第5話 感染者か? 天然か?

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 緊迫感を持った遭遇。邂逅。

 ネストリは抑えつつも、その濃密な死と闇の気配が周囲に漏れている。それはセシリー達への示威行為であり、むしろ完全に気配を制御しているとも言える。


 ただでさえ人外の存在に対して備えが足りない一行にあって、ネストリは脅威以外の何物でもない。


 その上で別の緊張もある。セシリー一行の……というよりは、エイダ個人のモノではあったが。


「神子セシリー殿。お目にかかるのは初めてでしたね。私の名はネストリ。クレア様の側仕えをさせて頂いております。先の白きマナ……生と光の波動は私への招待状であったと理解しているのですが……いかがでしょうか?」

「……間違いありません。貴殿の気配を感知し、少し話がしたいと思い……あのような真似をしてしまった。不快であったなら謝罪いたしましょう」


 ただ、セシリー個人としてはそれほどの緊張はなかった。マナが優しく巡る。慈しむような温かさが宿る。どこか虹色の香りがする。身の内から幼い女の子の声がする。


『この程度の者に臆する必要はありません』


 強大な力を有するだろうネストリを前にしても、彼女は動じない。彼を脅威と見做さない。


「ふふ。謝罪など必要ありません。むしろ久方ぶりに気分が良かったくらいです。……あぁ、紹介しておきましょう。我々にしてくれている氏族の長で、名をヴィンス殿と申します」

「…………」


 ネストリの斜め後ろに影のように付き従うおきなが軽く頭を下げる。全体的に好々爺という雰囲気ではあるのだが、その瞳は穏やかながらも確固たる意志を持って、その場にいる唯一人を貫いている。


 他の者もその態度に気付かない筈もない。

 セシリーは翁の態度への違和感もだが、その名が記憶の片隅に引っ掛かっていた。枯れた噴水広場での、その時は名も知れぬ者同士でのやり取り。


「……エイダ?」

「……主たるセシリー。いまは貴女の時間だ。私のことは後で良い」


 ヴィンスの視線を真正面から受け止めるエイダ。決して目を逸らすことはない。動揺はあるが、それを表に出さないだけの感情とマナの制御ができている。いまだからこそできる。この程度ができなければ、彼女はカーラに合わせる顔もない。


 一方のヴィンスもソレは同じ。しかし、彼の身の内に宿るのは怒り。燃え滾る炎のような怒りだ。


 エイダ。


 剥奪された名を名乗る恥知らず。一族の面汚し。ヴィンスが長としてやり残したこと。


 本来、セシリーには感情の揺らぎを知り得るほどの感知能力はない。だが、彼女の身の内に宿る女の子が伝える。寄り添うような色が伝わる。


の翁には誇りある戦士としての死を。あの御仁は誤解している。そのままに死なせてはなりません。託宣の運命をなぞらせてはなりません』


 瞬間、魔族とヒト族の融和を想いながら、失意の中で果てるヴィンスの姿がセシリーの脳裏に浮かぶ。


 彼女にとっては、まるで意味不明な情報ではあるが、妙に腑に落ちる。脳裏に浮かぶ情景や女の子の声に疑問も抱かない。それらが自らを導くモノだと確信している。そして、一足飛びにネストリが邪魔だと理解する。いきなり脳筋な思考が差し込まれた。


「……ネストリ殿。不躾な招待の上、非礼を重ねるようで申し訳ないのだが……私はクレア殿の思惑が知りたいのだ。そして、もう一人の神子であるダリルにも逢いたい」


 単刀直入。真っ直ぐ。セシリーは自分がバカであることを自覚した。さかしげに振る舞うのは止めた。聞きたいことを聞く。言いたいことを言う。他者のことなどは後回しだ。


「ふふ。私はクレア様のめいにより貴殿を迎えにきました。セシリー殿が知りたいことがあれば、それにお答えするのも私どもの誠意でございますよ?」


 あからさまに慇懃無礼な態度。ネストリは舐めきっている。上位者の驕りが隠せていない。

 セシリーの望む答えがまともに得られることはない。その場に居る者は誰もがそう思った。身に怒りを宿しながら傍らに控えるヴィンスですらもだ。


 溜息が一つ。セシリーの諦め。


「そうか。じゃあ話は終わりだ」


 発動までは誰も反応できなかった。


 早過ぎるほど。


 刹那。


 白き聖浄な衝撃が場に解放された。


 宿が吹き飛ぶ。



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 ……

 …………

 ………………



 ある日のことだ。ルーサム伯爵領の表向きの領都……砦において騒動が起きた。

 目撃者によると、何の前触れもなく、宿が吹き飛んだそうだ。

 意味が解からない。

 当たり前の疑問。話を聞いた者は誰もが訝しんだものだ。


 何故にいきなり宿が吹き飛ぶ?

