第3話 旅路の果てへ

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「あのタヌキ親父ッ!! 知ってやがったんだッ!!」


 ちなみにこの世界にタヌキという生き物はいない。残念ながら聞く者には意味不明な言葉。

 往来で立ち止まり、ブツブツと独り言を呟いてたかと思うと、いきなり大声で怒鳴る。はい。完全に不審者です。

 同行者であり従者たるヴェーラですら引いている。

 マナの乱れはまだみられるが、とりあえずその乱れが収束しつつあるのが分かったため、ヴェーラはそっとアルから距離をとっている。『あ、私は連れじゃないです』……というささやかなアピール。


 一方の不審者……アルは色々と思い出した。


 アルが幼い頃、雑用係として配置されていた班が魔物に襲撃されたこと。その襲撃を生き残ったこと。結果として班の“戦士”は全滅。同じく雑用係だったシャノンは右足を失うという重傷を負う。当時は領内に再生魔法……高位の『神聖術』を使える者も居なかった為、そのままになってしまい、彼女は戦士の道を閉ざされた。


 ここまでは覚えていた。


 しかし、アルは『自分はどうやって生き残ったのか?』『その後しばらくはどういう風に過ごしていたのか?』という記憶がスッパリと抜け落ちていた。


 まず事実として、魔物は駆けつけたブライアンが撃退した。ただし、彼が駆けつけるまでの間、雑用係だったアルがシャノンを守りながら凌いだ。結果としてアルの身は外も中もボロボロに。シャノンよりも重傷……いや、瀕死。ほぼ死んでいる状態。駆け付けたのがブライアンでなければ、確実に黄泉の国の住人となっていた。


 そして、深部域の魔物に時間稼ぎができる……当時五歳のアルは至っていた。ほんの僅か、つま先ほどだけ踏み込んでいたのだ。超越者の領域に。一足も二足も飛び超えて……コツを掴んだ。扉を開けた。


 ただ、アルはその後十日以上目覚めず、目覚めた後も、まともに体を動かせるようになるのに半年近くの時間を要することになった。実のところ、周りからはシャノンと同じく、彼も戦士の道は絶たれたと思われていたほど。抜け落ちていた記憶。


 彼の記憶が繋がった時、既にシャノンは義足で生活をしており、アルは再び雑用係として班に組み込まれていた。


「くッそぉ……ッ! 父上は僕と同じく前世持ち!? 女神側の“使徒”なのか!? それともまた別のナニかか!? 普段は考えなしみたいな感じの癖に隠し事が巧いじゃないかッ!」


 未だに一人の世界の中。往来で怒声を発するアル。ヴェーラは元の宿に戻り、主人に『その……気が触れた者向けの治療院はどこでしょうか?』と聞いている始末。宿の主人も苦笑いだ。


 ちなみにヴェーラ。それは既に手遅れ。元々のこと。


「くそ! 神子だのクレア殿だのより、今すぐ大森林に帰って問い質したいな……ッ!」


 ブライアン・ファルコナー男爵。

 彼は知っていた。アルが前世持ちだということを。この世界の異物であることを。そして、アルに『ニンゲン来訪者』という言葉を投げた。


 そのままアルの独り言と怒声はしばらく続いていたが、『いい加減に気味が悪いからどかせてくれ』と、ヴェーラが自警団の者に声を掛けられるに至った。

 残念なことに、無関係を装っていた彼女の努力が実ることはなかった。



 ……

 …………

 ………………



「アル様。少しは落ち着きましたか?」

「あ、あぁ。ごめん。ちょっと取り乱しちゃったよ。……ただ、まさかこんな形でヴェーラに見捨てられるとは思わなかったけど……この前、割と良い感じに『この先は一蓮托生だ』的な話をしたよね? ……ねぇ? したよね?」

「マナの乱れが安定しつつあったので大丈夫かと」


 シレッと目を逸らしつつ応えるヴェーラ。アルの為に命を懸ける気概や情はあるが、天下の往来で、奇人変人として衆目を集めるのは遠慮願いたいという……乙女心も分かって欲しいところ。


 気付いたら自警団の者に取り囲まれており、可哀相な子をみる眼差しを向けられていた。普段のアルなら有り得ない。ここまで他者に接近されて気付かないなど。それほどに混乱していたということ。


