、残るは第二サーキットで実演している第三自動二輪倶楽部のみだったのだ。


「う―――ん……。第三のマシンって、なのよねぇ―――……。見る意味あるのかしら?」


 その問いに対しての紅音は、何とも消極的な言葉を洩らしており、千迅の方もそれに対して明確な意見を持っていなかったのだった。


 第三自動二輪倶楽部の使用しているマシンは、次世代バイクとも言われている「電動バイク」を主体としている。

 そしてその造りは、まずエンジンから、そしてフレームから何から全て別物だと言って良い代物だったのだ。

 何よりも排気ガスが出ず、当然マフラーも必要としていない。

 更には、その音も至って静かなものだった。

 紅音が「見る意味があるのか」と言う理由も当然であり、接点と言えばただ二輪を使って前に進むと言う部分だけしかない。

 未だ試作の域を出ず、市場にも製品としてはあまり出回っていない。

 そして何よりも高価であり、そのくせ速度面や走行距離の面でガソリン車に大きく水を開けられているのだ。


「でも、色んなマシンを見るのは勉強になるって、美里さんも言ってたしなぁ……」


 ただし千迅がそう呟いた通り、先輩の言を引き合いに出されると紅音としても反論出来ないでいた。

 何よりも「次世代」とまで言われるバイクなのだ。

 見ていて損は無いし、それどころかいずれはガソリン車に取って代わる可能性も低くはないのだ。

 それを考えればこの部活動見学会期間は、EV車を体験する数少ない機会だとも言えた。そしてそれが分からない紅音でもない。


「そうね……。余り気が進まないけれど……行きましょうか」


「うんっ! そうだねっ!」


 紅音の決断に、千迅は笑顔で頷いて席を立ったのだった。





 そして千迅と紅音は、第二サーキットまでやって来ていた。


「あら、ようやく来ましたのね?」


 そんな2人を待ち受けていた……と言う事は無いのだろうが、訪れた千迅達を迎えたのは誰あろう、桧山美楓祢であった。

 彼女はライダースーツに身を包み、大きな荷物を抱えておりどこか忙しそうでもある。


「別に約束していた訳じゃないし。あなたに会いに来た訳でも無いしね」


 そんな美楓祢の言葉に対して、紅音の返答はどうにも素っ気ないものだった。これにはさすがの千迅も、近くで聞いていて苦笑いするしかない。

 しかし、それを受けた筈の美楓祢も紅音の言葉に気を悪くした様子もなく。


「そうでしたわね。兎に角、今は凄く忙しいんですの。お相手差し上げたいのは山々なのですが、そうもいきません。詳しい話は、あそこにいる部長に聞いていただけるかしら?」


 それだけを言い残すと、美楓祢はさっさと荷物を持って去って行ったのだった。

 てっきり絡まれると思い込んでいた紅音はと言えば、何とも肩透かしを食った形となる。


「何だか、忙しそうだねぇ―――……。それじゃあ、紅音ちゃん、行こっか?」


「え……ええ」


 呆然と美楓祢が去って行った先を見つめていた紅音であったが、千迅にそう促されて気の抜けた返事を返しながら、先程美楓祢が指し示した人物の元へと向かって行ったのだった。