 魔物の仕業か?

 馬鹿な魔道士がヤバい実験を室内でやったのか?

 まさか独立騒動による王家側の報復か? 

 いや、もしかすると独立派の内部分裂か?

 魔族領で正体不明の連中とやり合っているらしいが、その影響か?


 どれも違う。


 真相は単純だった。


 ある魔道士が、生意気なエルフをシメた。それだけ。以上。


 話を聞いた者は皆が総出でツッコんだ。


『余計に意味が分からんッ!』


 だが、目撃者は言う。


『……い、いや……いま言った通りなんだ。マジで……それに宿を吹き飛ばしたのは序の口でな……辺りが騒然となって、自警団の連中どころか、前線へ向かう途中の猛者まで出てきたんだが……誰も止められなかったんだ』

『はぁ? なにを止められなかったんだ?』


 当時の現場を目撃した者は、その様を思い出すときに決まって体を震わせる。恐怖から。



『いや……お、女魔道士が、横たわるエルフのマウントを取ってボコボコにしてたんだ……そ、それも……砦に敷設された石畳を一撃で割るような拳でだ……』




:-:-:-:-:-:-:-:



 ……

 …………

 ………………



「さて。ネストリ殿。素直に話をしてくれないだろうか?」

「……ぐ……ッ! き、貴様……ッ! こ、こ、こんな真似をして……タダで済むと思って……ごッ!!?」


 振り下ろされる拳。

 呆気なくネストリの顔にめり込む。

 マナによる全力での障壁の展開、死と闇の属性による術、単純な身体強化、両腕による防御……などなど。

 彼が取り得る手段を総動員しても、セシリーの拳を防げない。威力と勢いを大幅に相殺できているが……それでもネストリの肉体に届く。もっとも、全力で相殺していなければ、彼は一撃で冥府の王の御許へ旅立っている。それほどの威力。


「さて。ネストリ殿。素直に話をしてくれないだろうか?」

「……き、貴様……ク、クレア様が黙って……ぶッ! ばッ! や、やめ……ごッ!?」


 拳。連打。

 マウントポジションからの振り下ろしの拳。

 ネストリも両足を踏ん張って腰を浮かそうとするが、セシリーはまるで山のように動かない。ビクともしない。地に縫い付けられた。

 更に、振り下ろされる拳がそもそも“視えない”。両腕の防御を易々とすり抜ける。それほどの速度。


「なかなかに強情だな。うーん……そう上手くはいかないな……」

「………ふ、ふぅ……はぁ、はぁ……」


 ネストリはここに来てようやく理解した。『あ、これは死ぬ』……と。

 恥も外聞もなく、亀のように両腕で上半身を覆って丸まっているしか方策がない。

 防御以外の魔法を使おうとすると即座に拳。集中もできない。いや、むしろ防御とセシリーの拳に集中してないと死ぬ。


『何故こんなことに!?』


 そんな疑問がネストリの脳裏に乱舞するが、それはセシリー以外の者全員がそうだ。誰もが動けない。音すら失せた。周囲は静寂に包まれている。


 ほんの少し前のこと。


 ネストリの態度から、に意味を見出せなくなったセシリーが暴挙に出た。


 いきなりぶっ放したのだ。

 風の魔法in白いマナ。

 圧縮した風を解放して、周囲に衝撃波を生じさせるという魔法。

 一応、彼女は自分の後ろに居る使用人たち非戦闘員のことも考慮して手加減をしていたのだが、呆気なく宿自体が吹き飛んだ。発動後の一瞬、咄嗟にヨエルとエイダが障壁を張ってなければ、使用人たちは大怪我をしていたかも知れないほど。