 流石に状況を理解すると、自警団や周囲の者には平謝りするしかない。往来でいきなり叫ぶ者が居れば怖い。不審者間違いなし。アルも納得だ。

 ヴェーラは少し離れながら、アルが謝罪するのを自警団側から眺めていましたとさ。裏切り者め……! と、とあるあるじが思ったとか思わなかったとか。


「それより、アル様は本当に大丈夫なんですか? 体調が優れないならもう少し休んでいても……?」

「う、うん? まぁ体調の方は大丈夫だよ。色々と昔のこと……忘れていたというか、閉ざされていたというか……そんな諸々を思い出して混乱しただけだよ。この前、色々とヴェーラにファルコナーの昔語りをした所為かな? 今まで、特別に昔をふり返るなんてなかったからなぁ……」


 アルは語る。

 オルコット領都からの道すがらの話でも出た、ファルコナー領での幼い日々。嫌で嫌で堪らなかった訓練や雑用係。


 そんな中で、シャノンと同じ班となり、打ち解け、彼女とのやり取りの中で戦士としての心構えを得たという話。


 ……だった。アルのこれまでの記憶では。当時の記憶を完全に思い出した。


 父であるブライアンにも何やら秘密がある……というより、アル自身の秘密を知った上で知らぬフリをしていたということ。


「秘密……アル様が以前に仰られていた“予知夢”の話……ですか?」

「そうさ。アレは予知夢でも何でもない。ただの“記憶”だ。かつての僕のね。えぇと……前世……生まれ変わり……って言っても分からないよね?」

「……? は、はぁ……?」


 女神エリノーラ教会の教義に『生まれ変わり』という考え方は薄い。無い訳ではないが……基本的に死ねば魂が女神の御下へ召されるのみ。

 生前の業により、天国や地獄という死後世界に振り分けられるという概念は存在するが、再び別人として生を受ける……前世という考え、輪廻転生はこの世界において一般的ではない。


「ま、まぁいいや。とにかく、僕にはヒトとは違う特殊な記憶があった訳だよ。その記憶が予知夢と称したヤツさ。もしかすると、父上も同じような記憶持ちかも知れないってのを……いま思い出したんだよ」

「……そ、そうですか……?」


 アル自身は色々と興奮もしているが、ヴェーラからすると『そうですか』としか言いようがない。確認のしようもないことだ。


 ただ、そんな記憶や予知夢の話よりも、ヴェーラはアルの変化の方にこそ気が向いてしまう。普段から接している彼女が、集中して精密に探って気付く程度の変化ではあるが。


 静かなマナ。

 それは変わらないが、今までは膜のような……蓋のようなモノで、マナを押さえていた印象だったのだが、今は何もない。ただマナが揺らがないだけ。自然体。アルの感情がどう変化しても変わりがない。


「あ、気付いた?」

「え? えぇ。そ、その……マナの制御の質が……?」

「……僕にもよく分からない。かつての父上の言葉だと、コレが人外の領域への第一歩らしい。……そりゃ確かに昨日までのマナ制御とは少し違う感じだけど……自分でも何をどうやったのかがサッパリ解らない。というか、昨日までどうやってマナを制御していたのかも、イマイチ感覚が上手く思い出せない。変な感じだよ」


 アルには理解できない。いつの間にか出来ている。

 実のところ、コレについてはブライアンが真理を語っていた。この世界で通じる相手は多くはないが、自転車と同じ。

 一度自転車に乗れるようになった者に、乗れなかった頃の事を思い出せ、当時の感覚を再現しろ……と言うようモノ。中々に難しい。


 特に未だに混乱の中にいるアルなら尚更のことだ。


「……とにかく、いまのマナ制御での“慣らし”をしておいた方が良いですね。少し手合せを?」

「あぁ頼める? 何となく、以前よりも巧くマナを扱えるし動けるとは思う。いまは欠片程もマナを消費する気がしないしね。身の内で延々と巡らせられる……マナの流動自体がすごく滑らかに感じる」


