第18話 バナーバル中央 クエスタ本部③

 グエンの言動に注視しながら、ヒッジスは胸ポケットに挿してあるボールペンを抜き取り握る。


「警備は厳重だよ。常に兵が固めているし、門は閉ざされている。まして、侵入をほのめかす人間を野放しにはできない」


 ヒッジスがボールペンのノック棒を押す。カチリと音がなると、すかさずグエンの後ろに立つ両隊員が警棒を抜いた。彼らの持つスタンバトンがバチバチと音を立てて放電する。

 隊員達の動きとほぼ同時に、グエンの体を炎が包んだ。

 ヒッジスはグエンの火を目の当たりにして息を飲む。


「報告では聞いていたが、炎とは……」

「俺もこんな所で立ち止まる訳にはいかない。道があるならば押し通るまでだ」


 入口の扉が開けはなたれ、八人の隊員がなだれ込んでくる。

 左後の隊員が脇に抱えていたグエンの刀が共鳴しはじめると、突如として高熱を放った。あまりの熱さに驚いた彼は刀を床に落としてしまう。


「あっつ!」


 落下した刀の鞘が床にあたりグエンの方へ倒れる。

 グエンは椅子から立ち上がりざまに刀をつかみ引き抜くと、振り向き右後ろの隊員が握るスタンバトンを切断した。彼は刀を握ったまま身を翻し、黒檀のテーブルへ飛び乗ると、ヒッジスの正面に座禅を組むように座る。ヒッジスの首元にぴたりと刃が添えられた。

 入口から入ってきた隊員達はグエンを取り囲もう迫っていたが、ヒッジスの首元にあてられた刀をみて黒檀のテーブル約二メートル手前で急停止を余儀なくされる。

 肌に触れてはいないとは言え、首元近くにかざされた灼熱の刃にヒッジスの表情が歪む。

 スタンバトンを切り落とされた兵士、手元を見れば柄を握るグローブの生地がかすかに切り取られ肌が露出していた。指をかすめた斬撃に肝を冷やす。


「いまの一瞬で……なんて奴だ」


 出鼻を挫かれ動けぬ隊員達を前に、ヒッジスはこわばった表情でテーブルの上に転がるスタンバトンの先端を横目で見た。

 ヒッジスの横に座るユイナが慌ててグエンをなだめる。


「れ、冷静になってください。グエンさん。こんなことをしてはご自身の不利益になります」


 黒檀のテーブル上に座すグエンはゆらめく熱気を纏い、室内の人間全てを舐めるように眺め静かに笑う。


「俺は冷静だよ。まだティータイムだ。ただ、俺がその気なら、この部屋を炎で満たしてオーブンのようにできる。皆様方、お揃いのところ申し訳ないが一網打尽だ」

「ほ、炎を操る? 報告は受けていたが……もしやエンブラ王家、縁の……?」

「俺はエンブラを討ち滅ぼす男だ。やつらと関係しているとは思われたくない」


 グエンは刀をヒッジスから遠ざけると、彼の前に置かれたシフォンケーキの上にかざした。ケーキに触れる直前で止まる紅蓮の刃。ジュウッと音を立てて、砂糖をたっぷり含んだ純白のアイシングが焦げ芳ばしい香りを漂わせた。

 煌々と紅蓮に染まっていた刀身が鎮まり、熱は消え澄んだ蒼氷色に変わり行く。一変して冷たい表情を見せるグエンの刀にヒッジスは目を丸くした。


「まるでクリスタルの……クリアブルーの刀……? まさか、重銀結晶の刀! いや、あり得るはずがない……。君はそんなものをいつどこで手に入れたのかね?」

「さすが重銀産地のお偉いさんだ、よくこれが重銀結晶製だと見抜いた。が、出自は言えないな。そちらも秘密を抱えたまま事を進めようとしていたんだ。おあいこだよ」

「……刃を向けたが、交渉の余地はまだあるということだね」


 刀を鞘に納めるグエン。その動きを見て八人の隊員が踏み出そうとしたが、室内の異変に気が付き慌てて足を止めた。隊員の一人が声を漏らす。


「なんだ、この赤い光は……」


 部屋中に火の粉のような粉塵が漂う。室温は上昇しまるでサウナのようだった。


「下手に動くなよ。布ずれの静電気でも引火すればドカンだ」


 手のひらを上に広げ、グエンは爆発のジェスチャーをして見せた。

 彼の一言に、室内の全員が身じろぎすらできずに固まる。


「とまあ、俺はこの場の全員をまばたきする間に丸焦げにできる。対してそちらは通行許可を出せる。力づくで悪いが、そちらも俺の力を利用するつもりだったんだ。多少は野良犬に手を噛まれても文句は言わないよな?」