 当然、ネストリやヴィンスも術の発動後には反応したが、セシリーの方が早かった。


 宿が吹き飛ぶのと同時に、彼女はネストリの顔面を掴んで外へ飛び出し、そのまま思いきり石畳に叩きつけたのだ。

 砦の中での皆の移動の為にと……ルーサム家の責任で整備された公共物を躊躇なく壊すセシリー。いや、宿を吹き飛ばした時点で大概だが。


 そして、そのままマウントポジションを固めて拳の雨を降らせる。最初の数発はネストリが身体を捻じって躱すことも出来たのだが、彼女の拳はそのまま石畳を砕いた。


 その様を見て、双方ともに『これはマズい!』と考え、ネストリはとにかく防御に注力。セシリーは獲物を逃がさないようにとマナを巡らせる。


 結果、ネストリがどう足掻こうともビクともしないという有様になっていた。彼の選択に大きなミスは無かった筈だが、ここが最後の分岐点だった。


 ちなみに、既に自警団の者や前線の者と思われる者も駆け付けているのだが、セシリーが軽くマナと意識を向けると……黙らざるを得ない。蛇に睨まれた蛙状態だ。


 セシリーはそれとは別に、以前から張り付いているルーサム家直属の手練れ達すらも動けなくしている。

 そちらには直接的に縛りの魔法を遠隔で仕掛けた。

 いつの間にか器用なマナ制御を行っているが、流石にセシリー単独の力ではなく、彼女の身に宿る『女神の遣い』の助力の賜物だ。


「ネストリ殿。先ほども言ったが、私はただクレア殿のが知りたいだけなんだ。あと、ダリルにも逢いたい。……協力を願えないだろうか?」

「……ふぅ……ふぅ」


 もう彼は答えない。まずは呼吸とマナを整えるのが先決とばかりに集中している。そんな小細工がいまのセシリーに通じる筈もなく……無慈悲に振り下ろされる拳の雨。


「がッ!!? ぐッ! おッ! や、やめッ! ろッ!! がッ!」


 ヨエルも、エイダも、ヴィンスも、オルコット家の護衛や使用人も、集まってきてしまったばかりに動くことが出来なくなった野次馬たちも……


 皆が想像した。もし自分がネストリの立場だったら……と。


 まさに地獄。セシリーは鬼だ。


 ある意味、殺すことに特化したファルコナーよりも性質が悪い。手加減が未だに定まっていないのも、受ける側のネストリにとって、その安定性の無さは恐怖でしかない。


 その上でセシリーの鬼畜の所業はそれに留まらない。『あ、ちょっとやり過ぎたかも?』と判断したら、ネストリを適宜治癒しているのだ。


 自分で殴り、怪我をさせて、治癒し、更に殴る。延々と続く地獄のループ。


 更に更に、彼女には自覚がない。単に『死なれるとちょっとなぁ』という程度の認識しかない。自分が生き地獄を演出しているとは欠片も思っていない。


 ヴィンスとの不意の再会で衝撃を受けたエイダなどは、その衝撃を余所に置いて心に想い描いた。


『もう主たるセシリーを揶揄からかうのは止めておこう……』


 静寂の中に響く、拳とは思えない打撃音とネストリのくぐもった悲鳴を聴きながら、エイダは密かに誓いを立てていた。



 ……

 …………

 ………………



 誰も動けないまま、地獄の時間が過ぎた。

 凄惨な現場には慣れている筈の辺境地。東方の悪魔と呼ばれる貴族家が治める地。領民皆戦士の気質溢れるルーサム領において、延々と語り継がれるだろう逸話がその日生まれたのだ。