 イメージ通り……の先。アルは自身の身体やマナが、思考よりも先に動くような感覚を覚えている。


 そして、その後のヴェーラとの軽い手合せでも、これまでの自分とは少し違うということを実感した。感覚の違いに戸惑うこともあったが。


 アルは、自分でも知らぬ間にアッサリと人外……超越者への果てなき道への第一歩を踏み出す。いや、過去に踏み出していたのを、ようやくに思い出したと言うべきか。


 それは今を生きることに精一杯で、過去を振り返らなかった反動なのか、それとも、アルの身に“開く”為の準備が出来ていたからなのか。諸々が定かではないにしろだ。


 ちなみに、アルとヴェーラの手合わせは他者からすれば十分以上に激しいものであり、再び自警団が呼ばれることに。今度は主にヴェーラが怒られた。


『ちゃんと躾けといてくれ』


 ……と。僅かな邂逅で、自警団の面々はアルこっちに言ってもダメだろうと看破していた。その判断は概ね正しい。



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 ……

 …………

 ………………



 いくさ

 瘴気……黒いマナに侵された魔族領にて、総帥率いる外法の求道者集団に動きあり。


 それは誘いではあったが、クレア一派は対処に動いた。動かざるを得なかった。


 手勢を送り込み、流れをコントロールするために。


 もはやクレアの計画は詰めに近いが、総帥も彼女の狙いを知っている。事ここに至れば、お互いへの嫌がらせ合戦の様相を呈しているが、双方の陣営には、未だ計画に必要なピースが揃っていないのも事実。いまは手勢を削り合う形の小康状態となっている。


「くは。ここまでが順調過ぎたと言うべきか……まったく、神子殿にはそれぞれに手を焼かされるな」

「……連中がここまで苛烈に反攻に出てくるとは……申し訳ございません。見誤っておりました」


 クレアの側近。外法の求道者集団を担当していた、見た目は若々しいエルフ族の男が頭を垂れる。

 名をネストリ。クレアがエルフ族だった頃から行動を共にしている、側近の中でも最古参の一人。


「ふん。お主以外の者であれば、状況はもっと悪くなっていただろうさ。……こうなってしまっては、もはやこちらからピースを揃えにいかねばならんな。くくくっ。ワタシとしては 神子殿の自主性を重んじたかったのだがなぁ」


 にやにやと嗤うその姿に後悔の念はない。彼女にとっては余興の一つ程度のこと。なかなかに粘りを見せたが、クレアの計画……神殺しの本命である神子ダリルは、既に傀儡として手の内にある。


 後は女神の切り札たる神子セシリーと、冥府の王の神子である総帥を潰し合わせるのみ。手勢同士による居地戦での勝敗など、クレアにとって然程の価値はない。


 王国内の独立騒ぎも、台頭する託宣の残党も、混乱に乗じて既得権益側を引っ繰り返そうとする輩も……もはやクレアにとっては些末事。


 託宣に、神々の盤上遊戯に振り回された者達の幾多の無念。怨念。それらを引き連れてクレアは神を殺す。滅することができないなら、依り代に神を降ろして封じる。この世界を神々から解放する。


 神々の干渉を排除してこそ、この世界は本当の一歩を踏み出すのだ。


 それはクレアの妄執。彼女にはもう分からない。ソレが彼女自身の願いなのか、幾多の怨念に引き摺られた結果なのか。『クレア』という個の自我が存在するのかすらも……もう分からない。ただ、行き着く先までは、決して止まることがない事だけは確か。


「ネストリよ。抜け殻ではなく、お主自身が神子セシリーを迎えに行け。そうだな。瘴気の中での戦いでは役に立たん、あの融和派の連中を使ってもいい」

「承知いたしました。……ふふ。しかし連中を使えとは……クレア様もお人が悪い。今更ではありますが」

「ふん! 託宣の為にと、色々と手を回して飼っていたというのに……肝心要のところで狙い通りに動かなかった連中だ。もう用はない。眷属とする価値もないわ。面識もあるようだし、何ならあの小僧にぶつけても構わん。細かい差配は任せる。ワタシはそろそろダリルと共にに取り掛かる」


 ひょんな事から、計画の遂行とは別に、クレアはマクブライン王家の縛りを受けていた時期があった。それ自体は失策ではあったが、丁度よいとばかりにクレアは王家の影へ食い込む。