「今日はっ! 第一自動二輪部1年の一ノ瀬です!」


「同じく1年の速水です」


 千迅と紅音は、美楓祢が部長だと言った人物の元まで行くと、それぞれにそう挨拶を済ませてペコリとお辞儀をした。

 そんな自己紹介を受けたその女性は、それまで眼を落としていたタブレットから視線をずらせ、2人に正対した。

 ただそれだけの仕草であるにも拘らず、千迅達はその女性からは何とも理知的で落ち着いた雰囲気を感じ取ったのだった。


「初めまして。私は第三の部長を務めている3年の今里陽子よ。宜しくね」


 そして挨拶を返して来た彼女に、何とも不思議な既視感を覚えていた。

 美しく真っ直ぐな黒髪だが、綺麗に肩口で切り揃えられていた。

 ただそれだけにも関わらず、何とも上品で清楚な印象を受ける。

 切れ長な眼は澄んだ黒い瞳を湛えており、正しく出来る女を醸し出していたのだった。


「なんだか、本田部長に似てるねぇ―――……」


 ポーっと陽子を見つめていた千迅はポツリとそう零し、隣にいた紅音も思わずそれに同意しかけたのだが。


「ちょ……ちょっと、千迅! 今里先輩に失礼よ!」


 即座に意識を取り戻し、彼女にそう注意したのだった。

 紅音に指摘されて、千迅は申し訳なさそうに頭を掻きながら陽子の方に目を遣るも、彼女にその事を気にしている様子はない。それどころか。


「うふふ……良いのよ。私も良く、あの子に似てるって言われるし、あの子もそうみたいだしね」


 それが可笑しいと言った雰囲気で答えたのだった。

 更にはそのセリフの中に、千迅達が怪訝に思う言い回しも含まれていた。


「あの……今里先輩は本田部長と仲が良いんですか?」


 そして紅音は、その気になった部分を陽子に尋ねた。

 彼女の話しぶりは、明らかに本田千晶の知己であると言っている様なものである。

 しかも紅音には、2人の仲はそれだけでは留まらない何かがあると感じられたのだ。


「ん……? まぁ……ね。だって私とあの子は親戚で、幼馴染でもあるしね」


 もっとも陽子は、別段隠し立てをする様子もなくその理由をアッサリと話したのだった。

 ただし、そう打ち明けられた千迅と紅音が受けた衝撃は、陽子ほどアッサリとはしていなかったのだが。


「ええ―――っ!? 部長と親戚で……幼馴染―――っ!?」


 だから千迅は、これ以上ないというくらいに驚きの声を上げ。


「……驚きました」


 紅音は、紡ぎ出したその言葉ほど冷静では無かったのだった。


 学園でも間違いなくナンバー1に輝く有名人であり、第一自動二輪倶楽部で部長を務める本田千晶。

 そんな千晶と今里陽子は、恐らくは最も近しい間柄であると言える。

 それは生徒たちに最もウケそうなエピソードであるにも拘らず、学外はもちろん学内でもその事を知る者は意外に少ない。

 その理由は、今里陽子の性格と変わり種ぶりにあると言っても良かった。


「ふふふ……あなた達が知らないのも無理ないわ。あの娘千晶と違って、私は殆どからね」


 千迅達にそう答える陽子は、その言葉にどこか含みを持たせていた。もっとも、2人共その部分には気付かないでいたのだが。

 それは、その後に続く陽子の話に意識が向かってしまったからに他ならない。


「そんな事より、どうするの? ガソリンエンジン車じゃないけれど、乗ってみる?」


 陽子は千迅と紅音に、電気バイクの試乗を持ち掛けてきたのだった。

 バイク乗りとして興味を惹かれない訳がない2人だが、何とも複雑な心境である事に変わりはなかった。


 様々な倶楽部活動を見学し体験する……今回の部活動見学会には、その様な趣旨がある事に間違いはない。

 それは自動二輪部にも当然当て嵌まり、これを機会として様々なバイクに接し知識を深める事を目的としている。

 そう言った意味で、陽子の提案は千迅と紅音にとって魅力的と言って良かった。


 しかし陽子率いる第三自動二輪倶楽部は、次世代のモーターサイクルを推進していると言って憚らない。

 それどころか、親元である本田技術工業でさえそれを認めて強力にバックアップしているのだ。

 そしてこれは、現在主流として活躍しているガソリンエンジンバイクを駆っている者にしてみれば面白くない話なのだ。

 これは理性ではない……プライドの問題でもある。


 そんな千迅と紅音の困惑した表情を前に、陽子は悠然とした笑みを浮かべている。

 元々陽子にしてみれば、千迅達の心情など簡単に予測出来ていたからこれは当然だろう。


「実際に乗ってみて比較しないと、正当な評価なんて望めないでしょう? それに……将来の為になるかも知れないわよ?」


 中々結論が出せない2人に、陽子は挑発めいた言葉を発して促しにかかったのだ。

 それが殊更に彼女達の神経を刺激していると、少なくとも紅音は理解しているのだが、そうと分かっても陽子の言葉が正論である以上、感情だけで否定する事も出来なかった。


「そう……ですね……。そうですね! やっぱり、乗って見ないと分からない事ってありますもんね!」


 もっとも、その問い掛けに応えたのは紅音ではなく千迅であったのだが。

 自身のプライドや陽子の思惑、それに紅音の思考を、千迅の勢いと好奇心はあっさりと飛び越えて決断していたのだった。

 これには紅音も嘆息をつく以外に無く、陽子も目を丸くするしかなかったのだった。

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