 子供を叱る時に親は言うようになる。


『そんなことをしていると、オルコットの鬼が来るよッ!!』


 まぁそれはまた別の話。


 結局のところ、ネストリの心が折れた。折れない筈もない。


 彼のマナの制御が乱れて防御が薄くなった所に、セシリーの手加減の甘い拳が顔面を捉えて……直撃。


 顔が半壊した。もう一度だ。顔が半壊した。


 ナニかがイロイロと飛び散った。……即死しなかったのが不思議なほどの惨状を演出してしまった。


 流石にセシリーも焦り、即座に高位の『神聖術』に匹敵するほどの治癒術を施し、結果として彼の顔は元に戻った。命を取り留めた。再生魔法顔負けの効力を発揮したのだ。


 もうその頃にはネストリの立場云々よりも、ただの弱い者イジメの有様だった為、彼が無事だったことに誰もがホッと胸を撫で下ろしたものだ。良かった良かったとなっていた。


 だが、死の淵を跨いだネストリであっても、次のセシリーの台詞で折れた。


『よし。それじゃあ続きだな』


 その場に居た者は、彼の心が折れる音をハッキリと聞いたという。


 惨劇が繰り返される前に、流石にヨエルとエイダが止めに入った。それを見て、自警団や私兵団の前線も猛者も動く。動かざるを得ない。


 その時『ネストリを助けてあげないと!』という共通意識が場に芽生えていたのは確かだ。余りにも悲惨過ぎる。



 ……

 …………



「それで? 改めて聴きたいのだが……クレア殿の思惑は?」


 自警団の勧めにより、セシリー一行は詰め所の一室を使わせてもらうことになった。決して自警団の面々がビビって明け渡した訳ではない。


 その場には、セシリー一行に張り付いてたルーサム家直属の手練れ達も連れてこられていた。特に拘束はされていないが、彼らはセシリーから逃げられないというのを身に染みて理解しており、おとなしく指示に従っている。


 そして、メインはやはりネストリ。


 詰め所の机を挟み、セシリーとは対面で座っているが、彼の瞳には恐怖の色が視える。当然と言えば当然だが。


「……ク、クレア様は、神々の支配からの脱却を……」

「あぁ。そういうんじゃないんだ。具体的に今から何をするのかという話に限定してくれないか?」


 彼はダメもとで語ろうとするが、セシリーにアッサリと却下される。いまの彼女には“本質”が視えている。誤魔化そうとする意志をネストリから感じていた。


「クレア殿は部下の制御が凄いんだな。……こうなっては仕方ないか……」

「ま、待て!? は、話す! 話すッ!!」

「? あ、ああ。そうなのか? 話を聞かせてもらえるならありがたいな」


 セシリーとしては、ネストリからの聞き取りを諦めて、普通に先へ進もうとしただけだったのだが……椅子から腰を浮かそうとした彼女に、底知れぬ恐怖を抱いたネストリを誰も責められまい。


 彼は語る。クレアのやろうとしていることを。


「クレア様は、外法の求道者集団が冥府の王……冥府のザカライア様の顕現を行うのをギリギリまで邪魔したいのだ。彼らの頭領である「総帥」と呼ばれる男の黒きマナを消耗させたいと言い換えても良いだろう」

「……それは何のためにだ?」

「……彼らの術式をそのまま流用する為にだ。クレア様は連中の術式に別の術式を差し込んでの発動を目論んでいる。連中の中にも我らの手の者が紛れており、既に術式への小細工は済んでいる。後は発動させる直前で止めるだけだ」


 ネストリが敢えてそのように語っているというのもあるが、セシリー一行からすれば、一つの回答の中に、更に疑問が増えるという印象だ。


「ならハッキリと問う。クレア殿は何を喚び出すんだ? 神の顕現を目論む術式に、まさか花畑を創るような術式を差し込む筈もないだろう?」

「……同じだ。総帥たちは冥府のザカライアを顕現させ、その属性を反転させることで女神の力を利用しようとしているのだが……クレア様は、一度の術式で女神と冥府の王の双方を顕現させることを目論んでいる。相反する属性の神性を一度に顕現させることでの……反属性の衝突による神の消滅を望んでいる。クレア様が目指すのは神殺しだ」


 総帥が目指すのは神の顕現とその力の利用。

 クレアが目指すのは神の消滅。神殺し。この世界の解放。


「……どちらにせよ、話が壮大過ぎてついて行けないな」

「セシリー殿。要は神の顕現の為のキーとなるのが、女神の神子であるお二人なのでしょう。私が気になるのは……女神に神子がいるなら、冥府の王にも同じような神子がいるのではないでしょうか? その神子を集めて術の発現を目指すのでは? ……ネストリ殿、どうですか?」


 ヨエルは考えていた。セシリーとダリルは女神の神子だ。なら、冥府の王にも同じような神子がいても不思議ではないだろうと。


「……ふん。総帥がそうだ。ヤツが冥府の王の神子だ。そして女神側と違い、ヤツにいざという時の補助などない。一人で完成されている神子だ。もういっそのことだから伝えておくが……総帥の名は『ザガーロ』だ」

「ザガーロだと?」


 その名に反応する者は多い。それも当たり前。王国貴族でその名を知らぬ者は居ない。たとえ王家に連なる者であろうが、如何なる理由であってもその名を名付けることも、名乗ることも決して許されない。


 尊き御方の聖名だ。


「総帥の名はザガーロ・マクブライン。建国王と呼ばれた初代マクブライン王であり、ヒト族の“古き因子”を持つ英雄だ」



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※次回は5月10日 午前7時です。

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