 動けぬクレアに代わって、王国の貴族間においての工作などは、ネストリをはじめとした古参達が担っていた。


 託宣で重要な役割を持つ者、一族、組織、貴族家などを表に裏にと操ってきたのだが……それでも全てを制御出来ていた訳でもない。そもそも、融和派連中が今の時点でまともに生き残っていることなど、想定もしていなかった。


 もっと以前に、王都において開戦派連中と潰し合う段取りだったのだが、ある時を境に、融和派の者達はしたたかに立ち回ることになっていった。クレアもネストリも些末事として特に気にはしていなかったが……その傲慢さのツケを払う時は近い。


「……こちらの持ち場は他の者に引き継ぎ、私は神子の確保に動きます」

「任せた」


 融和派……ヴィンス一族の“氏族”としての最後の生き残り達は、クレアやネストリが裏で手を回して『“庇護者”に飼われていた連中』とは……今はもう別物。それを飼っていた側は理解していない。



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 ……

 …………

 ………………



 少数ずつに別れてはいるが、所詮は余所者。ルーサム領の者たちにはその者達が同じ一団であることなどお見通し。ただ、相手側に知られていることについては、一団……ヴィンス達も理解している。


 ルーサム領の最果て。最前線。大峡谷が終わる地点。


 魔族領の始まる場所。ヴィンスが幼き頃、いまとなっては遥かな過去に追われた故郷の地。


 彼にも込み上げてくる想いはあるにはあるが、求めてやまなかったという熱はない。枯れた思い出。感傷に過ぎない。


 ヴィンスにはもうこの世に思い遺すことはない。苦難に満ちてはいたが、微温湯ぬるまゆに浸かり、微睡むような幸せな日々も長かった。


 もはや一族としては滅びたも同然だが、立ち枯れしていく己の巻き添えとして、若き芽を枯らすことはない。別の地へと命を繋ぐことはできた。植樹なり接ぎ木を為した。ただ右往左往して流されるままに滅びるのではなく、意思を持って滅びを受け入れられた。


 後は、己の愚かさによって散って逝った者達……彼ら彼女らと地獄の底での再会と詫びを残すのみ。


「……ヴィンス老。ここから見えるのが魔族領……遥かな故郷ですか……」

「あくまで仮のじゃがな。この魔族領も、さらに遠い過去、迫害を逃れて流れ着いた場所だと聞く。かつての帝国時代……大森林が今のような魔境となる前の時代に、魔族はこの地へ流れてきたという伝承があるらしいからの」


 ヴィンスに付き従ってここまできた、一族の最後の者達。彼らも同じだ。それぞれに込み上げてくる想いはあれども、ソレはいま求めるモノではない。


 “庇護者”への恩義に報いる為、彼らはこの地へ来ているのだ。


 もっとも、ヴィンス達も既に気付いている。“庇護者”が魔族を保護してきたのには何らかの意図があり、既に自分達が用済みであるということも。後は使い捨ての駒として扱われるだろうこともだ。


「しかし、それでも……魔族領をこの目にすることができたのは、一つの区切りです」

「ええ。魔族領を脱した魔族たちは、東方辺境地において『魔族』として生きることを許されたと聞きます。遠い同族に逢えたことは……死出の旅への手土産としては十分過ぎます」


 彼らの目に映る魔族領……その都があったと思われる場所の上には分厚い瘴気の雲。まともにな状態ではないのは一目で理解できた。そして、住む場所を追われた魔族たちは、王国の独立派の騒ぎにおいて、東方辺境地にて保護された。彼らも生きる道を繋いだ。


 王国内においての苦難もあるだろうが、それはかつてヴィンス達が辿った道であり、遠い同胞が、その道半ばで果てる筈もないと信じている。


「魔族が魔族として生きられる。……どのような形であれ、それが叶うだろう芽吹きが見れただけで十分じゃ。遠き故郷が瘴気に穢されておるのは残念ではあるが、命あってのモノじゃろうて。多くの魔族が生き残れただけでも御の字よ」


 ヴィンスは、かつては魔族の中にあっても迫害を受け、魔族領を追われた一族の者。


 自らを追い立てた魔族達に隔意を抱いたこともあったが、いまは遠き同胞として、魔族が生き残ることが彼にとって何よりの慰め。


 ヴィンス一族の旅路の果て。かつての恩義を身に宿し、あとは死兵として散り逝くのみ。



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※次回は5月3日 午前7時です。

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