3.速さの種類

トレーニングの日々

 ―――聖歴2016年5月


 千迅達が翔紅学園へと進学して、1ヶ月が経っていた。

 入部初日こそバイクを貸し与えられコースを走った彼女達だが、話にもあった通りそれも慣例……レクリエーションの一環である。

 実際はと言えば。


「はぁ……はぁ……。ち……千迅―――……。あ……あなた、ペースがは……早過ぎるわよ―――……」


 大粒の汗を掻き息も絶え絶えな紅音が、軽やかな足取りで先を行く千迅に声を掛けるも。


「ええ―――!? そんな事無いよ―――! 紅音ちゃんこそ……体力落ちた?」


 その千迅には疲れと言えるものが微塵も感じられず、この様な返答をよこしたのだ。


「お……落ちてないわよっ! こ……この……体力バカッ!」


 そしてそう言われた紅音もまた、実際は兎も角としてその様な強気な返事をしたのだった。

 ただし、今の状況でそんなやり取りが出来ているのは新入部員ではこの2人だけであり、他の者はと言えば、荒い呼吸しか発する事が出来ずに付いて行くだけで精一杯であった。


 そう……実際はと言えば、如何に「自動二輪部」と言えども毎日バイクに跨りコースを疾駆している訳は無い。

 そしてそれは、何も新入部員だけが課せられたトレーニングでも無かった。


「はい! 新入部員はここからジョグで呼吸を整えて半周ね! 上級生はこのままもう一周行くわよ!」


「は……はいっ!」


 第一自動二輪部部長である本田千晶の号令に、2、3年生達は振り絞る様な声をだして返答し、ペースを落とす事無く進んでいった。

 そして千迅達はと言えば、やはり千晶の指示通りペースを落として呼吸を整えるクールダウンへと入っていたのだった。


 ここは校内にある、緩やかな斜面を持つ小さな小山を利用した遊歩道。

 各運動系のクラブは、ここをトレーニングに使用する事が少なくない。

 緩いながらもアップダウンが適度にあり、1周2Kmと言う距離もトレーニングをする上では適していたのだ。

 そして本日は基礎体力向上トレーニングの日であり、第一自動二輪部の面々はこの場所でランニングに励んでいたのだった。

 参加している面々を見ても分かる通り、こう言った基礎体力を鍛える事に学年は関係ない。

 進級したからと言って体力や筋力の鍛錬が免除される訳でも無く、寧ろレギュラーに近い者ほど必死に取り組んでいる傾向にある程だ。


「はぁ―――……。先輩たちは、凄い体力だねぇ―――……。ねぇ、紅音ちゃん。私達もあれくらい体力付くかな?」


「ハァ……ハァ……。し……知らないわよ……」


 それが証拠に、千迅達は先を行く先輩たちに付いて行く事も出来ないでいたのだった。

 もっとも千迅には、未だに余力が残されている様ではあるのだが。


 他の運動系と違い、モーターサイクルを駆ると言う部分だけを切り取ってみれば、それ程体力や筋力が必要ないのではないかと考える者も少なくない。

 それよりも寧ろ、少しでも多くコースでバイクに乗る方が良いのはないかと思う者だっているだろう。

 だがそれは、大いなる勘違いだ。

 勿論、バイクのコントロールやレース勘と言った「センス」が必要とされるのは当然であるが、それでもただそれだけでバイクレースに勝てる訳ではない。

 高速で疾駆するモーターサイクルをコントロールし、その為に尋常でない集中力を必要とする。

 それにかかる体力は、それこそ陸上競技のトップアスリートが身に着けているそれと大差ないと言える。

 また、急制動急加速を繰り返し幾つものコーナーを駆け抜けるマシンは、少なくない重力加速度……所謂「G」が掛かり、それに耐える為にもパイロットには筋力が求められるのだ。


