第20話 バナーバル中央 クエスタ本部⑤

 まばゆいオレンジの光が満たす黄金郷のようなエントランスホール。二十階から一階の吹き抜けを貫くように吊るされたシャンデリアの下で、グエンはベンチに腰掛け三mほどある王族殺しの銅像を眺めていた。

 足を組み右手で頬杖をつくと、剣を掲げ女の生首を抱えた銅像の構図に改めて困惑する。


(これが俺……の銅像なのか。俺がヒルドを斃したところなんて誰も見てないはずだから、想像で作ったんだろうが……。女の生首を小脇に抱えて、あんなに爽やかな笑顔をするやつがいるか? しないだろ、普通は……。これを考えたやつはどういう心境で作ったんだ。どんな変態だ。銅像にしてくれるのは嫌じゃないがなあ、これはなあ……)


 ため息をつくべきか微笑むべきか、反応に困っていると、青いツナギ姿の初老の清掃員男性が清掃道具一式を持って銅像の前へ現れた。

 銅像の台座から、絞った雑巾で磨いていく清掃員。彼の手慣れた作業に見入っていると、突然横から野太いだみ声が響く。


「おおおお、いたいたいたあ! そこの赤い髪のお! 君があグエンかあ!」


 名を呼ばれ何事かとグエンが振り向くと、足元から頭の先まで、純白のスーツと革靴、シルクハットに身を包んだ小太りの男性が歩み寄ってきていた。金歯ならぬ、重銀歯で一揃えになった上下の前歯がギラリと光る。

 彼の独特な出で立ちにグエンは言葉を失う。清掃員男性が彼に気付き会釈をするがそれには答えず、白スーツ男はまっすぐグエンの側へ来た。

 遠目ではわからなかったが、白スーツ男も清掃員と同じく、ヒッジスより一回り上の初老の年齢に見える。

 ベンチに腰掛けたグエンの正面に立つと、白スーツ男が白銀の前歯を見せて笑う。


「ぐあっはっはっは! 聞いとるぞお! あの若造に一泡吹かせたってかあ! いいぞいいぞお! 本部長にして会長、クエスタの最高権力者であるこのローガー・クロス、お前のような跳ねっ返りの新人でも寛大な心でえ、大いに用いてやろう! 態度が良ければ、儂からの特別依頼をくれてやってもいい!」


 グエンの答えを待つことなくローガーは矢継ぎ早にまくしたてた。


「しっかしあのヒッジス、たかだか四十半ばで副本部長なんざあ小生意気にもほどがあるわ! 青二才の自覚で儂を敬うならまだしも、取立ててやった恩を忘れとるわ!」


 ローガーはスーツの内ポケットから葉巻を取り出し、吸い口を嚙みちぎるとゴミを床に吐き捨てた。金のライターで火をつけ、葉巻に視線を落としながら怒鳴る。


「おい! そこの外輪! 仕事をやったぞ! さっそと片付けろ!」

「あ、はい。ただいま」


 小走りで駆け寄り、初老の清掃員はローガーの吐き出したゴミをちり取りで拾う。


(なんだ、こいつは。ゴミがゴミを吐き出したぞ)


 一言も発していないグエンは、呆れた表情でローガーを見上げる。

 黙っているグエンの態度を、自分に対する従順さだとローガーは受け止めるた。


「儂の威厳に圧倒されるのはいいがなあ、挨拶くらいはせんか! 若造!」


 傲慢なローガーの言葉を受けてグエンはおもむろに立ち上がった。頭一つ分背の高いグエンの方がローガーを見下ろす形になる。


「儂を見下すな! 尊敬の念が足りんわ! ったく!」


 相手をする気になれないグエンは、清掃員が作業をつづける銅像に視線を移す。

 怒鳴り散らした拍子で葉巻の灰が床に落ちた。ローガーはフロアが汚れることは気にも留めず、グエンが見ていた銅像に目をやる。


「おお? あの銅像が気になるか! あの若造が強引に推し進めた王族殺しとかいうわけのわからんやつの。どうせ建てるならなあ! こんな胡散臭い男の像じゃなくてえ、世界樹の女神様の裸婦像でも建てればいいもんを! なあ!」