 汗のにじむ手を握り、ヒッジスは目の前であぐらをかくグエンに強い語気で答えた。


「……我々が求めるのは、エンブラを退けることだ。この条件は外せない。今はまだその時ではないが、エンブラが牙を向いたその時、それが叶うならば通行許可を出そう」

「まるで戦いになるのが決まっているような口ぶりだ。で、そんな好条件でいいのか?」


 率直な疑問をぶつけるグエンに、ヒッジスは渋い表情で言葉を絞り出す。


「……墨影ぼくえいのアズレイが、バナーバルへ派遣されたという情報がある」


 どよめく治安維持部隊の面々。ユイナも声は出さなかったが、表情に緊張が走った。

 グエンはただ一人表情を変えないまま、ヒッジスの言葉を吟味する。


(アズレイってのはよくわからない。が、難敵が来ると言うだけで、果たして俺のような扱いにくい部外者を迎え入れるか? どうも他に思惑があるようだが……)


 ヒッジスの回答に疑問は残ったが、グエンはこの場で問い正したところで本音は返ってこないと判断し、ヒッジスへの疑念を飲み込む。


「そういう高難易度の追加オプションがあるなら、ボーナスは期待してもいいのかな」

「事を成してくれるなら喜んで払おう。予算が通らなければ私のポケットマネーから支払っても良いくらいだよ。ただし、君にはクエスタ隊員として我々の指揮下に入ってもらう。あくまで組織の一員として、不本意な指示があろうと不服は許されない。特別な依頼以外は普通の隊員として扱う。……どうかね?」


 うだるような暑さの室内。額に汗が滲むヒッジスの声は堂々としたものだった。ユイナや他の隊員は、空中に舞う火の粉が誘爆する恐怖に晒されながらも、ヒッジスの怯まぬ対応にかろうじて平静を保っていられた。

 揺るがず毅然とした彼の言葉を、グエンは信じることにした。


「わかった。それなら、俺はクエスタという組織を利用させてもらう」

「無論、隊員としてのサポートは行おう。だが、エンブラと戦う意思が無いとこちらが判断した時は、隊を動かしてでも強制的に君を拘束する」

「俺は最後の一人になっても戦う。むしろ、お前たちが降伏してエンブラへ寝返る時は、俺が殺す前に逃げてくれよ」

「心強い。交渉は成立だ」


 座った状態から手だけで体を持ち上げて腰を浮かせると、グエンは器用にテーブルには足をつけず床に飛び降りた。彼の不自然な動きに首を傾げるユイナだったが、部屋の室温が下がり漂う火の粉が消えた事に気付き、その安堵から小さな疑問は消えてしまった。

 もと座っていた椅子の傍らに立つと、グエンは重銀製のダガーを片手に持ったまま固まっている隊員に手を差し出した。


「さて、そっちのダガーも返してもらっていいかな。それも中々の値打ち物でね」

「あ、ああ。……返してもよろしいでしょうか」


 隊員は要求に答えるべきかとヒッジスに確認を取る。ヒッジスは無言で頷く。


「で、では……どうぞ」


 ぎこちない動きの隊員からダガーを受け取ると、グエンはベルトのホルダーに固定する。

 熱気と共に緊張が解けると、すっかり涼しくなった室内にひとときの静寂が訪れた。

 上長のヒッジスへ指示を仰ぐように、無言の隊員達の視線が集まる。

 ヒッジスは安堵のため息をつくと、途中で乗り込んできた八人の隊員達に指示を出す。


「……ふう、もう大丈夫だ。下がってくれていい。皆、通常の職務に戻ってくれ」

『了解!』


 指示を受けた隊員たちは一糸乱れぬ動きで部屋を立ち去った。彼らが去ったあと、ヒッジスは残った二人の隊員にも同様に指示を出す。


「君たちも戻ってくれ。あとは私とユイナ君が対応する」

『了解!』


 クエスタ本部の入り口から同行していた二人の隊員も部屋を後にする。副本部長室には、グエンとユイナ、ヒッジスの三人だけになった。

 隊員が締めた扉を眺めながら、グエンは立ったままどちらともなく訊ねる。


「さあ、まずは何をすればいい? エンブラ兵を蹴散らすか、それとも、ケーキと紅茶の食器でも返却してこようか。どちらにしても、これがクエスタでの初仕事だ」


 先ほどとは打って変わり、グエンの物言いは柔らかだった。

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