「それじゃあ、二組に分かれて筋トレメニューを開始! パートナーは気付いた点をすぐに相手に伝える事! ……始め!」


 故に自動二輪部でも、少なくともバイクに振り回されず捻じ伏せるだけの体力と筋力が求められ、彼女達は多くの時間を身体作りに当てているのだった。




「今日もきつかったねぇ―――紅音ちゃん」

 一日の部活動が終了し、シャワーを終えた千迅が同じく個室から出てきた紅音に問い掛けた。

 もっともその言葉とは裏腹に、千迅の方に疲労の色が濃く浮かんでいる様には見えない。……紅音とは異なり。


「はぁ―――……。あなた……本当に疲れているの?」


 そんな千迅に向けて、紅音は盛大に溜息をついてそう返答したのだった。

 千迅のケロッとした表情や態度とは違い、紅音の方は心底疲れ果てていた。

 そしてそれは、他のメンバーにしても同じであった。


 千迅や紅音に限らず、他の面子にしても中等部でそれなりに筋力トレーニングは積んでいた。

 常人の観点で言えば、同年代の少女と比べても確りとした身体作りが成されており、バイクをコントロールするに不足など無かっただろう。

 ただしやはりそれも、中等部で使用する「NFR50Ⅱ」を乗りこなすのに必要なものでしかない……と言える。

 高等部で使用する「NFR250Ⅱ」はそのパワーや速度だけではなく、重量や大きさやそれに掛かる「G」から全て違い、桁外れにライダーへと襲い掛かって来るのだ。

 それを考えれば、千迅や紅音の持つ体力筋力では現状に見合っているとは到底言えず、今までよりも更にきついトレーニングが求められるのも仕方がなかった。

 そして余程上級生に認められでもしない限りは、千迅達新入部員は基礎体力作りで半年程を費やす事となるのだった。




「それじゃあ先日から予定してある通り、明日から3日間は1年の部活動を休止します。上級生はデモンストレーションの準備もあるので、明日から忙しくなると思うけれど宜しくね」


 翌日、練習後のミーティングに於いて、本田千晶が全員にそう言って締め括った。

 それにその場にいた部員は、声を揃えて答えていたのだが。


「ねぇ、紅音ちゃん。明日から休みって……何で?」


 ここに約1名、何故明日から休日となるのか知らない者がいたのだった。言うまでもなくそれは、一ノ瀬千迅その人であった。


「……はぁ。相変わらず、肝心な事を聞き逃すのねぇ……あなたは」


 隣にいて小声でそう問い掛けられた速水紅音は、周囲にバレる事無く盛大に溜息をつくと、諦念染みた声音でそれに答えた。


「それじゃあ、今日はこれまでとします。皆さん、お疲れさまでした」


 紅音が千迅に理由を説明しようとしたが、丁度その時に千晶よりミーティング終了の号令が掛けられ、席についていた部員たちが次々に席を立ち帰る支度へと入っていた。

 それを見て取った紅音は、一つ溜息をついて席に着き直し千迅と正対した。


「明日から、私達新入生の部活動見学会が行われるのよ。だから、私達1年生はお休み。上級生は一般見学者たちの為に第一自動二輪倶楽部を解放して歓迎のデモンストレーションをする予定なのよ」


 簡潔に説明を受けた千迅だが、どうにも怪訝な表情を浮かべでいる。

 どうやら、何事か納得のいっていない部分がある様である。


「……何よ?」


 そんな千迅の疑問を目敏く察した紅音は、どこか呆れた様に問い掛けた。


「だって、もう私達も部活動始めてるんだよ? 今から入って来ようって新入生なんかいるのかな?」


 そして千迅は、思った事をそのまま口にした。

 もっともそんな事は少し考えれば分かる話であり、またまた紅音の盛大な溜息を呼んだのだった。


「……いい、千迅? この学園ではレーサー育成の他に色んな部活動の特待生制度があるから、中等部で取り組んでいた部活動にそのまま入部する子も多いんだけどね。一般入学の生徒だって多いのよ? そう言った子達にも広く活動内容を知ってもらう必要があるから、この時期に見学会が開かれるって話だわ」


「ふ―――ん……」


 折角紅音が親切に説明をしてくれていると言うのに、当の千迅は今一つ理解していない様である。

 そして残念ながら、短くない付き合いにより紅音にはその事がピンと来ていたのだった。


「部員が増えればそれはそのまま部費にも影響するし、今はまだ部活動を行っていない子にだってどんな才能が眠っているか分からない。それを知る為にも、そしてそう言った子達を引き入れる為にも今回の見学会は必要なの。……それに」


 根気よく説明を続ける紅音に、千迅はフンフンと頷いて応えている。

 もっとも、それをどれだけ理解しているのかは定かではないのだが。


「明日は私達も他の部を見学に行くのよ?」


 ただ紅音がそう締め括った言葉に、千迅は分かりやすい反応を示したのだった。


「なんで? 私、他の部に入るつもりなんてないけど?」


 そして安易に予想出来る回答を口にしたのだ。

 紅音の方はと言えば、それすらも予想の範疇であったと言う様に間髪入れずに答え返した。


「あなたはそうかも知れないけれど、他の新入部員や他の部の子はそうじゃないかも知れないでしょ? 私もあなたの考えと同じだけれど、他の子の前ではそんな事を言っちゃあ駄目だからね?」


 そして、確りと彼女に釘を刺していた。

 その意味を漸く理解した千迅も、納得顔で大きく頷いて応えたのだった。

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