 わざとらしく革靴の底を床に当てながらズカズカ歩くと、ローガーは銅像の前に立った。清掃員が銅像の足を雑巾で磨いている横で、彼は口元から葉巻を外すとにやりと笑う。


「無駄にでかいが、灰皿がわりにはなるわ! だいたい、少しは汚れとらんと掃除するにも張り合いがないだろ!」


 磨き上げているのとは逆の足に、ローガーは葉巻の火を近づけた。作業中の清掃員はあっと口を開けるが、抗議するまでにはいたらない。

 葉巻の火が銅像に触れる直前、グエンの手のひらが葉巻の火を受け止めた。


「な! 何をしとるんだ君は! ……ぬおっ!」


 火はグエンの肌に触れて消えるどころか、一瞬で葉巻全体に火が回って燃え上がる。

 思わず手を離したローガーは、グエンの手中で炎に包まれ灰になっていく葉巻に目を奪われた。

 火を握りながら、グエンはローガーに会釈する。


「わざわざ会長の手を煩わせるまでもありません。俺の手を灰皿にしていただければ」

「ぬお、お、おう! 若いの! いい心がけだ!」


 やがて火は完全に消えると、グエンは手を広げて灰の塊をローガーに見せた。


「……熱くはないのか?」


 ローガーは怪訝な表情で灰を睨んだ。グエンは微笑みうなずいて見せる。素直なグエンの反応に、ローガーは満面の笑みで重銀の歯をむき出しにする。


「ぐあっはっはっは! 愉快なやつだ! 気に入ったぞ! こういうゴマの擦り方は初めて見たわ!」


 火は消えていたが、グエンの手のひらには熾火のような赤い光があった。手のひらと灰の接地面は、高熱に熱せられた灰が灼熱に輝いている。


「灰を近くでよ~く見ててください。面白いものが見られますよ」

「おお! 手品に続きがあるのか! 当ててやろう! 鳩でも出してみせろ!」


グエンの手に顔を近づけるローガー。グエンはゆっくりと大きく息を吸うと、手に持った灰を一息で吹き飛ばし、熱せられた

灰をローガーの顔にぶちまけた。


「ぬおおお! あちちちちち! なにをする貴様あ!」

「これは大変だ! 鳩は留守でした! すぐにお水を!」


 グエンは素早い身のこなしで清掃員の側へ駆けると、水の入ったバケツを持ち上げた。

 高熱の灰をはたき落としながら薄目で見ていたローガーは、次に訪れる不幸を察してたまらず逃げだす。


「こんのばかもんが! 何を考えとるんだ! そんな汚い水を儂にかける気か!」


 バタバタと逃げるローガーを、バケツをかかえたグエンが追い回し始めた。


「火傷が心配ですので! お水を! はやく! 会長!」

「いらんと言っとるだろうが! 覚えていろよ貴様あ!」


 銅像の周りをぐるぐると逃げ回ったあげく、ローガーは悪態を残して去って行った。

 予想外の事態に立ち尽くしていた清掃員だったが、バケツを持って帰るグエンの笑顔があまりに満足気で、つい噴き出してしまった。


「ふふ、兄ちゃん、とんでもないことするね」

「そうかな? あの会長ってのもとんでもなかったから、おあいこだよ」

「そうかい? そうかもねえ。ふふふ」


 銅像の足元でくすくすと笑う二人。そこへちょうどユイナが到着する。

 ローガーの走り去った方向を見つめ、灰や水がで汚れたフロアを見る彼女の眉間には、かすかに皺が寄っていた。

 しまったと肩をすくめたグエンは、銅像の台座に立て掛けられているモップを取り、フロアの掃除を始める。


「申し訳ない。せっかく綺麗な床を汚してしまった」

「そういう問題ではありません!」


 ユイナの鋭い視線を浴びつつ、グエンは銅像の周りに散乱した灰を回収し、飛び散った水を綺麗に拭きとった。

 掃除用具を返したグエンは初老の清掃員に挨拶をし、ユイナに連れられて銅像をあとにする。

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